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とある公爵令嬢に片思いをするようになったのはいつの事だろう。
わたしはふと考える。今は妻になったその令嬢は名をシェリア・フィーラという。わたしと結婚した時には十九歳だった彼女は現在、二十を三つばかり越した年になった。
十八歳かそこらの時はまだ、あどけなさの残る容貌だったが。現在は見違えるように大人の女性としての美しさを持つようになった。
深みのある青のまっすぐな髪と淡い琥珀色の瞳はつり目がちできつい印象を他人に与える。わたしからすると青の髪は神秘的で綺麗だと思うし琥珀色の瞳も同様だ。まあ、甥のエリックに彼女をとられずにすんでよかったと今では思う。
確か、五年ほど前にシェリアが学園の裏庭に呼び出されてエリックから、「他の女性を愛するようになった」とか言われたと語っていた。そして、エリックの傍らにいたのが現側妃のアリシアーナ嬢だった。その場でシェリアは婚約破棄を申し渡したらしい。
その後、エリックはシェリアと婚約破棄をしてアリシアーナ嬢と結婚をした。
わたしはエリックがアリシアーナ嬢と婚約をしたのを聞き付けて王城に乗り込んだ。シェリアを振り、選んだのが子爵令嬢という事実にわたしは苛つき、怒りも感じていた。
はっきり言って、あいつは一時の恋情のせいで目が曇ってしまったのではないかと思った。なんと、馬鹿な事をしでかしてくれたのだ。
シェリアはわたしの思い人であり、公爵令嬢でエリックにとっては王太子としての地盤固めには有益になる相手だ。それに、彼の大きな後ろ盾になりえる。
だから、泣く泣く諦めて一時は身を退いたというのに。今になって、婚約を破棄するだなんて正気とは思えない沙汰である。わたしは真顔のままでエリックの執務室へと急いだ。
エリックの執務室にたどり着くとドアの両脇に立つ騎士たちに挨拶をする。騎士たちはわたしだとわかると敬礼をして返事をしてくれた。
「…やあ、今日もご苦労様」
「…あ、これはラルフローレン公爵様。こちらこそ労いのお言葉をかけていただき、ありがとうございます」
「そうか。じゃあ、頑張って役目を果たしてほしい」
そういうと騎士たちは、わかりましたと言って前を向き直した。わたしはそれに笑顔で返すとドアをノックした。
二回ほどすると中から返答の声があった。わたしはドアノブをひねって中へと入る。
執務室には何故か、エリック一人だけがいた。わたしだと気づくとエリックは慌てて立ち上がり、こちらに近づいてきた。
わたしはドアを静かに閉めるとエリックに近寄る。少し離れた位置で互いに止まるとじっと見つめあった。
「…ラウル叔父上。一体、どうなさったのです。こんな夕暮れに来られるのは珍しいですね」
「…君がフィーラ公爵令嬢と婚約破棄をしたと聞いてね。それで慌てて来たんだが」
フィーラ公爵令嬢と言った途端にエリックの顔から表情が抜け落ちた。無表情になった彼は俯いたがぽつりと答えた。
「…聞いたんですか。ええ、確かにフィーラ公爵令嬢とは婚約を白紙に戻しました。わたし、いや俺は。どうしても、彼女には悪いとは思ってはいるんです。けど、彼女は自身がアリシアーナと寵愛を競うのは嫌だと言いました。だから、婚約を破棄するしかなかった」
わたしはそれを聞いて、こいつはどういう了見をしていやがると悪態をつきたくなった。
「…エリック。君、まだフィーラ公爵令嬢を諦めていないのか?」
ふと、考えて言った言葉にエリックは勢いよく、俯けていた顔を上げた。
「…それはわかりません。ただ、アリシアーナを諦めてシェリアをとる道を選ぼうと考えはしましたが」
「…てことは、シェリア殿とアリシアーナ嬢二人を同時に妃にしようと思ったのか。それとも、破棄をされてシェリア殿が惜しくなったか?」
わたしは自然と語気を鋭くして言っていた。エリックは悲しげな表情になる。
「叔父上。俺はシェリアを昔は好きでした。でも、それは憧れでしかなかった。彼女は気が強くていつも、一人で先を進んでいく。そんなシェリアを追いかけていくのに次第に疲れたんです。アリシアーナはそんな頃に出会った。アリシアは俺を癒してくれました」
エリックはそこまで語ると黙った。わたしはふうむと唸るしかない。腕を組んでエリックを睨みつける。
「…お前な、結局どちらが良いんだ。はっきりしろ!」
「…シェリアはその。もう、俺とやり直すつもりはないと言っていました。だから、アリシアを選びます」
エリックがそういい終えた瞬間、わたしは彼の胸ぐらを掴んでいた。
「…ほう、なんだ。シェリア殿を選ぶと思っていたんだがな。まさか、あの女を選ぶとはな。わかった、エリック。お前をわたしは助けない。自身の力のみでアリシアーナを正妃だと周囲に認めさせるんだな。せいぜい、あがけ」
「…叔父上」
「これだけは言っておく。わたしはシェリアに求婚をするつもりだ。もし、邪魔をするようならお前に反旗を翻してやる。まあ、シェリアを選ばなかった自身に後悔でもしていろ」
そう言って胸ぐらを離してやった。エリックはしわになった襟を直しながらわたしを見やった。
「…叔父上。本当にシェリアを好きなんですね」
「…当たり前だ。お前より、片思い歴は長いぞ」
「そうなんですね。わかりました、シェリアを俺の分も幸せにしてあげてください」
「お前な。そういう所が気に入らないんだよ」
わたしはふて腐れながらエリックに再び、近づいた。頭をがつんとげんこつで殴ってやる。
「叔父上?!」
「…本当は顔を殴ってやりたいところだが。まあ、お前は甥だし。頭をげんこつで勘弁してやる」
「…すみません」
「謝るんだったら、シェリア殿にするんだな。後で謝りの手紙でも出しておけ」
そういうとエリックは幼い頃のようにはにかんで笑った。もやもやとした気持ちのままでわたしはエリックの執務室を出たのだった。
その後、わたしはシェリアと正式に結婚した。五年ほど前の頃を思い出していたら、我が娘のシェイラがわたしに走って近づいてきた。
「…ねえねえ、お父様!何か、考え事?」
無邪気な笑顔で尋ねてくる。わたしは笑顔で答える。
「…ああ、昔の事をね。思い出していたんだ。いとこのエリック様やお母様の事を」
「ふうん。そうなんだ。お母様、お若い頃はどうだったの?」
「それはもう綺麗な人だったよ。お父様が好きになった人だからね。まあ、今だって変わらないけど」
そういうとシェイラはよくわからないといった顔をする。まあ、まだ四歳だからな。初恋も未経験なシェイラには理解しにくいだろう。
そう思いながらわたしは両手を彼女に差し出した。
「ほら、おいで。抱っこしてあげよう」
そう言って促すとシェイラはやったと笑いながらわたしに抱きついてくる。その様子が愛くるしい。
言葉通りに抱き上げてやるとシェイラはきゃっきゃっとはしゃいで楽しそうにしている。
「ふふっ。シェイラはお父様が好きだわ。お母様も好きだけど」
「へえ。それは嬉しい事を言ってくれるね。でも、シェイラ。もし、これから先に好きな人ができたらお父様に教えておくれ。いいね?」
「…わかった。そんな人ができたらお父様に真っ先に教えるね」
シェイラはにっこりと笑いながらも頷いた。
「…じゃあ、約束だよ」
「うん!約束ね」
わたしはシェイラの素直な返事に頬を緩めたのだった。
「…あら、ラウル様。シェイラがこちらに来ませんでした?」
二人してひとしきり笑いあった後、寝てしまったシェイラを膝の上に乗せていたら妻がやってきた。ちなみにわたしはバルコニーにカウチを置いてそこに座っていた。
「…ああ、シェイラだったらここにいるよ。よく寝ているからそぅっと部屋に運んだ方が良さそうだね」
「確かにそうですね。わかりました、侍女たちにはシェイラがラウル様のお部屋にいると伝えておきます」
「そうしておくれ。まあ、シェイラでなくとも膝の上に君が寝てくれてもわたしは良いんだけどね」
そう言いながら片目をつむって笑いかける。だが、シェリアはうろんげにこちらを見ただけだった。
「…ラウル様。子供の前で変な事を言わないでください。誤解されても知りませんよ?」
「ああ、わかったよ。悪かった」
あっさり謝るとシェリアはため息をつきながらこちらに近寄ってきた。
「本当によく寝ていますね。上掛けを持ってきます」
「ありがとう。そうしてくれると助かるよ」
「では、一旦失礼しますね」
シェリアは部屋を出ていった。
その後、もう一度、シェリアは部屋に戻ってきた。
「…ラウル様。上掛けを持ってきました」
小声で言ってきた彼女に礼を告げて娘のシェイラをそっと抱き上げた。ふにゃっとしていて柔らかい幼子特有の高い体温が手に伝わる。シェイラも後十年もしたら、今みたいに甘えてくる事は無くなるだろう。それまでに思いっきり、相手をしてやりたい。
そんな事を思いながらも自室を出てシェイラの子供部屋に向かう。自室のある南側の棟を出て西側に行く。シェリアも後を付いてくる。シェイラはよく寝ていて一向に起きなかった。わたしが西側の棟にたどり着くと侍女たちが静かに近づいてきた。
「…旦那様。お嬢様を連れてきてくださったんですね。すみません」
「ああ、気にしなくていい。それより、シェイラはよく寝ているから。起こさないように気をつけてくれ」
「…わかりました。では、お部屋にどうぞ」
侍女の一人が受け答えをしてドアをそっと開けてくれた。わたしは中に入るとシェイラの子供部屋の寝室に入る。
子供用の小さなベッドの側まで来た。薄いピンク色の可愛らしい賭け布をめくるとベッドの上にそっとシェイラの体を横たえた。
「…ん。お父様」
寝言をいう娘にわたしは小さく笑った。横にいつのまにか妻のシェリアが立っていた。
「…本当にラウル様の事が好きなんですよね。わたくしにも甘えてはくれるのですけど」
「そうか。でも、君の事も好きだとシェイラは言っていたよ」
「はあ。何か、ついでで言われたような感じがしなくもないですね」
シェリアはため息をまたついた。わたしは苦笑いする。
「そんなことはないと思うけど」
「…さあ、わたくしにはわかりません。それよりも部屋を出ましょう」
「わかった。寝室に戻ろうか、シェリア」
寝室と意味を込めて言うとシェリアは顔をうっすらと赤らめた。意味は伝わったらしい。わたしはシェリアの手を引いて子供部屋を出た。
シェリアと寝室に行った後だった。わたしは入浴をしに行った妻を待ちながら、ふと昔の事を思い出した。
甥の陛下ことエリックの事や側妃のアリシアーナ嬢についてだった。あの執務室での一件の後、エリックは兄上、つまりは前国王にアリシアーナ嬢を正妃にしたいと直談判したらしい。それを受けてアリシアーナ嬢に王妃教育を受けさせる運びになった。
だが、アリシアーナ嬢には素養があっても時間が足りなかった。そして、本人のやる気もだ。
王妃になるため、歴史や経済、政治などの授業を受けていても上の空でさぼったりも時々、していたと義姉の王妃様はわたしに愚痴をこぼしていた事もある。そうして、エリックの後押しはあれど後ろ楯になるはずの実家もあまりに弱い。
彼女の資質にも問題が大いにあると王妃様や宰相、有力な貴族も判断した。それにより、エリックはアリシアーナ嬢を正妃に迎える事を周囲からは強く反対されたのだった。王太子でいた頃はアリシアーナ嬢一人だけに向けられていた愛情も王になってからはそれも薄れ始めた。
アリシアーナ嬢を養女に迎えてくれる高位の貴族も見つからず、わたしもあえて協力はしなかった。
むしろ、わたしはアリシアーナ嬢の実家のフェンディ子爵家が税を不当に受けとっていた事や詐欺に手を出していた情報を掴んでいた。それをエリックや前国王に報告を内密にしたのである。
エリックはアリシアーナ嬢もその件に絡んでいたと聞くと表情を一変させていた。
『…アリシアーナが犯罪に手を染めていたとは。これでは反対されて当然だな』
嘲るように笑うとぞっとするほどの笑みを彼が浮かべていたのは未だに覚えている。
その後、アリシアーナ嬢は正妃候補から外された。彼女がどんなに訴えても冤罪にはならなかった。
王太子を誘惑するために精神操作ができる魔術を使っていたこと、他の有力貴族の子弟たちを騙し、金を巻き上げようとしていた事が明るみになり彼女の実家は両親や兄弟が牢屋行きとなった。アリシアーナ嬢自身も王都追放となった。
だが、エリックは愛想が尽きたとはいえ、自分の愛した人なのだからと前国王に離宮に幽閉する事を懇願した。それにより、特別にアリシアーナ嬢は側妃として迎えられる事になる。まあ、彼女との間に子供ができても王位継承権はないらしいが。
そこまでを思い出してふうとため息をついた。かちゃりとドアが開く音がして妻のシェリアが寝室に入ってきた。わたしはまだ、入浴を終えたばかりのシェリアに笑いかけたのだった。
終わり
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