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「ごめん、理沙。三十秒だけあっち向いてて」
「えっ?」
「うちの押入れ、とんでもなく荒れてるから。見たら呪われちゃうかも?」
「何よそれ~」
笑いながらも理沙は、素直に窓の方へと向き直る。すかさず押入れの開き戸を開けて、古い三面鏡を雑に突っ込んだ。
住人のわたしでさえ押し入れの中をよく見る気にはならない。呪われることはないにしても、ほろ酔い気分が台無しになりかねない。
「最近、日本中で地震多いよねー。このあたりは今のところ難を逃れてるけど、いつ大きなのが来てもおかしくないって、うちの親が騒いでるよ」
窓の外の暗い空を眺めながら、理沙は普段あまり選ばない話題を口にした。
「あー、うちの親もときどき、そっち大丈夫なのって電話してくるよ。
大丈夫じゃない事態が起きてたら、わたしが連絡するより先に全国ニュースに出るっての」
「琴美の実家遠いからさ、お母さんたち心配なんだよ」
「この前なんか、ものすごく重たい段ボールが何箱も送られてきてさ、開けてみたら大量のミネラルウォーターとか保存食の缶詰なの」
「母の愛だねぇ。地震以外にも水害とか台風とか、昔よりも全国的に増えてる感じするもんね。
ひとりっきりで暮らす娘が非常時に生き延びられるように考えてるんだなぁ」
理沙の言葉に「そんないいもんじゃないよ」と、わたしは肩をすくめた。
実際、母だってすぐに何か災害が起きると考えているわけではなく、ただ大量の物を備えているということに安心感を覚えているだけに違いない。
その取り立てて目的のない所有欲には、わたしも心当たりがある。
スタイリッシュかつ最適化された都会で生まれ育ち、ミニマリスト生活に片足を突っ込んだ理沙にはわからない感覚だろう。
送られてきた非常用の食品類は、これまた全部、押し入れに突っ込んだ。ひとまず、母の目論み通り備蓄にはなったわけだ。
数年は賞味期限がもつみたいなので、大学を卒業してこの部屋を出ていく日まで押し入れの中に眠ったままになるだろう。
もしものときのために準備した物なんて、大概が使わずに終わる運命なのだから。
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