6-1.赤水

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6-1.赤水

 常のように完全に気を失った白磁の四肢を抱き込んでラーグは眠りについた。意識を失うともはや拒絶はしてこない。むしろ熱を求めるようにぴったりと身体を寄せて丸まってくる。  明け方、腕の中でその細い身体が身じろぐ。その動きで目を覚ましたラーグが伽役の様子をうかがうと、それは細い肩で浅い息を繰り返していた。  もうすぐ天中節という暑い時期にも関わらず、それの手先と指先が冷えており、側にある体温を強請るかのように、手足を皇に擦り付けてきていたのだ。 「寒いのか?」  ラーグが問いかけてもそれから応えはなく、起きているわけでは無いようだ。震えながら身体を縮こまらせている。熱の出る兆候のようだ。 (またか…)  またもや体調を崩したらしい。ラーグは嘆息する。  皇に病がうつったりしないように、このような体調不良の気のある者はすぐに下げることになっている。こんなか細い身体に巣食っているようなものが、ラーグにうつるとも思えないが、ひどく震えだす身体が傍にあって寝られるわけもなく閨番を呼ぶ。  天幕の外に控えていた侍従はがたがた震える伽役に驚いて、急ぎ皇から離そうとする。悪い病であったら一大事であるから、急ぎ離してしまいたいのだろう。  それを手で制して、瑠璃宮からの迎えの者が来るまで寝台に寝かせておけ、と命じる。  これだけ震えて縋りついているのだ。無理に離す必要もない。  すぐに瑠璃宮から迎えの者がやってきて、自分達の主を回収していった。  ランスからの人質は本当に脆弱らしい。上がった陽の光で見ると、昨夜戯れに力を入れた首筋にはくっきりと青痣が浮かんでいた。ラーグとしては戯れの範囲内だ。伽役として居ながら、役を真面目にこなさないことへの仕置きである。  本気でやるなら片手であっても、その首を折っている。折ってしまわないよう、うっかり死んでしまわないよう加減した。  しかし瘧にかかったかのように震えているのは、手荒に扱い過ぎたせいか。  医師に診せるように命じて下がらせたが、常より早かった時間に目も冴えてしまった。  夜に散々、慾を発散したせいか、身体が軽い。朝餉の時間まで一汗掻こうと思いつき、相手役を考える。侍従長の紫水の嫌味は朝から聞きたくもないので、剣での立ち会いの相手として宮の一人を呼びだすことにした。  あれならば、もう起きているはずだ。 「宮城内にいるようなら、赤水(せきすい)を呼び出せ。」  赤水晶(あかすいしょう)の宮は常から朝早くから起きる習慣がある。朝から狩りに出かけたり、鍛錬したりと、無駄に活力に溢れている。今朝も遠出でもしているので居なければ起きてはいるだろう。暇に付き合わせてやる。  今年で25歳になる赤水晶の宮は、丁度彼が10歳の時分に宮に上げた遺児だ。皇国内でも最高位の高位貴族の両親が馬車の事故で急逝したせいで、家督争いが激化していた所、皇が争いの中心になっていた子を引き取ったのだ。  皇国において皇の力が強大であるとは言え、貴族の力も強い。皇が一代限りであることを考えれば、数代に亘って領地を支配する貴族の存在を無視することは出来ない。  ラーグは10歳で保護者を失った子どもに同情したわけではない。何処の家がこの子どもの後見になったとしても、その力が強大になりすぎる。それ故に争いは激化し、一向に纏まる気配がなかった。  皇が管理すれば話は簡単だ。成年するまでの後見は皇だ。領地や財産はラーグが指名する複数の貴族に管理させることで、力を分散させることが出来る。  先年に拾った黒曜の宮と似たような年頃なので遊び相手に丁度良いし、どうせ奥宮には無数に部屋が余っているから構わないだろうと。  一年と待たずに子どもを立て続けに奥宮に入れたときには侍従長の紫水から、ここは孤児院かと嫌味を言われたものだ。  誤算は、一つ違いの黒曜と同じ授業を受けさせた時に仮にも皇国貴族の子弟にも関わらず、農村で学などなかった黒曜に全く付いて行くことが出来なかったことだ。これには至極呆れた。どこの野生児だと。  そもそも赤水は座っている事自体が難しく、座学に向かない。黒曜にも「赤水が居ると勉強が進まない」とまで言われ、彼への座学は最低限となった。  宮の中であまりにダイナミックに遊ぶため、宮付きの者が振り回されることも目に余り、剣術を習わせた所、性に合ったようでめきめきと力を付けた。  16歳からは皇軍に入れた所、強がち皇の宮という贔屓だけでなく、元来の磊落な性格と剛胆な太刀筋で、上官にも気に入られ、今は皇軍の中でも花形の第一軍の先鋒隊千人隊長に就いている。 「皇よ、お呼びですか?」  赤水は皇の前に出ると片膝をついて拝跪する。体格はさらに良くなっているが、相変わらずの人懐こい笑顔で、大型犬のような男である。 「一汗掻きたい、付き合え。」  久々の手合わせに赤水は嬉しそうに皇から投げ渡された木刀を構えると、さっそく早朝とは思えない素早さで打ち込んでくる。  右から左からと仕掛けてくるのをいなしていくが、徐々に間合いを詰められる。以前よりは随分と上達したようだ。  寝起きの頭を振って、身体モードを変える。一気に身体の隅々まで血が通うのを感じ、気持ちが良い。しばらく打ち合いながら、双方うかがうかのように動く、皇の剣先が右に流れた瞬間に赤水が気合とともに踏み込んでくる。  木刀ではあり得ない激突音の後、剣を払われて開いた身体にラーグが剣先を突き刺す。赤水はたたらを踏んで間一髪で後ろに下がるが、続けざまに足を払ってやると、姿勢を崩した。 「参りました」  赤水の打ち合いの時の真剣な表情がへらっと崩れて、降参する。 「馬鹿力め。最後は何でも力任せなのがお前の悪い癖だ。」  ラーグは木刀を捨てると、まともに剛剣をを受けて痺れる腕を忌々しい気に振る。 「だって、なかなか踏み込ませて頂けないでしょう。一気に行ったら、勝機もあるかと。」 「いつもそれだな。まぁ良い、前よりはましになった様だ。」  ラーグが素直に評価してやると、満面の笑みになって全身で嬉しさを表現しているかのようだった。やはり犬っぽい。 「皇、そう言えば宮を迎えたと伺いました。お会いさせては頂けないのでしょうか?」 「今度だ」  苦々しい顔で言うと、首をかしげるが余計なことには首を突っ込まない彼は、「御意」と軽く納得する。  もう一走りしてくるという赤水は解放して、ラーグは汗を流すために湯を使い、朝餉に向かった。  宮に戻るとすでに侍従長の紫水の姿がある。ラーグ常より早く起床したせいで紫水も早くに起こされたのだろう。眉間に微妙に皺が寄っている。大抵、嫌味を言うときの顔だ。 「瑠璃の宮はまた不調のようでございますね。」  閨番から報告を受けたのだろう、大切な人質なのに、と文句をつけたいが言わずにいるという空気を醸し出している。 「あれが虚弱すぎる」  紫水が思案気にこぼす。 「…『血の呪い』と」  聞いた途端、ラーグに不快な思いが込み上げる。持っていた杯を乱暴に卓に叩きつけると、その音に周りが息を飲む。 「世間では言われているとのことです。」  ラーグの勘気が自分に向かないように、紫水は静かな声で付け足す。  ランスの血族婚は各国の間で有名であり、その異常性は『血の呪い』と揶揄される。実際に身体的に成人も儘ならない虚弱な者、短命、不妊等が生じ、さらに歪んだ精神の者も居ると言う。そして、そのような状態になっても血への妄執は止むことがない。むしろ、一層狂ったように純血を求めるのだ。  瑠璃の宮は半血とはいえ、もはや血を継げないほど濃縮してしまった父の血を引き継いでいる。瑠璃の宮の血はきょうだい婚よりまだ濃いと言われる。どんな障害が出てもおかしくないのだ。 「あれは我の所有物だ。終の神にも渡さん。」
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