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夕立もすぎ去り、空は先程の雨が嘘のように晴れていた。
ドアが開く。
そこから綾は半身を出した。
「お客さん!お釣お釣!」
今日、初めての運転手の大きな声だ。
ほとんど聞き取れなかった言葉ではない。
綾はお釣を受け取る。
「お客さん。嫌な思いをさせちまったでしょう。昔から仏頂面で喋りの方もうまくないから」
「いいえ。話を聞いてくれてありがとうございました。本当にまたの機会があれば、とっておきのポエムを披露しますね!」
うーん、と背伸びをすると綾は自社のビルへと入っていった。
▽▽▽
前を走っていたタクシーが停まるのに合わせて、男も自身の車を停車させた。
スーツ姿の綾が颯爽と歩いていく。
それを見送ってから、助手席に座る女を見た。
ひどく震えている。
懸命にドアを開けようとしている。
その指からは、ネイルチップが一つだけ剥がれていた。
運転席に座る男は、路上ライブをしているときに何度か聴きにきてくれた客だった。
優しそうに見えた。それにタイプだった。
だから今日、夕立にあって困っているときに声をかけられて嬉しかった。
ドライブに誘われても何の疑いもなく、乗車した。
シートベルトのつけ方がわからない女のかわりにつけてくれたとき、微かに香りがした。
香水だ。その香りにもときめいた。
しかし。
「……人体を切り取って収集するのが趣味なんですよ」
「え。冗談だよね?ねえ?」
そこからの男との会話は、ほとんど耳に入ってこなかった。
暗い人間だと罵りもした。
それに対して男はどう返したか?
覚えていない。
「うっ、うっ」
女の目から涙が次から次へと溢れていく。
男はそんな彼女の髪を優しく梳いた。
それから頭部に口づけると、車を発車させた。
〈終〉
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