3-2.慕情

3/3
前へ
/157ページ
次へ
 宴は終わり、夜がすっかり更けた黒曜宮。 「皇が居られぬ間に都の乙女達の間で流行っている物語ご存知でしょうか?」  身体を合わせた後の黒曜は白布を一枚纏って、うつ伏せに臥せている皇の肩から腰の筋肉をほぐしていっている。 「知らぬな。」  房事の後の気怠さを含んだ声で皇がさほど興味もなさそうに応える。黒曜は笑いながら、皇と瑠璃の宮によって妄想を掻き立てられた乙女達によって創作された物語について説明する。 「黒薔薇の君と真珠の君の熱愛話で御座います。」  黒曜の言に皇は不愉快、呆れ、不可解さをない混ぜにした声となる。 「実に下らぬな。」 「本当に世の子女の考えることは摩訶不思議に御座います。下らぬ物語はともかくとして、皇は彼に真名を授けられたのだとか?」 「契約を行っただけだ。」 「真名交える契約は巷では結婚と相場が決まっております。我が身の全てで主にお仕えして参りましたのに、妬けますね。私では役者不足でございましたか?」  軽い口調で戯言のように言う黒曜の閉じられた瞼に隠された瞳は揺れていた。 「お前に何も不足はない。」  皇の言葉に黒曜は酷く動揺する。ここで足りなかったと言われた方が諦めがつくというものなのに。 「…ならば、なぜっ!…っ」  国の重圧を背負う硬い筋肉を揉みほぐしてた手が思わず止めてしまい、縋りつくような声音でずっと押し込めていた想いが胸から零れてしまう。  しかし、直ぐに最も皇の嫌う執着がましく取り縋る自分の無様さに、小さく失礼いたしましたとすぐに謝罪をする。 「お前が感情的になるなぞ、珍しいな。」  特段、皇は気分を害した様子はなく、身を起こされた。黒曜の方に目を向けてくれているのだろう。 「何を泣く。」  黒曜の目から自制できなかった涙が溢れていた。 こんな未練がましい態度を取るつもりはなかった黒曜自身、統御出来なかった感情の波に戸惑っていた。 「何故、彼なのです?…私はどんな努力が足りなかったのでしょうか?…私には皇しかおりませんでしたのに…」  自分でも自分の言うことが何と鬱陶しいことかと自覚しながらも、口が止まらない。もはや皇を怒らせても構わないのだ、どうせ選ばれなかったのだからと完全におかしくなった思考回路で思う。  しかし、皇は怒ることなく、頑是ない黒曜を諭すような穏やかな声だ。 「お前は優秀だ。貧民の出とは思えぬ力を付けた。」 「ひとえに、皇の御恩に報いるためで御座います。」 「我は木に引っかかっていた野良犬に餌を与えただけだ。恩に着る必要はない。お前の人生を切り開いたのはお前の力だ。お前は自分の才覚で生きていける。」  幼き日に冥土の土産に皇の姿を感じようと木に登った黒曜を見咎めた皇は、『祝福はただ与えられるものではない、自分で勝ち取れ。機会だけは与えよう』と宣った。黒曜は皇から与えられる全てを貪欲に吸収して、皇の側に侍るに恥じない美しさ、知性を身につけた。だから、手放されるのか。 「皇なしでは生きては行けませぬ。」  滂沱と流れる涙を皇の節だった指が拭う。 「お前はこれから自分が希ねがう何者にもでもなれる。」  自分を手放そうとする皇の言葉を聴きたくなくて、がんぜない子どものように頭を振り続ける。皇の好みに合わせて伸ばした黒髪を皇の手が梳く。 「だが、我らはこれ以上何者にもなれぬ。傷を舐め合うしかない存在だ。」  黒曜は聴きたくなかった。黒曜が近づくことの出来ないどろどろとした深淵で二人は魂の片割れとして結び付き合っているのだと。それは余人を寄せ付けぬ妄執だと。 「黒曜、還俗せよ。」 「嫌で御座います!!!今更私をお見捨てになられるのですか!それならば最初から捨て置いて下されば良かったのに。」  癇癪を起こした黒曜は感情のままに叫ぶ。皇はただ憐れむように、髪を梳きつづける。  感情を爆発させたあと、無言の時間が幾ばくか過ぎ、涙の涸れた黒曜が先に口を開く。 「…取り乱して申し訳ございませんでした…ただ畏れながら皇だけをお慕いして参りました…」 「あぁ。…お前は期待以上に育った我の愛し子だ。」  愛し子以上にはならぬのだという皇の言葉を聞いて黒曜は脱力した。自分が皇と同じ地点には決して堕ちられないのだと悟ったのだった。 ==========  冒頭の「黒薔薇の君と真珠の君の熱愛話」は、スター特典「閑話:皇都の流行」で紹介しています。良ければお読みください。(読まなくても本編に全く支障はございません。)
/157ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2692人が本棚に入れています
本棚に追加