スタートのシグナル

1/4
前へ
/4ページ
次へ
――雨の日の「おやすみなさい」が、作戦開始の合図だ。 「おやすみなさい」 私は家族に眠るときの挨拶をして、自室に入るためにドアノブに手をかける。 無機質な「おやすみ」の返事とともに両親が散り散りにそれぞれの部屋へと入っていくのを見届けた後、私は一人にんまりとした。 ――今夜は雨だ。それだけで気分がうきうきとしてしまう。これから私だけのお楽しみタイムがはじまる。 ……こうしてはいられない。私も早く部屋に入って戦略を立てなければ。 「うーん……今日はプランBかな」 ベッドの中でスマホをいじり、コンビニ各社の公式サイトを眺めながら思案する。 ここから徒歩5分圏内にあるコンビニの新商品、「チョコミントバナナパフェ」が美味しそうだから今夜はこれをお目当てに出かけよう。 時間調整のためにあれこれネットサーフィンしているうちに時刻はいつの間にか午前一時だ。 私は布団から這い出て、パジャマから人に見られても恥ずかしくない程度の軽装に着替える。 出会うのなんてコンビニの店員くらいなのだけれど、パジャマで出歩くなんてことは私の体裁観念が許さない。 そろりと部屋から抜け出して、両親の部屋をこっそり覗く。 ――うん、二人とも深い深い夢の中だ。 私は安堵して、お気に入りの小花があしらわれたオレンジ色の傘とベージュのシックなデザインの財布を持って家を抜け出した。 しとしとと雨が降る中、閑静な住宅街を歩く。「閑静」とわざわざ言うくらいだから昼間でも人の往来が少なく静かな街ではあるが、夜、しかも雨が降っていると歩行者はおろか車にさえも遭遇することはない。 ここが私だけの場所で私だけの時間が流れているような感覚になって、とても気分が良かった。 ペトリコールと雨音を堪能しながら、私はゆっくりと歩を進める。 深夜に雨が降ると、私は決まってこんな風に外に出る。何故かというと……簡単に言えば「こっそり非行に走りたい」から。 私の両親は大分堅い考え方の保護者で、「門限は二十二時」だの「アルバイトは禁止」だの「一人暮らしは社会人になってから」だの、私に制限をかけて勉学に勤しませようとするタイプだった。私ももう成人しているし人並みに遊びたいという気持ちもありはするのだが、私が親に逆らうことはあまりなかった。 理由を端的に言えば「言うことを聞いていれば楽だから」だ。私が意見したところで考えを曲げるような人たちではないことは二十年以上一緒に暮らしているからもうわかりきっているし、 そもそも意見してまでやりたいことが私にはないのだ。両親の言うとおりに物事をこなしていればそれ相応のものが与えられるし無駄な軋轢やいざこざを起こして疲弊することもない。 そう、その方が「楽」なのだ。――そうすることが、たとえ「私」のためではなくて彼らの理想のためであったとしても。 ……だけどやっぱりうっぷんもたまる。だから私は誰にも知られないように「悪いこと」――深夜に出かけてコンビニで買い食い――をしてストレスを解消する。 だけど近所の人に出会って親に告げ口されたら困るし、変質者にだって会いたくない。 でもわざわざ真夜中に雨が降る中出かける人なんてそうそういないと思うから、私は雨の降る深夜に外出するのである。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加