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私は、人形が苦手だ。
無表情な顔、それから上目遣いで永遠に一点を見続ける目。
そしてプラスチック素材の、悪趣味なぬるぬるとした肌の質感、全てが気持ち悪い。
日本人形に至っては、論外だ。
この前祖母の家に泊まったとき、廊下に飾られてあるのを見付けた。
あの不気味な笑顔と今にも伸びそうな髪だけでも駄目なのに、暗くなると、顔全体に影が差して、何かを企んでいるような顔になる。
目が合ったら呪われそうな気がした。
恐ろしくて、私はその数日間、夜は絶対にトイレに起きないようにつとめたほどだ。
――――。
「お姉ちゃん、見て見て! このお人形さん、こんなに楽しそうに踊ってるよ」
だから今、リビングで歳の離れた妹が人形で遊んでいるのを見て、私は不愉快な気持ちになった。
「止めなさいよ、気持ち悪い!」
おまけに妹はまだ幼くて、とてもお転婆だから、その胴体をつかんでブンブン振り回していて、危ない。
人形は、クリーム色のドレスを着た金髪の西洋人で、青い瞳をしている。
(まったく・・・)
私は妹と、関節の惨(むご)たらしくねじまがった人形を睨みつけると、
その人形の瞳を見て、ふと思い出す。
人形といえば、もう一つ、記憶に残っているではないか。
今の妹と同じくらいの、幼稚園の頃。
青い瞳の人形を、私も持っていた。
思い出す。
昔は、寝るとき、人形と一緒だったんだっけ。
あの日の夜は、なかなか眠れなくて時おり寝返りを打っていた。
いつも通り、人形をベッドの横に置いていた。
そして、ふと目を開けると、人形と目が合う。
その時まではまだ、瞳を捉えるたびに「お人形さん、あなたも眠れないのね」などと語りかけていたのだが。
――次の瞬間、人形の首が落ちてきて、毛布の上、私の胸元ににごろごろと転がった。
長く遊んでいるうちに、首の部分が緩くなっていたのだろうか。
垂れた長髪の隙間から、虚ろな目がのぞき――。
「きゃあっ」
私は飛び起き、たまらず人形の生首を放りなげた。
床にぶつかった時、ガシャン、と思ったよりひどい音がした。
人形の顔には、ヒビが入って、完全に壊れてしまった。
半泣きで、髪の毛ごと首をつまみ上げた瞬間――、
「!?」
ぎょろり。
動かないはずの瞳が、恨めしそうに私を見つめていた。
その後、パニック状態で物置の奥に押し込めて、いつしか人形のことは忘れてしまっていた。
今思えば、寝ぼけていて、見間違えただけかもしれない。
でも、そうだ。私はあの一件以来、人形が恐ろしくなったんだ。
ああ、考えれば考えるほど気味が悪い。どうして、捨てておかなかったんだろう。
同じ部屋にあれがあると思うと、もう想像しただけで恐ろしい。
――――。――――。
私は意を決して、人形を処分することにした。
「よいしょ……っと」
部屋の物置を開けて、手前の方に入れてあった大きな箱を全てどける。
記憶が確かならば一番奥、小さな段ボール箱の底に、封印でもするかのように隠したんだった。
――あったあった。この箱だ。
ボロボロの段ボールだ。
積もった塵を指ではらう。
私は深呼吸をして目を閉じると、その埃っぽいふたを一気に開ける。
「…………っ」
箱の中に両手を突っ込みながら、おそるおそる、薄目を開ける。
「……ん」
しかし、その中にバラバラの首と胴体は無く、代わりに一本のビデオテープが入っていた。
ビデオテープは、ケースには入っておらず、むき出しになっている。
「何、コレ……?」
そんな、ぬるりとした黒いプラスチックの固形物を裏返す。
ラベルは貼られていなくて、何のビデオなのか全く分からない。
今どき、ビデオテープなんかが出て来るとは。
でも、こんなビデオ、持ってたっけ?
なんだろうと思い、同じ物置からビデオデッキ付きのアナログテレビを引っ張り出して再生する。
デッキがテープを読み込んでいる。
再生直前の黒い画面にも、ところどころ砂嵐が入り、しま模様が上下をかすめる。かなり状態が悪いようだ。
映し出されたのは、暗い背景。
そしてその中央部に、僅かな蛍光灯の光を受けて佇むのはクローゼットのような大きなもの。
ひな飾りだ。
左下に映っている撮影日の数字は、ちょうど私が、幼稚園の年齢だった時の、ひな祭りのもの。
この年は、たしか、雛祭りパーティーを友達の家でやって、そうだ。
これはあの時のビデオのようだ。
たぶん、友達のお母さんが撮影して、ビデオに焼いて参加者に配ってくれた映像だろう。
それにしても、暗すぎないだろうか。
ビデオの状態がそんなに悪いのだろうか。
テレビの画面は、ビデオが始まってからずっと、立派な雛飾りの全体像をじっと映し続けている。
どうして、雛祭りの様子じゃなくて、雛壇だけが映っているんだろうか。
1分以上経っても映像は変わらず、赤っぽい色の雛壇の上に佇むそれぞれの人形が、相変わらず映し出されている。
恐ろしい人形を処分するつもりが、別の雛人形のビデオからなぜか目が離せない。
一瞬、ビデオがプツリと暗転する。
しかし、すぐに同じ映像の、続きが映し出される。
怖い。
そろそろ、切ってしまおうか――。目的の人形は、無かったのだし――。じゃあ、あの人形は今どこに――?
ふいにそんな疑問が頭の中を駆け巡る。
だけど、このビデオは関係ないみたいだし、そろそろ終わろう。
テレビの停止ボタンに手を伸ばそうとすると、
映像が唐突に途切れ、画面が真っ暗になった。
終わったのか?
そう思ったのも束の間、
すぐに、次のシーンが始まった。
しかし、映像はさきほどと変わらない。
そうして、今度は二、三秒後。
また暗転し、次の場面に切り替わる。
「あっ!」
私は気づいた。
ひな人形の数が足りない!
すると、さっきの暗転の間にも、1個ずつ、消えていたのか。
私は、ぞっとする。
ありえない。
カメラを回すたびに、人形が、消えていくなんて、こんな映像、覚えていない。
再び3秒ほどで、画面が切り替わる。
今度は、下の段の衛士の人形が全て消えていた。
数秒間隔で、映像は同じように切り替わり、人形は下のほうから消えていく。
五人囃子、そして三人官女と。
――――。
このまま消え続けたら、ビデオの最後はどうなるのだ?
映像が進み、ひとつ、また一つと消えるたびに、冷や汗が吹き出し、動悸が強まる。
あの時のは、雛祭りの様子を移した、普通のホームビデオだったはず。
だいいち、私は、こんなビデオが、人形を閉じ込めた箱の中に入っていたなんて、知らない――。
そう思いつつも、最後はどうなるのかが気になり、止めることが出来なかった。
また一つ、もう一つ。
お内裏様も消え、そして、最後にぽつんと、お雛様だけが残った。
高そうな生地の赤い着物を着た、白い肌と細い目の雛人形。
これも、消えるの――?
しかし。
「!!?」
どろり。
突然お雛様の顔が、殴られてパンパンに腫れ上がりでもしたかのように醜く歪み、肉がろうそくのように溶け落ちた。
そして。
ごろん。
髪を結った首は、雛壇をごろごろと転がって地面に落ちた。
べしゃり、と地面に落ちた顔は、いよいよ溶けかけの氷のように崩れていく。
そして、最後に残ったのは、ビー玉ほどの大きさの二つの眼球。
その黒目がこちらを向いていた。
やや充血したように見える、いやにリアルな白目に、胸がムカムカする。
あんなに小さな、細い目元の中に、こんなに大きくて、グロテスクな球体が入っていたというのか。
なんなのだ、このビデオは。
おぞましくなり、取り出しボタンに、手を伸ばそうとする。
――しかし、
「!?なんで?」
どういうわけか、全身の筋肉が硬直したかのように体が動かない。
そして、目は画面に釘付けになる。
画面の中央に一体だけ残った、首の無い十二単の姫。
その胴体、首の断面から、
にょきりと。
頭が生えてきたではないか。
「ツ!?」
思わず、声にならない悲鳴をあげる。
そして、その首から上の姿を、私は知っていた。
見覚えのある顔立ち。
そして、青い瞳。
私が、壊した、人形…………!
金髪の首が、着物に包まれた不揃いの胴体ごとふわりと浮いた。
そして、
――ニタリ。
不気味な笑顔を浮かべ、こちらに近づいてくるではないか。それにつれて、顔は徐々にアップになっていく。
そのまま、画面いっぱいに大写しになった人形の顔が、
「イーッキキキ、ククケケケケケ――!!」
目を真ん丸に開き、歯ぐきを見せて狂ったように笑いだした。
「いやああああっ――!!」
悲鳴を上げた私の体は、後ろに大きくのけ反った。
その瞬間、体に力が入らなくなり、全身の感覚が急激に失われていく。
「なんで……」
まるで人形にでもなったかのように、私の体は固まって、1ミリも動かなくなった。
代わりに、青い瞳をした人形の大きな顔が、動かなくなった私を見下ろして、いつまでも不気味に笑っているのだった……。
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