8-2.笑う

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8-2.笑う

 天中節に入ると俄かに内宮のまでも空気が忙しなくなる。連日、祭礼に晩餐が開かれるために使用人達は走り回っている状態だ。  市井でも様々な祭祀が行われており、一年で最も賑やかな時期になる。  外宮では日に四度一般参賀が行われる。一般参賀では皇の宮が名代として外宮の街を見渡すように造られたバルコニーに立つ。宮の姿を一目見ようと、全土の村々の代表が参集するのだ。  一般参賀は三日間で十二回行われる。それを宮達で分担して、バルコニーに立つことになっているが、今日は黒曜の宮がルクレシスを連れて、参賀のバルコニーに上がってくれることになっている。  紫水の宮は皇の侍従長をしている為に天中節中も皇について居なければならず、ほとんどが黒曜の宮と赤水晶の宮が担当していたらしい。それでも始まりと終わりを大切にする皇国の伝統に従って、初日の朝と最終日の夕の参賀は、最も年長の紫水の宮が民衆に祝福を授けることになっている。  始めてバルコニーに立つ前に外宮の一室から紫水の宮が執り行う参賀の様子を見ていたが、その民衆の熱狂的な様子に圧倒される。紫水の宮がバルコニーに姿を顕すと空気が割れるほどの歓声が上がる。  民衆は神の顕現である皇を直接目にすることは許されていない分、直接姿を見せてくれる宮は民衆にとってアイコニックな存在だ。  広場は人で埋め尽くされている。これが十二度も行われるとは。 「…すごいですね…皇国は本当に大きいのですね。」  ルクレシスは圧倒されてしまう。その都度その都度と必要な解説を加えてくれていた黒曜の宮に思わずそう漏らす。  天中節に準備や練習から特に黒曜の宮や赤水晶の宮とは事あるごとに顔を合わせるようになり、大分と気安くなった。 「むしろ大きくなりすぎました。広くなりすぎた国を維持するための、これは一つの見世物パフォーマンスなのですよ。」  天中節の間中、外宮の広大な広間に多くの食事と酒が尽きることなく用意され、皇都に登ってきた者たちに振舞われる。広間は皇の威光を十分に顕示するために絢爛豪華に飾り付けられ、国の繁栄をふんだんな料理で誇示する。貧しい地方から出てきた者が、自分の村に戻って皇の力と国の豊かさを褒め称え、皇の威光が末端にまで届くようにと。  税金を納めるためと、天中節に参拝するために各地は年に二度、皇都に人を遣わせることになっている。それは地方の負担になり、特に貧しい地域ほどその負担は楽ではない。そもそ貧しい地方というのは皇土拡大の中で侵略されていった被支配者地域であるから皇都から遠い。皇国に逆らうだけの力を蓄えさせないための慣習がだということだ。  天中節の参拝は義務ではないが、参拝した者の出身地は一般参賀の関所で記録されており、参拝のない村は反逆の可能性があると目を付けられることになるため、無理をしてでも人を出すことになる。 「皇国は成り立ちが征服国家ですからね。強権的にそして圧倒的な力をもってして支配しなければ混乱を招きますからね。」  一つ一つの儀式的習慣に全て実際的政治的意味がある。  講義では創世神話から始まって、皇は太陽から生まれる神だと習った。ランス国の創始神話でも、ランス国の始祖が燃える石を神から授かり、その守護者となったと言われている。始祖の子孫が火石の正統な守護者であるから、その純血を守らねばならないと。これらの創世神話どこにでもあっても、ただの政治的に都合の良い物語なのだと思っていた。  しかし、これだけの民衆を纏め上げているのが皇その人であるのだ。紫水の宮に歓声を上げている民衆の顔は喜色に彩られている。征服され、強権によって屈服させられた彼らを熱狂させる皇という存在は何なんだろうか。  初日は黒曜の宮と二人でバルコニーに立つが、二日目からは当番制になって一人で参賀を行う。それでもルクレシスはその体力のなさを心配されて、黒曜の宮と赤水晶の宮の半分だけの担当になっていた。  申し訳なさそうにしたら「去年より楽になったからいい」と赤水晶の宮に、子どもにするように頭をぽんぽんとされた。彼はどうもルクレシスを子ども扱いする。その事を黒曜の宮に言ったら笑われた。 「ずっと末弟扱いで、馬鹿にされてきたので、弟が出来たようで兄貴面したいのですよ。いくら序列が上がろうと馬鹿には変わりませんけどね。」  黒曜の宮は普段は言葉丁寧なのに、赤水晶の宮には辛辣になる。それも最近分かったことで、構って貰いたがる赤水晶の宮を黒曜の宮が冷たくあしらうのが倣いらしい。ルクレシスには優美な姿しか見せない黒曜が彼にはきつい事を言うので赤水を嫌っているのかと最初は心配したが、どうやらこういうじゃれ合いのような決まったやり取りらしい。黒曜の宮にやり込められて、思わず憮然とした表情になった赤水晶の宮が面白く、この間、ルクレシスは思わずくすりとしてしまった。 「あ、笑った。今笑ったよな!かっわいいなー!」  ルクレシスの笑ったのを見つけた赤水晶の宮が「可愛い可愛い」と騒ぎ、余計に頭をがしがしと撫でられて大変だった。軍人をしているという彼は力が強くて首が折れそうになって目が回ってしまう。 「知りませんよ。瑠璃の宮をあまり猫可愛がりすると、獰猛な狼に噛み付かれるのは貴方ですよ。」  気配で察した黒曜の宮が一声で赤水晶の宮を止めてくれる。こういったことに慣れないルクレシスからすると止めてもらって有り難かったが、黒曜の宮と赤水晶の宮のやり取りはよく分からない所がある。まだよく皇国語が習得出来ていないせいであろうか。  日中は一般参賀を交代でこなし、夜は外宮の貴賓殿で行われる天中節に周辺諸国から集まった大使達を招いての晩餐が開かれ、そこに出席すると聞いている。  ルクレシスは宮としての役務に加えて、ランス国の国賓として自国の使者との謁見の場に同席することになっている。それは年一度、ランス国が恭順の意を示すために皇に拝謁を賜ることと人質が生きていることを使者が確認するためである。  生国に居た時、日がな一日無為に過ごしていた時とは打って変わって、天中節中は目が回る程に忙しく立ち回ることになった。  何が一番忙しいかというと、行事ごとに衣装を変えねばならないことだ。一般参賀も一度として同じ衣装で立つことなく、刺繍や輝石が縫い付けられた正装に次から次へと着かえさせられる。衣装を変えたら、髪も結い直し、さらに装身具も合わせたものに付けかえる。  衣装係の側仕え達にとっては命がけの仕事である。下着から結び紐一本まで遺漏ないように一式ずつ揃えて保管し、行事に合わせて、次々に着せ替えていく。髪飾り一つでも間違えようものなら、主に恥をかかすことになるため、必死である。  着付けられるルクレシスも疲労困憊になる。何もかもが重く、座っているだけで疲れるのだ。痩身ながら、これを平然と着こなしている黒曜の宮には「慣れです」と言われた。赤水晶の宮は「肉を食え」とだけだった。
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