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ぼんやりとしていると、残りわずかになっていた日が、さらにかげった。
わずかな明かりが、弱弱しい木漏れ日のように降り注いでくる。
何事かと上を見ると、そこには、僕がいるのとは比べ物にならないほど巨大な空中湖――いや、空中海があった。
端から端がよく見えないほど、途方もない。広さだけでなく、厚み――深さ?――も相当なものだ。まるで本当に地上の海が、そのまま空まで持ち上がったようだ。
あまりの壮大さに、頭がくらくらする。
その中を、巨大なクジラが何頭も、重なるように泳ぎあっていた。夕焼け色の中のその光景は、おそろしく神秘的だった。手足の先が、ぞわぞわとしびれて寒気がするほどに。
ふと、クジラとクジラの間に、木の葉のようなちいさな影を見つけた。
いや、遠いからそう見えるだけで、ゆらゆらとたゆたうそれは、人影だった。
僕は思わず声を上げた。
人影には、見覚えがある。間違いない。歩実だった。
歩実もここにいたのか。僕は、彼女の名前を呼んだ。
気づかないうちに、涙がこぼれていた。
死んでなんかいなかった。歩実は、ここにいたんだ。
僕が一人ぼっちになんてなるわけがなかった。一緒に帰れる。おじいさんも、きっと家にいる。一緒に帰るんだ。
空中海は、少しずつこちらへ向かって下降していた。クジラの巨体が、歩実の姿が、わずかずつ近づいてくる。
やがて、もう少しで、勢いよく蹴上がれば手が届くんじゃないかというくらい、空中海はそばにやってきた。水底近くにいる歩実の顔が、はっきりと見える。
「歩実!」
僕は手を伸ばす。
けれど届かない。
歩実の名前を何度も呼ぶ。でも、歩実は応えない。
その時、もう一つの人影が、歩実の上に見えた。ほっそりとした青年だ。その顔かたちに見覚えはない。でも、分かる。
「おじいさん!」
やはり青年も僕の声には応えない。
すると、今度は、空中海が上昇を始めた。歩実たちの姿はぐんぐんと僕から遠ざかる。
「歩実! こっちにくるんだ! おじいさん、一緒に帰ろう! 僕を一人にしないでくれ―――ッ!」
けれど、僕の言葉が届くことはなかった。
太陽が雲の端に消えるころ、クジラの群れと歩実は、黒色よりも深く遠い群青に染まり、はるかな空の向こうへ跳びすさって消えていった。
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