6-3.独占欲

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6-3.独占欲

 瑠璃の宮は風邪ではないようだが、人事不省で寝ついているとのことだった。翌日になっても眼を覚まさないということで、ラーグは直に医師を呼びつけた。  1ヶ月後に迫った天中節でランス国の人質としてかの国の使者と謁見もしてもらわねばならないし、宮としての祭事へ参加予定あったが、果たして可能なのか。 「あれはいつ良くなる?」  単刀直入に問うラーグに応え難い医師が平伏する。 「恐れながら遠い地から来られた疲労もございます様子…そして…」  皇の意に沿う返答が出来ない医師がさらに言葉を濁す。 「何だ?はっきりと言え。」  医師が平伏した頭をさらに下げて、固い声で奏上する。 「宮様の血の濃さは全血の兄妹婚の一世代目よりも濃く御座います。…恐れながら、水の神殿ではかようなご血統について知識も薄く…」 「分からんということか。」  ラーグの苛立ちまじりの声に医師は応と応えることも出来ず、ただ叩頭するのみである。 「何処までも忌々しい国だ。」    何の策もない神官どもに用はない。紫水の不遜な視線を赦せないくらいにはいらついている。  だが、空気を読むのがうまい紫水はラーグを余計に怒らせることなく、神妙な顔で横に控えていた。 「瑠璃宮に行く。」 「行ってらっしゃいませ。」  入宮させてから呼ぶばかりで訪れたことのなかった瑠璃の宮へと足を向けた。  瑠璃宮では、皇を出迎えるべき主ではなく、侍従長が拝跪して皇を迎えた。  最敬礼をとり、宮が出迎えをしない非礼を述べようとするのを片手で制した。 「あれの所に案内しろ。」  瑠璃宮にはあまりものがなかった。北方由来の調度品等は一切なく、持参物がなかったというのは本当らしい。  それでも殺風景には見えないのは、宮の者達の采配だろう。瑠璃宮に因んで濃い青のグラデーションで全体が纏められている。  先導に続いて入った寝室は昼間というのに薄暗かった。大窓には布がかけられ、主を直接陽が射さないように為されている。  使用人達が明るい方が目覚めやすいかと、布を取っ払ったことも有ったが、日に当たった肌に水疱が出来てしまったこともあり、今は常に薄布を張っている。  瑠璃の宮は、普通に立っているだけでも汗ばむ季節であるというのに、掛布を抱きしめて震えていた。  夢に魘されているのか険しい表情で目尻からは涙が落ちていく。 「寒いのか?」  ラーグが声をかけても応えはない。  寝乱れた白金の髪を掻き分けた。額は熱い。しかし寒そうだ。顔の輪郭を辿ると頬の肉も薄い。眼窩も落窪んで病的だ。  散々泣かしてきたことは有ったが、どれも生理的な涙だった。今流している涙は何のためか。発熱のためか。    頬を辿っっていた指に、すりっと肌が擦り付けられた。涙の粒が爪に当たって崩れる。ラーグの指と瑠璃の宮の肌の間に水滴が溶け込む。  そのままにしていると、ラーグの掌に頰を埋めるように擦り寄ってくる。意識がない割に器用なことだ。ラーグの手が涙で汚れる。  不快だ。べたつく体液が肌に付くのが。  だから、手を引いた。  埋めていた熱が無くなったのを探すように瑠璃の宮から身動ぎをする。伸ばされた指がラーグの衣のほんの端を捉えた。ラーグは無感動に衣を掴む手を見下ろした。その指は折れそうに細く儚い。ラーグが裾を払えば、直ぐに解けてしまうだろう。  侍従から渡された白布で涙で濡れた手を拭った。  しかし、不快感は消えなかった。  そのまま涙の残滓が残る顔を見る。衣に縋ることで安心したのか、険しかった表情から力が抜けている。  たかがこんなわずかな布に端に縋り付いて、勝手に何に安堵するのか。悪夢に囚われ、勝手に苦しむことも嘆くことも不快だ。 (お前の主人は誰だ?お前の所有者は誰だ?)  喜怒哀楽も全てラーグに与えられるものでなければならない。  ルクレシスは本当に幼い身体付きをしている。穏やかになった表情は未だいとけない幼児のそれのようで、閨で見せる嗜虐心を煽る細さとは全く別のものだ。あまりにか細く、ラーグの手の内から崩れて消え失せそうだ。  首筋の痣は医師の配慮によって隠されていたが、あの瞬間この身体、生も死も自分の手の内にあったのに、今はラーグにも及びのつかない血のしがらみか、過去の世界に囚われていることが不快である。  ラーグは一層苛立ったまま、瑠璃の宮の手から衣を引き抜くと宮を後にした。  政務に戻ってきたが、ラーグの放つ苛ついた空気で内宮の中の空気が張り詰めて、行き交う官吏も侍従も息をひそめている。余計なことを言う奴も居らず、怒気を隠さず、仕事を進める。  緊張感からかいつも以上に書類は進んだ。官吏達がラーグの処理に追いつかなくなってきたタイミングで紫水が休憩用の茶を淹れてくる。 「瑠璃の宮様のご容態は如何でしたか?」 「知らん、寝ていれば治るだろう。」 「…それは良うございました。」  それだけで会話は終わる。  紫水から見ると、他人に余り興味もなく、これといった感情を向けることもない皇がいつになく刺激されている。そう言った意味では瑠璃の宮の存在は例外的なものであるということであるていいらしい。  皇は為政者として人を容赦なく切り捨てる部分もあるが、情に厚い部分もある。少なくとも紫水には信頼を与えてくれているだろうし、赤水のことは面白がっている。黒曜には期待もかけている。  赤水がどんな珍奇なことをしでかそうと面白がるか、呆れるだけで切り捨てはしなかったし、盲目の黒曜にはそれを補って余りある教養を与えてきた。瑠璃の宮の存在は何になるのか。  瑠璃の宮が色んな意味でうっかり死んでしまう前に見通しが立てばよいが。  身体的にも政治的にも皇の心積もりという意味でも瑠璃の宮の身はそれほど安全ではない。皇の寵を受けては寝込み、皇の勘気で殺されそうになり、生国には切り捨てられかねない。特に今はきな臭い。  天中節の騒ぎに乗じて面倒が起こらないようにと願うばかりだ。ランス国では、現在、狂信的な王族崇拝者と帝国が手を組み始めたという情報も入っている。  瑠璃の宮の存在が騒乱の種になるかも知れぬ。その存在が皇の利にならぬなら、紫水が暗黙裡に始末すること厭わない。あれだけ虚弱なのだから、死んでしまうこともあるだろう。死なせてしまってもランスからの使者には替え玉をそうと言い張れば良いだけだ。  皇がかの存在を思ったより気にかけているのは意外で、その不調に苛立っているというのはめずらしい。原因の瑠璃の宮が復調しなければ、その機嫌は治らないだろう。  侍従長として皇の機嫌を良くして職場の空気改善するというのは、今日は土台無理だと早々に諦めて、残りの仕事の仕分けにかかる。皇の機嫌に関わらず、やらねばならないことは山のようにある。  一年の中で最も陽が長く昇る夏至の日までの七日間は天中節と言われ、各地で太陽礼拝と祭事が行われる。そして諸外国からも使者が朝貢に伺ってくる。その準備も佳境に入ってきており、一年で一番忙しい時期なのだ。 「黒曜を呼んでおけ。」  至高の皇の言葉に紫水は頭を下げた。 「御意」
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