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むつみ荘へようこそ
ぼーっと庭の桜の木を見上げながら鳥飼睦は、「春だなぁ……」と呟いた。
3ヶ月前、冬なのにアロハシャツを着た祖父に「俺は、2年ほど自分探しの旅に出る」と、宣言されたのと同時にこの一軒家の権利証を渡された。
64歳を過ぎて、いまさら自分探しに出かけるってどういうことだ、と思ったけれど、頑固な祖父を止めることが出来なかった。
そのかわり、本格的に留守を預かることになったシェアハウス。
祖父が出発した日にプレゼントされた表札をひと撫でした睦は、重厚な門扉の横に取り付けた。
〝むつみ荘〟
ノスタルジー漂う昭和のアパートみたいな名前だが、祖父が得意気に「自分の名前が屋号になるなんて、睦は幸せもんだなぁ~」と言うもんだから、ダサいとは言えなかった。せめて、英語の名前にしてくれたら恥ずかしくなかったのになぁと思いながら、付けた表札が曲がっていないか確かめるために数歩後ろに下がった。
すると、ドンッと背中に衝撃が走る。
急いで顔だけを後ろに向けると、睦より幾分背が低い黒髪のくせっ毛マスク少年が立っていた。
「うわっ、ごめん」
ぶつかった体を離して向き直った睦は、肩を掴み心配そうに少年の顔を覗き込む。
「まさか、後ろに人がいると思わなくて」
反応がない様子に気を悪くしてしまったのだろうか、と一抹の不安が募る。
それにしても、黒のパーカーに、黒のリュック、パンツも黒。目にかかるくらいの前髪に、花粉症なのかマスク姿。春の麗らかなパステルカラーな季節に全身黒だなんて、変わっている子だ。
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