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「普段は名字で呼んでるんだけど、プライベートでは昔からの癖が出ちゃって」
全然知らなかった。一路は兄弟のことはよく話すけど、親の話はしない。
「⋯⋯ごめん」
一路の家の大変な事情も知らないで、俺は勝手に嫉妬してた。そして、仕事にいつも一生懸命な一路を傷つけた。
「ごめん、何も知らなくて。一路が名前で呼んでるのを聞いて、すごく腹が立ったんだ。それに、二人がすごく仲がよさそうだったから⋯⋯」
「両親のことはいいんだ。変に気を遣わせたくなくて言わなかった。⋯⋯ぼくも」
一路は俺から体を離して、目をこすった。
「ぼくも、タカくんとあの子が⋯⋯、まるで恋人同士みたいに見えた。友達だと思っても、何だかたまらなくなって。あの子がタカって呼んでるの聞いたら⋯⋯」
一路の大きな瞳が揺れる。
「もう、全然ダメだった。ゆうべから何度も思い出すんだ。仕事なのに⋯⋯、ちっとも集中できなかった」
「⋯⋯一路のせいじゃないよ。俺、一路が来てからもずっと態度が悪かったし。それに、本当に馬鹿だと思うんだけど、嬉しいんだ」
「えっ?」
「一路がすごく真剣に仕事してるの知ってる。でも、料理に集中できなかったって聞いて⋯⋯」
俺は一路の胸に抱きついた。背中に手を回して、もう一度強く抱きしめる。
一路が落ち込んでるのに嬉しいなんて、本当にひどいと思う。わかってるんだ、でも。
「一路、俺のことが気になって集中できなかったんだよね? くだらない奴でごめん。もっと大人になるから、今日だけはさ。いい気にさせて」
一路は黙ったまま、ため息をついた。顔を上げて、そっとキスをくれる。とても優しいキスだ。
「タカくんは⋯⋯、困るなあ」
「ごめん」
「⋯⋯うん」
一路と目を合わせれば、お互いの瞳の中にゆらりと揺れるものがある。
俺たちは、ゆっくりと顔を近づけて、互いに唇を重ねた。
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