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「あ、やっぱ宮下さんだ」
「え、井田くん……?」
その人は顔なじみだった。大学で同じゼミ所属の、井田くん。下の名前は……申し訳ないけど、覚えていない。
「この辺に住んでんの?」
「うん、すぐそこ」
「俺もこの近くなんだ、奇遇だな」
まずい。よりによって同級生に会うとは。この街は通っている大学からほど遠いから油断していた。
私の非行が親にバレるのはもちろんまずいのだけど、同級生にバレるのもまずい。
だって大学でも真面目な優等生キャラとして過ごしているという理由があるから。
別にそういうキャラになるつもりはなかったのだけれど、親の言う通りに勉学に励んでいたら自然とそうなってしまった。
「実は夜中に買い食いするような不健康な奴だ」と後ろ指を指されるのも嫌だし、ここから噂が広まって親の耳に入ることにもなりかねない。
背中に冷や汗が伝った。
「いつもこんな時間に買い物来るの?」
「え……と、いつもという訳ではないんだけど。勉強の気分転換かな……」
早くここから立ち去りたかった。お願いだから早く会計をして欲しい。
……そもそも井田くんってこんなに話しかけてくる人だったっけ? 彼はいつも一人で静かに本を読んでいて、口数もすごく少ない人だった気がするんだけど……。
「あ、ごめん。俺深夜バイトってこれがはじめてだからちょっと心細くて……見知ってる人だったからつい声かけちゃった」
私の困惑が顔に出ていたのだろう、井田くんは申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。
その言動で逆に私も申し訳ないという気持ちになったので、私は慌てて言葉を紡いだ。
「あ、ううん! 深夜バイトするなんてすごいね」
「んー、家族のためだと思えば頑張れる」
「家族のため……?」
「俺んち、四人兄弟なの。全員男で皆よく食うから食費がバカにならなくてさ。
だからちょっとでも足しになればと思ってこのバイト始めてみたけど、夜中に眠気と戦いながら突っ立ってるのって結構きついね」
「そうなんだ……立派だなあ」
「まあね。でも、弟たちが可愛くて美味しいものをもっといっぱい食べて欲しいなあって思ってやってるから苦痛ではないよ。喜ぶ顔が見たいんだ」
陳腐な言葉しか出てこなかったが、私は素直に彼の行いに感心した。
流されるままに生きて、こんな刹那的で幼稚なやり方でしか自分を満足させられない私と違って、
彼は「家族のためなら頑張れる」と堅実的な方法で自分も家族も満足させようと努力しているのだ。
深夜の使い方が全然違う。途端に自分が恥ずかしくなった。
「俺は宮下さんも立派だと思うよ」
「え……?」
「九割の人が寝ちゃうような単調でつまらない講義でもちゃんと聴いてメモ取ってるし……。
あと、ゼミの純文学研究の発表するときに配ってたレジュメ、あれすごくわかりやすかった。いつも頑張ってるなあって思ってたよ」
何かが胸につまったような感覚がして、私は思わず泣きそうになった。
「そうするのは当然」と教えられてきて、「当然」だから褒められることもなかった。
だけどそれを見ていてくれて、「頑張ってる」と評価してくれる人がいるなんて思わなかった。
感激と後ろめたさがないまぜになった心で私は絞り出すように言葉を吐き出す。
「……でも、私がそうするのは『そうしなさい』って言われたから。従うのが楽だからそうしてるだけだよ。自分でやりたいと思ってる訳じゃない。
こんな風にこそこそ深夜に買い食いするくらいしか自己発散出来ないし……」
「理由は何でもさ、頑張ってるのは事実じゃん。頑張りはいつか自分の力になるし、誰かの力にもなると思うよ。現に俺は、宮下さんのこと見習いたいって思うし」
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