鳥居の下にて

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 怖い体験をしたことがある。  一年生になったばかりの春、俺はたまたま神社で一緒になった隣の小学校の子たちと遊んでいた。公園、駄菓子屋、池のほとり、その子たち主導で次々に場所を変え、辺りが暗くなったころ。知らない場所で突然解散となり、みんなそれぞれ家に帰ってしまったのだ。  誰にも悪気なんかなかっただろう。でも、帰り道が分からない俺はひとり、途方にくれた。  どんどん暗くなっていく空と、人通りの少ない田舎道。歩いても歩いても知らない景色から抜け出せず、うつむいた目から、涙がぽとりと地面に落ちた。怖くて心細くて、早く家に帰りたくて。俺は道端でわぁわぁ泣いた。 「どうしたの? 迷子?」  その声に顔を上げると、十歳くらいの子が覗き込んでいた。認めるのは恥ずかしかったけど、俺は黙ってうなずいた。 「名前は?」 「はっとりけいた」 「何歳?」 「一年生」 「あ、え……うーん?」  その子は不思議そうに首を傾げ、あ、と呟いた。 「もしかして、神社の向こうの?」 「神社の向こう」。それは、その辺の子どもたちは誰でも使っていた言い回しだ。地元の小学生は当時、校区から出ることも他の小学校の子と遊ぶことも禁止されていた。校区の境目には大きな神社と鎮守の森があり、「神社の向こう」とはつまり、隣の小学校とそこの児童を指すのだった。 「神社まで行けば、帰れる?」  首肯した俺の手をとり、その子は迷いなく歩き始めた。さくさく動く黒い運動靴を見ながら、小走りについていく。神社の前に着いた時には辺りは真っ暗になっていたけど、見慣れた鳥居に、俺は死ぬほどホッとした。 「ここから、分かるんだよね?」  俺がうなずくとその子はにっこり笑い、 「バイバイ!」  大きく手を振って元来た道を走り出した。  その背中は夕闇に消えるように、あっという間に見えなくなって。恩人の名前も聞かなかったことに俺が気付いたのは、夜、布団に入ってからだった。
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