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2-2.情慾
ランス国でも連日、議会が開かれていた。
帝国から友好国として列戦を募る書状が届いている。アデル帝国の現皇帝の叔母はランスの王族であり、友愛と親愛込めて共に神の敵を打ち砕く聖戦に轡を並べようと。
『この聖戦によって両国の絆はいよいよ親密に、強固なものとなるでしょう』と結ばれた文は、参戦しなければ現皇帝の姪の姫を王太子ジシスに降嫁させないという意味を含意しているも同然のものだった。
つまり、今後の付き合いや帝国への忠誠を示すためにも参戦しなければならないのは自明だ。参戦を渋れば、皇国と密約を結んでいる痛い腹を探られることになる。もちろん帝国は百も承知で強請ってきているのだろうが。
「参戦となると、表立って黄皇国に反旗を翻すことになります。そうなると…」
帝国の介入を危険視する一派、イル家の復興を願う一派が皇国に形に捕られている先王の嫡子の存在に躊躇いを示す。そうでなくとも巨大な皇国に全面的に楯突く勇気のない者達も多い。
そしてジシスに嫡男が産まれるまで貴重な王族の血筋の保険としてルクレシスの存在が必要だと内心考えている者も議場の半分はいる。
王太子が種無しだと曲解されて不敬になる事を怖れて直接口にはしないが、王族は貴き血のために生殖能力は格段に落ちているので、強ち杞憂でもないのだ。
「半血なんぞ皇国への体の良い餌だ。本来なら処分されるべきところを国の為の役立ててやったのだ。感謝して殉じるべきだろう。」
純血を重んじる極派はこれ幸いにと半血の始末をつけて、王族の血と帝国との絆を得んとして、声を上げる。
「そもそも中途半端に皇国に阿るから、帝国から目を付けられるのだ。元々異教徒の皇国と条約を結ぶのは反対だったのだ。」
「ではどうすれば良かったのだ!条約を結ばねば国ごと潰されるところだったのだぞ!」
「火石を持つ我が国ならば教会が護って下さる!」
「そうやって教主の傀儡国家になるか!それで独立国と言えるか!」
様々な立場の者がめいめいに叫ぶ。
紛糾する議場の上座でジシスは苛々と腰に佩いた剣の鞘を大テーブルの脚にがちがちと神経質にぶつけていた。
(あれは俺の玩具だ)
ルクレシスを最初に見つけたのはジシスだ。
取り巻き達と退屈を紛らわす城内散策で見つけた。王城の外れで、こんなところに小屋があると好奇心を擽られて、朽木の鎧戸の隙間から中を覗いて、目に飛び込んで来たのは鮮烈なまでの濃紺だった。
その色に目が釘付けになった。ジシスがずっと欲しいと思っていたもの。
(なぜあいつが王族の正統なる徴を持っている!)
その彩りに一瞬心捕らわれた後に一気に噴き出したのは怒りと屈辱感だった。
『傍系では致し方ないでしょう』
直系崇拝の貴族たちが、平凡な瞳しか持たないジシスを盗み見ながら、ひそひそと交わす言葉は彼の自尊心を酷く傷付けた。
そのせいかごく幼い時分から尊大で傲然とした振る舞いをするようになり、自分を侮辱する事を一切許しがたく感じていた。
最初は下女が用事に出た隙に小屋に忍びこんだ。しかし、下女達がジシス達の訪いに気が付いても何も言わないことが分かると、彼等が居る時でも取り巻きを引き連れて入りこんだ。
最初こそルクレシスはジシス達の闖入に濃紺の目を見開いたが、ジシス達の獲物を見定める嗜虐的な目に直ぐに目を逸らして、身体を強張らせた。
この頃には庇護者であった父王を亡くし、周囲からの批判に生家の館から一歩も外に出ない母親との温かい情交も無く、存在を否定し続ける声にまともに晒されて、ルクレシスは怯えて自分の殻にこもるようになっていた。
ジシスはルクレシスに瞳を逸らされたことに非常に腹を立てた。ジシスの傷ついた自尊心を刺激したのだ。
ジシスはルクレシスに自分という人間の優位性を誇示しようと躍起になった。応えがなければ徐々に声は恫喝するようになり、罵詈雑言程度だった言葉は心を斬りつける侮蔑となり、小突く程度だったものが時に痣が出来るほどに殴打するようになった。
ジシス達の嫌がらせが酷くなれば酷くなる程に痩せこけていく。下男下女達もジシス達の振る舞いに助長してその存在を一層に軽んじんたのだ。ご飯を抜き、世話をしない。
ルクレシスは泣くでもなく、痩せた身体を縮こまらせて、ただひたすらジシスという嵐が通り抜けるのを待つかのようだった。
そしていつの日からか、ぷつんと糸の切れた人形のように瞳が色を喪い、何をされても言われても心、ここにあらずとなった。
ジシスはより一層ルクレシスに執着するようになった。何とか跪かせて、ジシスに恭順させたかった。主君に忠実な取り巻き達は、あらゆる手を使って彼を屈服させようと執拗に責め立てた。
いつものように些細なことで苛々してはルクレシスで鬱憤を晴らしている時に、なぜだったのか、取り巻きの一人が無理矢理に難癖をつけて衣服を剥いだ。
透けて血管が見える青白い肌に浮き出た腰骨に扇情的なまでに赤い乳首に、目にした瞬間にジシスの肌が粟立った。
これまで感じたことがないような熱が溜まる。それは初めての感覚だった。恐ろしい感覚だった。
取り巻き達が色事に興味を持ち出し、ジシスにも色遊びを誘ってきても、何の食指も動かなかったのに、心臓を掴まれたかのような痛みと全身の血が沸騰する感覚。
これが全てを壊す慾だと直感で悟った。彼らの色事とは全く違う。
ジシスは王族として完全な欠陥品であることを、そして、目の色は薄くとも、間違いなくランスの血を引き継いだ真正の王族だということを身を持ってもって知った。
ジシスの情慾は目の前の濃紺の男にしか発露されないことも。目の前の男の血肉を欲して、喉が酷く渇くことも。濃紺の瞳がジシスに反応して揺れると陶然とすることも。
それはひた隠しにした。
王太子が年頃に見合った性欲を示さないことを貴族達は危ぶんでいるのは知っている。娼館遊びを断るジシスに、ディクレスは尊き血は同じ尊き血しか欲しない、賤しき身とは違うのだ、とおめでたく感極まるのを馬鹿馬鹿しく思っていた。
自分は王として欠陥品だ。たとえランス王族の血を引く帝国の姫と妻されても欲情しないだろう。予感というより確信だった。ルクレシスへの情慾をひた隠しにし、王となる。必ず。
(俺が王となれば、これの飼い主は俺だ。)
そう考えると昏い悦びが胸のうちを満たして満足できた。
しかし、それも皇国によって奪われた。腑抜けの父王が帝国にも皇国にも阿ろうとしてルクレシスを売ったのだ。
ジシスは怒り狂った。取り巻き達の宥め賺しも全く効かないほどに荒れ狂っていたのだ。些細なことで勘気する王太子の劇烈な怒りが何に起因するのか分からず、周りは狼狽していた。血統主義の王太子は半血の従兄弟を酷く憎んでいるというのが彼らの認識で、義憤で怒る程、王太子が視野の広い人間ではないことを知っていたからだ。
やがて聞こえてきた、皇の慰み者としてのうのうと過ごしている、やはり淫婦の子だという嘲笑にも、頭の中が真っ赤に染まり、そこら中の調度品を蹴倒して回った。
(あれが俺以外の男に脚を開いて、媚るのか!)
淫らに白い脚の間に男を咥え込む姿態が目の前にちらつく。許し難かった。
ジシスにとって国益なんぞもはやどうでもよかった。ただ、あの濃紺を取り戻すことしか考えられない。
皇はルクレシスを殺さないだろう。ジシス自身がルクレシスの血に捕らわれた者はそれを手放すことは出来ない事を身を以て知っているからだ。
さすがは先王を誑かした浅ましい女の血を引いているだけあって、情慾を強く刺激する。
この段になってランスが条約を破棄したとしても、ルクレシスを殺した所で皇国側に腹いせ以上の実利はない。人質は生きていてこそ脅しになるし、それが脅しにならなくなれば用を成さない。
そうであるからルクレシスをわざわざ殺しはしないだろう。一時の見せしめにするより、手許で愛玩し、飼う事を選ぶと確信がある。
あの濃紺を手に入れるのは自分だ。
そして今度こそルクレシスの中に自分の存在を刻み付ける。
夢想の中でルクレシスの四肢を貪り食い、中に自身を注ぐ。真っ白な肌に噛み跡が赤く花開き、青い青い瞳が上気して潤む。隘路を分け入る感覚と中の熱さを想うだけで、狂おしいほどに情慾が高まる。そうやって何度も何度もルクレシスを穢した。
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