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10-1.終焉を呼ぶ者
ルクレシスが湯番の腕を掴んで、何もできずに泣いているだけの間、斎場は混沌と化していた。
「っち!役立たずがぁぁ!!!」
役職付きの地方神官に身を窶して、下位の席に潜んでいたグロルは神官服に隠し持っていた刀剣を振るう。呆け、恐怖に顔を引きつらせたままの愚鈍な神官に刃を一閃させながら叫んだ。裏切りものに気づいて慌てふためく神官も買収した神官たちも関係なく斬り捨てて、中央に進んでいく。
常に最も膂力に優れており、最も知性が高く、他者を圧倒する存在感を持つことを求められ続けられた皇の卵であったグロルにとって、地方神官なぞは箸にも棒にもかからない、取るに足らない存在だった。
容赦なく切り捨てて、その身体を踏みしだいて、前に進む。
忌々しかった。
中途までグロルの予想を上回るほどの良い流れだった。
瑠璃の宮の天幕が焼け落ちるという騒動から身内の裏切りが明らかになり、グロルが買収してきていた使用人や神官が次々と捕まっていったが、その数以上にグロルは飼い子を軍内に忍ばせていた。
グロルが皇になれば甘い汁を吸えると考えていた者はそれだけいる。今上皇は苛烈過ぎる、独裁が過ぎると不満を抱えている者はそれだけ多いのだ。
捕まった下人たちは尋問によって余計なことを吐いてしまわないように獄吏の中の手の者に命じて早々に口封じして回った。
こんな回りくどいことを画策せずとも、本来なら皇の身辺に一人や二人は手下を送り込めればよかったが、神経質な紫水の宮とあまり人を近づけたがらない皇の元に間者を潜り込ませるのは難しく、思うように宵天を動かすことが出来なかった。
先皇は美麗で甘言の上手い青年に滅法弱かったため、睦言として皇の温情に縋りたいと囁く者達を片っ端から送り込めたのに。
だからおびき出す餌として、宵天が執着している寵童の愚鈍な従兄を利用したのだ。お気に入りの伽役の事になら、興味を示すだろうと。
手ずから首を切り落としてやろう、くらいは言い出すのではないかと。
ジシスが暴れれば、大わらわで皇の身辺を守る為に人が集る。そうなれば、皇の周りに一人二人と知らぬものが居ても異和はない。
あわよくば、ジシスが皇を襲ってくれたら、大混乱に乗じて、皇の首をとれると踏んでいた。
(天は私についているのだ。天命だ!)
貧弱な宮がしゃしゃり出て始まった三者のやりとりは、グロルが皇座についた暁には何の意味もなさないことであり、愚かしく、焦ったいもので、ジシスがいつ飛び掛かるか、いつ混沌の口火を切るかを今か今かと待っていた。
(そうだ…お前の憎き者を殺せ)
獄吏に命じて飲み水には、薬を仕込ませていた。それは正気をなくす程に狂気に陥れる《夜明け》のための薬だった。その薬を飲ませ続けた。
その水を飲んだ虜囚は、突如として人語とも思えぬ言葉を喚き続け、がむしゃらに身体を壁に打ち付け続ける。その様は誰の眼からみても正気を保っていなかった。暴れまわる身体は金属の猿轡と両手両足の枷で拘束された。嵐のような興奮も後には廃人も様に茫然としているだけ。
皆が気味悪がって近づかぬ最奥の牢に、ただグロルのみが訪っては、「皇を殺せ、皇を殺せ」と言い聞かせ続けた。壊れた自我にそれだけを刷り込むように。
それなのに、あれ程までの格好の好機だったのに、まさか従弟の方を狙った。あれだけ執拗に自我を潰し続けたのに、妄執が勝ったのか。
皇をそれだけで殺すことができるとは思っていなかったが、グロルがもっと確実な先制を取れるほどに態勢を崩させることを期待していたのに。
狙った騒乱を起こさせることには成功したが、宮を襲う囚人を皇は容易く打ち、何ら体勢を崩すこともなく、すぐさまに的確な指示を出し、その威光に一切の陰りを見せず、むしろ王族すらも一刀両断にするという圧倒的な強さを畏れと共にグロルに靡いた者達にも鮮烈に示した。
手の者の怖気を感じ取り、グロルは焦れた。何から何まで、グロルの思い通りに行かない。
「私が、皇となることこそが、天命なのだ!!!」
もはや自身の味方か敵かも構わず斬り払う。腰抜けは必要ない。
「誰か、彼奴を、皇を僭称する彼奴を殺せっ!!彼奴を殺った者を将軍にするぞ!一太刀でもあびせた者に褒美をやるっ!!!」
ここで宵天を打たねば、グロルにも後がない。
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