ゼロかイチかの恋心

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 う、わぁ。雨が降ってきちゃった。  期末試験が終わった直後、学校が終わった四時過ぎ。   梅雨がもうすぐ開けるっていうのに、まだ降るんだ。今はポツポツと小雨だけど、間違いなくこれからしっかりと降ってきそうだよな。  そう思って鞄の中から折り畳み傘を出し、さした。  早く帰ろう。  うまくいけば三十分以内には帰れる。  少し早歩きになりながら、そんなことを思っていると、だんだんと本降りになってきた。  あっちゃあ。  風が強いせいか、雨が私の体にもろにあたる。そのせいで、せっかく持ってきたお気に入りの鞄もびしゃびしゃになってしまっていた。  濡れてしまった鞄のことは諦めながらも、やはり気分は重い。俯きながら雨の中を歩く私の体も重かった。  その時、ふと、視界の端に人影が映りこむ。  うん? あれって?  それは幼馴染でもあり、今現在も、高校の同級生でもあるヤツ――蓼科大輔――だ。どうやら、彼は傘を持っていなかったようで、近くのもう営業していない駄菓子屋さんの軒下で雨宿りしていた。 「おーい、優衣!」  男も私に気付いたのか、大きく手を振り、自分の方へ招いた。  私が駆け寄ると、彼はすまん、と謝ってきた。 「妹に傘を貸したまま、忘れてたんだ」  どうやら、私と帰る方向が同じだから一緒に傘に入れてほしいようだ。 「いいよ」  私はクスリと笑い、彼を招き入れた。    彼は昔から背が高く、イケメンだし、勉強もでき、スポーツも万能。  だが、こんな感じで彼にもおっちょこちょいな部分がある。  それを唯一、私だけが知っている。  ほかの誰にも知らないことを知っている。  今はちょっと特別な時間だった。  少しだけ雨が小降りになるまで軒下で学校での出来事を話して、そのあとも笑いながら帰った。雨宿りした駄菓子屋さんから私たちの家までの距離は近い。先に着いたのは大輔の家だった。 「じゃあ、また明日」  そう言いながら手を振る大輔の笑みはいつもと同じだ。  そこに深い意味もないことを知っている。 「うん。じゃあ、また明日ね」  私も手を振って自宅に戻った。  明日からまた、同級生として会おうね。  自宅に戻った私は、夕ご飯の準備をしながら、ほんの少し前に彼と相合傘をしていた時のことを思い出していて、少しハッピーな気分だった。  大輔とは幼いときから、家族ぐるみでの付き合いがある。  だけど、あいつは私と違って、クラスの人気者だ。  親衛隊と呼ばれる女子のファンがいて、放課中も帰り際も、互いに抜け駆けしないように目を光らせているのを知っていた。  そんな彼なのだが、実は不思議なことがある。  彼は何度か、進学校やスポーツ強豪校と呼ばれるところからお呼ばれしたことがあるらしいが、それを蹴って地元の高校に進学している、という。  同級生たちの話を聞いた私は母親経由で彼にこっそりと、何度か聞いてもらったことがあるのだが、いまだにはっきりとした回答をしてもらっていない。  でも、今更、あいつが心変わりしたところで、あいつにとって有意義だったはずの時間は戻ってこない。だからそれ以上、問いかけなかった。 「優衣、手元が疎かになっているよ」  お母さんの注意で、はっと周りを確認した。どうやら、幸福に浸っている間にかき混ぜていた卵が周りに飛びちってたようだ。 「ごめん、お母さん」  慌てて台ふきでテーブルを拭いて、今度は意識を集中して、卵をかきまぜた。  いっただきまぁす。  小さい時から、家族四人、ほとんど揃うことのない我が家では、こうやって揃う機会は貴重だ。 「優衣、大輔君とはうまくいっているのかい?」 「へっ?」  お父さんの言葉に、私は変な声を上げ、持っていたアジフライを落としてしまった。 「いやぁ、小さいころから優衣はずっと『大輔君のお嫁さんになる』って言ってたからさ。そのおかげで、大輔君、有名進学校へ行くのをやめてお前と同じ高校へ通ってるんだぞ」  お父さんの発言に、自分でも呆れちゃった。  まさか、あいつが私の言葉のためにずっと、近くにいてくれたなんて。  しかも、それを言った本人の私が、すっかり忘れているなんて。  でも、どうやったら、感謝と謝罪を彼に伝えられるんだろう?  そして、もう、私のためにいてくれなくてもいいんだよって言えるんだろう?  その日は眠れなかったせいで、翌日、寝不足の目をこすりながら、学校へ向かうと、クラスメイトの愛理がニコニコしながら私を待っていた。 「ねぇ。今日のお昼、蓼科君が誰かに告白するんだって」  どうやら、たった今、仕入れてきた情報らしく、クラスでも数人しか知っていないようだった。  彼女が言うには、生徒会が主催した企画『あなたの告白、応援します!』っていう企画を急遽開催することになったらしい。  へぇ。  ま、私が忘れていたからアレだけれど、あいつ、どんな子に告白するのかな?  私は少し気になったけど、多分、あいつもオトシゴロだ。  私が口を出したところで、いい気分にはならないだろう。 「へぇ。そうなんだ」  あえて、気がないふりをした。ほかのクラスの女の子たちはみんな、はしゃいでいるけど、私はそれに便乗しないことにした。  だが、心臓はバクバクと音を立てているのに気づいた。  なんでだろう。  なんで、こんなにバクバクと音を立てるのだろう?  理由が分からなかった。  午前中の授業は気がそぞろだった。  国語の授業ではぼんやりしていて、当てられたことにも気づかずにしかられ、数学の小テストで些細なミスを連発していた。  お昼になってもモヤモヤが晴れず、ぼんやりとしていると、急に明るい曲がスピーカーから流れてきた。 『はぁい。みんな、元気かなぁ?』  明るい曲とともに聞こえてきたのは、テンションだけで生徒会会長になったとかという伝説の先輩の声。 『今日はぁ、みんなの告白、応援しちゃうぞってことで、どんな形であっても良いんだぁ。告白したい人に来てもらいましたぁ!』  その声に、男女問わず歓声が教室内に響く。 『さぁて、初めは二年一組、新妻愛理さんっ!』  愛理もどうやら参加者の一人だったみたい。  私は野次馬根性で、内容を聞くと、どうやら部活の先輩に《その先輩が所有している器具を壊したこと》告白したようだった。  いや、駄目でしょ。  そんなようなノリの可愛らしい《告白》が続いた。  時にはクラス内で失笑を買うような《告白》もあったが、どれもあまり一過性の話題にしかならなさそうだった。  ま、それはそれで、いいんだろうけど。 『さぁ。最後は二年三組ぃ、蓼科大輔君!』  生徒会長のアナウンスがあった途端、教室内はザワついた。  誰が蓼科大輔(あいつ)のハートを射止めたのか。その答えがもうすぐ明かされる。  私も幼馴染として、気になっていた。 『二年一組の佐々木優衣さん――――! 小学校からあなたのことが好きでしたっ! どうか、僕と付き合ってください!』  その声が聞こえた刹那、クラス全体、ひいては学年、学校全体がシンと波を打ったように静かになった。  そりゃそうだろう。  だって、美少女とはほど遠いはずの私だよ。  私は自分自身の名前が呼ばれたはずなのに、どこかぼんやりしていた。  しかし、それはすぐに現実として認識しなきゃいけなくなった。 「優衣――――!」  教室にやってきたのは、ほんの今、公開告白をした大輔だった。  私は周りの女子の鋭い視線が気になって、しょうがない。  だけど、そんな視線をものともせず、大輔は私をしっかりと見ていた。 「もう一度言う。小学校の時から、お前のことが好きだ。付き合ってくれ」  彼が頭を下げた。  周りは固唾をのんで私たちを見守っている。  多分、親衛隊の人たちは、私が断ってくれることを心の中で祈っているだろう。  だが、私は自身の(よくぼう)に従うことにした。  心臓のバクバクも、なんかモヤモヤもきっと、このせいだったんだ。  今ならそうはっきり言える。 「はい。こちらこそお願いします」 そう言った私の顔は赤かったと思う。 だけど、全然、確認する余裕はなかった。  突然のカップル成立と共に、二年生フロア内に歓声が響き渡った。中にはため息や残念がる声も聞こえたが、おめでとう、という声の方が大きかった。 「あーあ。良いところ見逃しちゃった」  あの後、すぐにあいつは、また帰りに、なんて言って去っていった。怒涛の展開にぼんやりとしていた私の耳元で囁いたのは、愛理だった。  まぁ、これからあんた大変になるわねぇ、と遠い目をして言われた私は気付いた。  なんで、私を選んだのだろうか、と。  あいつは、小学校の頃から私を好きだった、と言ってたけど、それはあの言葉のせいじゃないの?  私の中に、もう一回、黒い靄のようなものがかかった。  午後の授業も終わり、帰り支度をしてると、大輔が迎えに来た。 「よう」  短い言葉だったが、あいつもまだこんな関係に慣れてないのだろう。顔が赤い。 「うん」  私もきっと顔が真っ赤だろう。  それに気づかれないようにさっと鞄を持ち、大輔のもとへ駆け寄った。 「じゃあ、帰ろっか」 「うん」  時々、交わした言葉はセンテンスというよりも、フレーズと言った方が正しいかった。でも、そこには色々な思いが隠されてるのだと思いたい。  その後もぽつりぽつりと大輔と話したが、なかなか長くは続かなかった。  世の中のカップルってこんなものなのかな? 「ねぇ」  自宅の五十メートル手前。私は今日、一番聞きたかったことを尋ねた。 「どうして私のことが好きなの? 好きになったのって、もしかして、あの小学校の時に言ったっていう私の言葉のせいなの?」  私の問いかけに、いや、違う、ときっぱりと否定した大輔。 「そう言われる前から、お前のことが好きだった。だけど、俺がどんなに態度で示していてもお前は気づかなかった。ここに入学したのだって、お前が好きだからだ。ここまでお前にくっついてきたけど、でも、本当は、不安でしょうがなかった。お前が俺のことをただの幼馴染としてしか、見てないんじゃないのかってな」  実際そうだったみたいだけど、と苦笑いしながら言う。 「だから、ゼロかイチかの気持ちを確かめるために、あの企画を作ってもらったんだ」  どうやら、あの企画自体、大輔が生徒会に持ち込んだもののようだった。  嵌められた感が半端なかったが、嵌められて悔しい、というよりもさすが大輔、としか思えなかった。 「でも、親衛隊の人たちとは何か、揉めなかったの?」  一つ気がかりだったことを聞いた。  すると、お前ってやつはなぁ、とあきれた声で返された。 「もともとあいつらはお前と付き合うことを前提にして組まれたものだ」  彼の口から出された衝撃の事実に、ただ目を瞠るしかなかった。 「もし、万が一、俺に近づこうとするやつがいても、直接は仕掛けてこずに、近くにいる人間に牙をむく。それを前提にして作られたんだ」  ちなみに、立花先輩から、入学時に提案されたんだ、という大輔。私は彼の口から出てきた名前に唖然とした。  その先輩というのは、昨年度の生徒会副会長でもあり、女子柔道部の副部長も務めていた人だ。 「親衛隊のメンバーは剣道や柔道、合気道の有段者ばかりで、お前のことを俺のカノジョと認めてる奴ばっかだ」  大輔の言葉に、言われてみれば、と思い出した。  確かに、名前は知らなかったけど、同級生で表彰されていた子たちもメンバーにいたような―――― 「だろ?」  私が彼女たちの姿を思い出したのが分かったのか、そう尋ねてきた。 「うん」  これで、私の中に渦巻いていた靄がすっきりとはれた。  そして、数分後。  今日は私の家に着いてしまった。 「じゃあ、また明日」  そう言いながら手を振る大輔の笑みはいつもと同じだ。  そこに深い意味もないことを知っている。 「うん。じゃあ、また明日ね」  私もそう返す。  昨日と同じ別れのあいさつ。  でも、昨日と今日じゃ全然、意味が違う。  ゼロかイチかの恋。  きっと明日も続くよね。
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