悲劇の勇者と名無しの聖女

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魔王討伐の旅に出て二年。この旅で私は多くのことを学んだ。 神殿にいた時だって何もしていなかったわけじゃない。聖女としての立ち振る舞いや必要な知識、マナー、魔術の扱い方。国のため、民のため。聖女として相応しく在れるよう必死に学んだはずだった。 それなのに何も知らない。 戦闘に関する動き方や知識。一般的な生活を送るために必要な料理や買い物などのやり方。 生きるために必要なものを何一つ知らなかった。 「そりゃあ、都合のいい聖女サマでいてくれないと困るからだろ」 そのことに気付いて落ち込む私に、そう吐き捨てたのは勇者だ。 何時になくキツイ物言いと眉間に寄せられた深いしわ。不愉快さを前面に出されて、更に落ち込む。 「……ごめんなさい」 「……あ、悪い。お前に腹立てたわけじゃないんだ」 きまり悪そうに視線を逸らした勇者は、一度口を開きかけて、閉じる。そのあと無言で頭を撫でられた。 勇者は、口は悪いが優しいのだ。旅の初日、早めに休もうとしたのも私を気遣ってのことだと、ずいぶん後になってからカルラさんに聞いた。 そんな優しい勇者が時折見せる憎悪は、いつも国に向けられている。薄々気付いてはいたものの、勇者との距離が近くなるほど。その強すぎる負の感情に気圧された。 彼は国を憎んでいる。 私がそれまで国を崇拝していた温度と同じかそれ以上に、彼は国を恨んでいるのだ。 神殿を出る前の何も知らなかった私だったのなら、無駄な正義感と義務感で国の尊さを吐いていたに違いない。 そうならなかったのは私にカルラさんを始め、聖騎士のジークハルトさん、拳闘士のホルガーさん、弓士のリタさんが色んなことを教えてくれたおかげだ。 勇者が諭してくれたおかげだ。 そのおかげで私は、普通の人間として今を生きていける。 神殿では崇められ、傅かれ、大事にされてきたけれど。誰も普通の人間にとって正しいことを教えてくれなかった。あのまま神殿に居続けたらどうなっていたか。考えるだけでぞっとする。 「魔王討伐が終わって神殿に帰っても、都合のいい聖女になりません。私は皆が誇ってくれるような聖女になりたい」 本当になんとなく。そうするべきだと思って、そんな決意を口にした。 「……ありがとう。ごめんな」 消えてしまいそうな小さな声は、今にも泣きだしてしまいそうだった。
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