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「ほう、君は神か悪魔の類いか?悲しい事に俺の夢は『生きる喜び』なんだが。そうだな、もしも叶えられたならチップを弾もう」
自分は飲む気も無いカップを回しながら自称天才ピアニストを自嘲気味に揶揄った。
「わかりました」
男は意味深に片唇を上げると踵を返し颯爽と店内中央のピアノへと向かう。
生意気なガキが。
お手並み拝見といこうじゃないか。
椅子の背に深く身体を預け腕組みをした瞬間、男の白い指が鍵盤を叩いた。
──ここは?
突如自分はコンサートホールにトリップしていた。ショパンのスケルツォ♯2を弾き終えた後の大歓声。指の負傷で志し半ばで断念したピアニストへの道がそこに実在していた。だが歓喜した瞬間......目の前が暗転した。
「如何でしたか?」
気がつくと演奏を終えた男が再び隣に立っていた。どうやら自分はティーカップのエッジを握ったまま意識を失っていたらしい。
「スケルツォか...」
少し間を置いてからズボンのポケットから財布を取り出すと千円札を一枚、したり顔の男の手に握らせてもう一曲要望した。
「わかりました」
報酬を受け取った男は小さく微笑むとワルツ♯2を奏でた。
曲の明るさと調和した次の夢は死別した妻との日常だった。女は生前と変わらぬ姿で美しく、突如失くした穏やかな愛がそこにあった。
「如何でしたか?」
「沢山夢をくれ。もうずっと目覚めなくてもいい」
分厚い財布ごと手渡した。
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