白いワンピースの裾が汚れている

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 翌日ショッピングモールの裏を通ったとき、そこでゴミ袋に詰め込まれた笹を見つけた。願い事が死んでいると思った。彼女はそれに気づいていないみたいだったから、僕は七夕の死体たちを見なかったことにした。  ビル群の影が途切れたころ、僕はようやくその日の陽射しが強かったことに気づいた。それは紬も同じだったらしく、「日焼け止め、塗っておけばよかった」と呟いた。もうすぐ死ぬのだから関係ないのではないかと思っていたら、数秒の間を置いて、彼女がまったく同じようなことを口にした。 「暑い」  彼女はそう言うと、斜め掛けのバッグからペットボトルのお茶を取り出した。時間を掛けてラベルの下まで飲んだあと、額の汗を手のひらで拭い、また「暑い」と呟いた。頬の青かった痣は若干の黄色が入り交じっていた。  電車に乗って三十分が経つころにはもうほとんど建築物が見られなくなっていた。地面に敷かれた田んぼからは青々しい稲たちがこちらを眺めていて、上に広がる青い空を、飛行機が白い尾を引きながら横切っていった。  ICカードが使えなかったので、駅員に運賃の精算をしてもらってから改札を出た。人の気配を全く感じないような、静かな土地だった。ひらり、紬のワンピースが波を打ち、痣だらけの左脚が一歩を踏み出した。 「人がいない場所に来ても、やっぱり暑いものは暑いね」  どうすれば彼女を救えるか、ずっと考えていた。どうしても正解が浮かばなかった。ひらり、ひらり。前を歩く彼女のワンピースが、「救いなんてないよ」と言っているみたいだった。死んだら何もかも終わりなんだよ。誰かがそんなことを言っていたけど、やっぱり僕にはそれに正当性を見いだせなかった。死ぬ前に結末が決まっていることが、確かにあると思った。 「やっぱりどうすれば君を止められるのか、わからなかった」  彼女は眉尻を下げて笑ったあと、うん、うんと何度も頷いた。さっき見えた飛行機雲はもうどこにもいなくて、代わりに白い水彩絵の具を引き延ばしたような雲が浮かんでいた。 「君はたぶん、私を止められないと思う」  どうして恋人の自殺を止められないのか。答えは明白だった。 「苦しんで生き延びるより、それを断ち切って死んでしまう方が君にとってはずっと幸せなんだと思う」  人の自殺を止めるのにはそれ相応の責任が伴う。僕には、彼女の苦しみを凌駕する「生きたい」を感じさせることができそうになかった。紬の人生を背負うのが怖いとかそういう話ではなくて、彼女の心が負った傷は、ここ数年付き合っただけの僕がどうこうできるようなものではなかった。 「僕は、やっぱり、君に幸せになってほしいと思う」  ちりん、ちりん。風鈴の音を聞いた気がした。周りを見渡してみても、風鈴を吊してそうな民家は見当たらなかった。 「どうして?」  ぴたり、彼女が立ち止まった。その拍子にそれまで舞っていたワンピースの裾がすとんと垂れ下がってしまって、悲しんでいるみたいだと思った。 「君が好きだから」  紬は胸の内側で堪えるみたいに笑ったあと、「うん、そっか」とまた頷いた。丸い目の端っこが、太陽の光のせいなのか、きらきらと星みたいに輝いていた。
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