3-1.籠の外

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 紫水は積み上がった巻物を一瞥し、細く長いため息をつく。積み上がった数が紫水の死刑宣告を下した数なのである。罪状を読み上げては、その刑の行く末を見届ける。一つずつこなすごとに芯から凍っていく。  もはやこれ以上は瑠璃の宮の精神力が持たなかろうというところで延々と行っていた刑の執行は終わった。 (さすがに疲れたな…)  横に座る瑠璃の宮は大理石の彫像のように真白く固まったままになっていた。 「瑠璃、帰るぞ。明日からは皇都への帰都の旅だ。早く休め。」  瑠璃に声をかけているのだが、まるで紫水自身、自分に言い聞かせて、何とか日常の感覚に戻ろうとしているかのようであった。 「さぁ、かえるぞ」  聞こえているのか聞こえていないのか、固まったままの瑠璃にもう一度声をかけると、ようやっと肘掛の上に置かれていた指がピクリと動く。 「…はい、かえります…」  青白い顔色に焦点が合わず茫洋とした瞳で、さながら幽鬼のようにゆらりとゆっくりと立ち上がった。手をとり、支える。  弱い瑠璃の宮を心配することで、自分の気が紛れる。  冷たく蝋のような細い指を引いて先導して、血生臭い斎場を後にした。 「ゆっくり休め。十日もすれば皇都に帰りつく。」  何時ぞやの人形のような生気のない瞳に無理を強いたという一抹の罪悪感を抱きながら、自室へ戻した。 (やはり無理なのか…しかし皇と道を共にするならば覚悟を決めさせるしかない)  これで心が壊れてしまうようでは、皇の愛玩物以上にはなれない。皇と道を共にする存在、それがなければ皇という存在は狂ってしまう。  紫水は内宮に勤める官吏であったから、皇の孤独と狂気の一端を感じとってきた。先皇は只管、皇に甘言を囁き続ける宮を侍らせ、無聊を慰めたが、最期には狂気に囚われた。しがない外宮官吏の身だったため、皇については噂で伝え聞く位だったが、瞬間に何もない虚空に古代語で怒鳴り散らし、剣を振り回して錯乱したらしい等、何故、そのような者が皇国の皇なのか疑問に思ったものだ。  しかし、此度のことでどうやら皇として顕現する《夜明け》に絡繰りが存在するらしいことを知った。  皇はある日突然、皇として現われる。今上皇の唯一無二の絶対者としての存在は、目のあったその瞬間に紫水の魂を貫き、側に在ること誓わせた。絶対者であるが故の孤高の存在であり、孤独であった。その絡繰りの全容は判らずとも、皇と紫水では全く違う地平に立っている。そして、射す光が強ければ強いほどに影は濃く、皇を呑み込んでいく。  今上皇も時々、ふと虚空を見つめて、影と対話するかのように常にない表情を浮かべる。その度に皇を現世に、正気の世界に繋ぎとめる存在が必要だと、皇自身がそのための存在を探し求めていると感じた。  黒曜がそのような存在になるかと思ったが、皇にとってはよく出来た子どものような存在で、それ以上でもそれ以下にもならなかった。それは黒曜の努力が足りないとか、皇の好みだとかに関係はなく、魂の欠片がぴったりと合うかなのだと。皇は瑠璃の宮を選んだ。度重なる妄執を滲ませ、遂には自身の真名まで明かし、瑠璃の宮を特別な存在にしたのだ。  だが、瑠璃の宮は皇も隣に立つには脆弱過ぎる。だから紫水は瑠璃の宮を叱咤激励して立ち上がらせねばならない。愚図愚図と蹲って、皇に機嫌で構われることだけに甘んじられては困るのだ。 (しかし、瑠璃に厳しく言っておきながら、熱発するのは私かもしれぬな。)  連日の激務に重ねてのこの催事は心身を酷く疲弊させた。自室まで辿り着いた紫水はそのまま、どっかと座椅子に沈み込んだ。  しかも皇の意向も聴かずして、勝手に瑠璃の宮を表舞台に引き摺り出した事で紫水は皇から暫く冷遇されそうだ。閑職に回して貰えるなら諸手を挙げて喜ぶところだが。
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