世界の屋根を打つ雨の向こうで

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 おじいさんの葬式から一か月ほどしたころ。  日曜日の午後、部屋で日記を読んでいたら、こんな話が出てきた。 <『逆立ち』に気をつけろ>  黄ばんだ古い紙の上に、かすれかけた鉛筆の線でそう書いてある。  気をつける? 逆立ちって、あの逆立ちだよな? 日記の日付を見ると、おじいさんが二十代前半のころの文章だった。続きを読んでみる。 <夕立ちというのがある。あの激しい雨だ。それが、時に、雨粒が地面から空へと遡ることがある。これが『逆立ち』だ。この雨につかまるときには、気をつけなくてはならない>  雨粒が遡る? 雨をつかむ?  もう一度日記の日付を確認する。たしかにおじいさんは成人している歳だ。子供が空想を書きつけているのではない。  そのときちょうど、部屋の外から雨音が聞こえた。  おりよく、夕立が降ってきた。  激しく地面をたたく水の音が、秩序のない打楽器のように騒ぎ出す。  僕は、傘をさして、家を出た。  おじいさんの日記を、ビニール袋に入れて小脇に抱える。おじいさんに、「さあ、それはどこにあるんだ。見せてみてよ」と腕を引いて連れ出す代わりに。  道の上には、誰の姿もなかった。ただ、透明な釘のような雨が切れ間なくあたりを包んでいた。  アスファルトで跳ね返る雨にすねまでびしょぬれにしながら、角を曲がる。  そこで、家の柱くらいの直径の、空へ向かって逆さに上っていく滝のようなものを見つけた。  初めて見た。これが『逆立ち』か。  僕は、疑ってすみませんでした、と日記に謝る。  気をつけるんでしたね。でも、これに気をつけろと言われてもな。  僕は恐る恐る、逆立ちに近づいた。その時、水の束がうねり、僕の体をぐるりと取り巻いたかと思うと、上空に吹き上がらせた。  この雨につかまるって、つかむんじゃなくて、捕まるってことか。おじいさん、早く言ってくれ。できれば死ぬ前に。こんなに面白いことは。
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