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空が赤紫に染まり家路に着く人が大通りを行き交う時刻、ドロップモード社も社員は皆帰宅し残っているのは社長の山崎と秘書の白石だけである。
提出された資料に目を通している山崎の眉間には皺が寄っていて良いと言える資料ではなかった様子。
「そんな険しいお顔されるんでしたら今日はもうお帰りになられてはどうですか?」
「ありがと、そうだなあ。」
白石から出されたコーヒーに口を付けつつ返事をする山崎だが気のない返事をしているのは、明白で切り上げる気はまだ無いらしい。
「この真山が出した資料なんだけど、なんて言ったらいいかな?」
それは社員の中でも柱となって多種のアプリを担当している真山春輝の資料で、今度コラボ企画のあるパズルゲームアプリの物で数カ所駄目出しするとの事だ。
「いつも通りでいいんじゃないですか?社長のご指摘はいつもポイント押さえていますし何も問題ないかと。」
「そっかありがとう、そうじゃなくてなんて言うのかなー、言い方っていうか。」
「もしかして、先日G・デザインで林様に言われた事ですか?」
それは先週G・デザインで打ち合わせの時の帰り際に林に言われた言葉だと白石はすぐに気づいた。
「山崎社長、あなたは経営手腕や頭脳明晰などそりゃ素晴らしい所ばかりで私も羨ましいといつも思っています。だからこそ、あなたにはもっと違う意味で振り切って貰いたいと私は思ってます。
まずは社員の人と『会話』をしてみてください。そうですね、何か指摘する時に指摘じゃなく会話を。それでは、またご連絡致します。」
そう言って林と別れた訳だがまさかここまで林の言葉を思慮すると思っていなかった白石は内心驚いていた。
今現在に至るまで山崎のやり方で会社は業績を伸ばし続けている。
秘書について一年弱だが結果主義な山崎が白石にこうも具体的に助けを求めてきたのは初めてだったので相当悩んでいる証拠だ。
「あぁ、林さんに『会話』と言われてみて今までだって会話してたのにって考え出したらすっかりわからなくなってしまってね。」
苦笑いでコーヒーを飲む山崎に白石はなんと言おうか迷っていた、林の言いたいことが白石はわかっているがどう言えば分かりやすく伝わるか難しいものだ。
林は自分もデザイナーでやっていることもあり社員目線で考えたり発言したりすることが出来き、それでいて社を背負ってトップとして仕切って行く事も出来る所謂リーダータイプ。
一方山崎は対照的というか仕切って社員を働かせるボスタイプで似て非成る物なので白石も説明に頭を抱えそうだ。
「そうですね、まず相手の意見を聞いてみるとかどうでしょうか?」
「相手の?だってこうやって資料で出してきてるじゃないか、これが真山の意見ということだろう?」
「確かにそうですが。んー…直す所を指摘してそこから相手の考えを伺うとかどうですか?」
「それだったら別に指摘してこうしたらいいって言った方が早いじゃないか。」
「それはそうなんですが、そうですねー。例えばこの資料のここが間違っていたとします。」
結局いつも通りの考えに戻った山崎に白石は再思考しなくてはいけなかった、そして口より実践の方が早いと気づき近場の資料で実践練習を始めた。しばらく社長室の明かりは消えることはなさそうだ。
翌日の昼前、山崎は早々にぐったりしており眉間の皺が濃く刻まれていて椅子にすっかり全体重を預けきっている。もちろん体調不良ではない。
「お疲れ様でした、初めてにしては上手に提案までお話されていてさすが社長です。」
「ありがとう、変な頭の使い方してちょっと疲れたよ。」
出されたコーヒーを飲んで一息入れる、いつもよりコーヒーが旨く感じると思った山崎はよほど疲れたのだと実感した。
先程まで白石と実践で相談した通りに真山に企画の訂正箇所について話しをしていたとこだった。
コラボ企画の内容の広告の仕方とプレゼントアイテムの数量の二点の駄目出しをしてから再度真山にどうした内容にしたいか意見を聞いたり山崎自身も提案をしたりと、社員と肩を並べて資料について話しをする光景は物珍しく当の真山も少し戸惑った様子も見られた。
「あれだ、大学でやったグループディスカッション思い出したよ。」
「真山さんもいい刺激になったと思います、今度の企画は絶対成功しますよ。」
「だといいんだけどね、これもう一杯貰っていいかな?」
「はいすぐにお持ちしますね、甘くなかったですか?少しお疲れの様だったのでお砂糖いれてみたんですが。」
「いや、気が付かなかった。案外疲れてたみたいだな。」
「では、またお砂糖入れておきますね。今日はゆっくり決算内容見るぐらいにしてください。」
その後白石はコーヒーと一緒にチョコレート菓子も持ってきくれ山崎は有り難く頂くことにした、少し甘いコーヒーとさらに甘いチョコの甘さが疲れを癒やす。
それと同時に今度は会社を立ち上げた時の事も思い出していた、いろんなアイディアがどんどん浮かんできて毎日のように徹夜をしてその疲れた体や頭の癒やしになっていたのはコンビニで買っていたカフェラテと板チョコだった。
まだ五年も経ってないのにすっかり忘れてたと出来たばかりの会社に来て浮き足立っていた少し若かった自分を思い出して、山崎はくすぐったい恥ずかしい気持ちになり決算データを開いてその気持ちを誤魔化すことにした。
その後真山の担当しているパズルゲームのコラボは無事に成功となった。
新規ユーザーの獲得も予想を上回りコラボした取引先からは次回も是非と良い関係に繋がり、ここ半年以内ではユーザー・取引先共に一番評判良い物だった。山崎は真山から貰ったアプリの実績データを見ながら機嫌が良い。
実績が伸び嬉しいのは当然だがそれとはまた別の意味で喜んでいるようにも見え白石はいち早く気づいていた。
「コラボ企画無事に成功して良かったですね。」
「あぁ、あんなにユーザー増えると思わなかったからちょっとびっくりしたよ。」
「私の言った通りになりましたね。」
「え?白石君なんて言いたっけ?」
「お忘れになったんですか?真山さんと企画のご相談された後に「この企画は絶対成功しますよ。」って言いましたよ。」
「そうだったな、そう言えば言ってた。本当に白石君の言う通りだ。」
「今後も社員の皆さんと会話してみてはどうですか?他の方にもいいきっかけになるかと思いますし。」
「でも、今こないだの真山の件みたいに特別な企画とかないし。」
「それでしたら、一声かけてみてはどうですか?予定空いてる時間をミーティングで社員の方に教えてもらって何か相談なんかあればいつでもと言った具合に。」
「そんなのでくるのかい?」
「やってみなくては分かりません、まずは行動を。社長から一声あれば社員の方もご相談しやすいと思いますよ。」
「そうかなー。」
満更でもなさそうだが、今までやった事が無い事で抵抗があるのかどちらとも着かない返事は翌日のミーティングで明らかになる。
「結局誰も来ないじゃないか。」
朝のミーティングで午後は時間が空いているのでと白石の言った通りに社員に言ったものの誰も来ずもう夕方の五時でこの時間からの相談はまず無いだろう。
白石から出されたコーヒーを飲みながら大人げなく拗ねている姿はとても社長には見えない。
「みんな社長をそれだけ尊敬して一目置いてると言うことですよ。」
「でも一人も来ないってー。」
慣れない事をしてさらにそれも上手くいかず不満で苛つく山崎、自分の立場とは間違うことをしたからというちょっとした焦りもあるのだろうか。
「でしたら、私のご相談じゃ駄目でしょうか?」
「白石君の?全然構わないよ白石君が相談ってなんか意外かも。」
白石からの相談は今晩の夕食をすっぽかされたので一緒に付き合って欲しいと言うことだった、金曜の夜で明日は休みと言うこともあり二つ返事で山崎はOKを出した。
予約されていた店は表参道にある洒落たイタリアン料理屋でセンスの良い白石らしい店のチョイスだった。
「いいのかい?こんなオシャレな店に俺なんかとで。」
「とんでもない、私がお願いしたんです。一緒にお食事出来て嬉しいです。」
料理を注文しながらふと山崎は会社の人間とこうやってご飯に行くことは初めてだと思った、昼や夜に接待などで食事をすることはあったがそれ以外で食事に行く事は無かった。
白石の勧める料理はどれも美味しくワインも進んだ、普段から一緒にいることが多く話す機会が一番ある二人だが今日はお酒も入ってるせいかいつも以上に会話が弾む。
「でも、君みたいな美人をすっぽかすなんて大した相手だね。」
「同じ短大の友達なんですけど彼が風邪引いたって言われて。そんなの駄目とは言えないですもの。」
「なんだ、てっきり彼氏かと思ってたよ。」
「秘書って結構ハードワークで中々出会いもないですし、彼氏出来ても忙しくていつの間にか別れちゃってますから。」
「それは俺のせいもあるかな?忙しくさせちゃってるのは俺だし。」
「あっ、そうですね。では社長に責任取って頂きましょうかなー。」
優しくだがイタズラに笑う白石に山崎の心は跳ねた、普段冷静な彼女とはまた違う可愛らしい部分は山崎の気持ちに変化を与えていた。
その言葉の真意を聞く前に最後のデザートが運ばれてきて会話はデザートへと移動していった。
店のおすすめと言うさくらんぼのシフォンケーキを満足そうに口に運ぶ白石を見て、さっきの言葉が彼女の本意であればと淡く期待をしたのは無意識であった。
会計を済ませて外に出れば初夏の少し暑い空気が二人を包む。
「ご馳走様でした、私がお誘いしたのに。」
「いや、君にはいつも苦労かけてるからこれぐらいしないと。」
「ありがとうございます、これで普段の苦労はチャラということですね。」
「それなんだけど、もし白石君が嫌じゃなければこの後。というか今後共って言えばいいのかな…。」
それとなく、匂わせるぐらいで山崎は思いを告げてはみたものの、久しぶりのことで決定的なことまでは言えずにただ回りくどく言っただけだった。
そんな山崎を見てまたイタズラに笑った白石は二人の距離を縮めた。
「そんなお誘い、私になんかして後で後悔しますよ。」
ポケットに手を突っ込んでぶっきら棒に言っていた山崎の手を取って返事をする白石は頬を赤らめていて、それがさっきのワインのせいなのか初夏の暑さのせいなのか。
はたまた照れなのかそれはこの後に聞けばいいと山崎は白石の手を引いてタクシーを一台捕まえることにした。
そんな姿を白石はずっと笑顔で見ていた。
それはとても素敵な笑顔で…。
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