1-2.人質

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1-2.人質

 ここは大陸の南方の広大な地をおさめる(こう)皇国である。ルクレシスは皇国から北西に馬で2ヶ月ほどかかるランス国から皇国に人質として献上された王位継承権第2位のランス国の王子であった。  とはいえ、王位継承権を認められたのは人質として馬車に乗せられる前日で、それまでは存在そのもの無き者とされていた先王の庶子だった。  ランス国は、その国土は黄皇国の10分の1にも満たない、気候も寒冷で山岳部にある小国であった。別名”北の谷”とも言われる小国であるランス国がこれまで一国として存続してこられたのは、火石(ひせき)という打ち合わせることで火を起こす事ができ、それ自体が燃料にもなるという鉱石があったおかげであった。この鉱石がまとまって採掘できるのは国土の大半を占める渓谷であり、火石を輸出する対価に食糧を輸入することで成り立ってきた国である。  一方、ランス国の南に位置する黄皇国は肥沃な大地をもち、太陽神の顕現とされる皇によって支配される巨大な皇国である。皇は太陽によって選ばれるとされ、太陽神として崇められ、政治は皇を中心とした神殿が行う宗教国家でもある。  独特の皇制がとられ、皇は陽の神殿から今上皇の陰の宮に入った(死去した)次の朝に顕れるとされる。どういった基準でどういった方法で選ばれるのかは秘儀とされ詳細は明かされていないが、優れた若い皇が夜明けにたつのだ。  皇族はおらず、皇は生涯一人であり、その皇が死ぬと新たな皇が現れる。周辺国がしばしば王位継承をめぐる内紛によって弱体化する中、皇国が永い間、強大なまま繁栄を続けてきたのは、血縁にこだわらず知力、膂力、カリスマ性の最も優れたものが皇として君臨するというシステムのおかげであると言える。  ランス国はその点では血縁にこだわり過ぎて、弱体化の一途を辿っていた。始祖から連綿と続く王族の血を穢すことを何よりも厭って、血族婚を繰り返した。いとこ婚の子が甥と子をなし、その血を危険なまでに濃くしていった。  そのため生まれる子は病弱で早逝が多くなり、そして、ついには子が出来ることも稀になり、子を宿しても流産を繰り返すようになったが、それでも血への執着は変わらなかった。  ルクレシスの存在は、そんなランス王族の中では異質で、前王が例外的に血族以外の女性に生ませた私生児であった。前王は正妃との間に子が望めないことに焦燥したのか、たまたま食指が動いたのか、正妃の話し相手として王城に上がっていた伯爵令嬢との間に半血の子をなした。  これまでの歴史上、正統なる血筋でないものは王族としては認められず、闇に葬られてきた。ルクレシスも半血であり慣例に従えば王族として認められず、早々に殺されていてもおかしくなかった。しかし、ずっと王城の一角に軟禁されて王族として認められないが生かされているという中途半端な扱いを受け続けてきたのは、後継者問題はさらに逼迫を極めていたという理由も1つある。  前王(ランス=イル=デシル)の兄弟で成人できたのは弟一人だけであり、この弟が現在の国王(ランス=ディア=ラセル)となっている。  始祖の嫡流であるイル家の前王と王妃の間には女児が生まれたきり、正統なる血筋の嫡男に恵まれなかった。この女児も産まれてから表舞台に出たことはない。  分流にあたるディア家ではランス=ディア=ジシスという男児が生まれていた。珍しく健康に問題のない男児であった。  前王が嫡男を残さずに急逝した後、王弟ラセルが王位を継ぎ、このジシスが王位継承権第1位となっている。  ディア家で何とか血を継げるとしても、王位継承者がジシス一人だけという心許ない事態でもあり、国内にはルクレシスを王族として推す一派も居たが、現国王は断固として認めなかった。ラセル王が異常な程の血統主義者であったからである。  ラセル王がルクレシスの存在を血を穢す存在として忌避していても消すことが出来なかった理由はほかにもあった。  一つはルクレシスの生母の実家である伯爵家の勢力が非常に強いためである。ルクレシスを王族として認めさせて、外戚を狙う伯爵の力でルクレシスは殺されないように強力に守られていた。一方で王城から出ることは王族であることを否認することになるため、強引に王城にとどめ置かれた。  もう一つは半血のルクレシスの瞳に顕れた王族の誰よりも濃い紺色(ランスルー)だ。生きた宝石とも言われる濃紺(ランスルー)の瞳は王族の始祖の肖像画から取り出してきたかのようであった。だからこそ、血統主義者もルクレシスを簡単に殺すことが出来なかったのだ。  半血のルクレシスに王統を渡すことは出来ない血統主義者のラセル王は、叔母が嫁いだ東のアデル帝国にはランス王族の血を引く姫を息子に娶わせることで自身の血を継がそうと画策した。帝国は姫を嫁がせることを約束し、その見返りとして火石の採掘量の6割にもあたる量を毎年、帝国に輸出することを要求してきた。  ランス国が小さくとも独立を保ってこられたのは大陸で消費される火石の大半がランス産であるためだ。どの国にとっても垂涎の的の弱小国は、諸国と火石の供給に関わる取り決めを結ぶことで自衛してきた。  アデル帝国が火石を独占することになれば、一気に大陸のパワーバランスは変わってしまう。帝国が独占することで、出回る火石の原価は一気に高騰するだろう。供給量が限られているため、諸国は火石を得るために帝国に下らなければならず、事実上、帝国の一人勝ちになってしまう。それは大陸を帝国と二分する黄皇国にとっては看過出来ぬことであった。  アデル帝国と黄皇国は領海権を巡って、長年、睨み合いを続けており、帝国に少しでも下手に出れば、たちまち領海を食い荒らされる。しかし、十分な火石を得られなければ、軍事にさく余裕はなくなるわけで、帝国に食い荒らされることになる。火石の値が高騰すれば、産業も生活も大打撃を受け、広大な国土を維持することが出来なくなる。  この密約を嗅ぎつけた皇国は、ランス国に火石の供給とともに引き換えにこれまで守ってきた不可侵条約に対する反故であると国境近くまで派兵し、脅しをちらつかせて、全く対等でない友好条約を突きつけた。火石を直接皇国に輸出することと引き換えにランス国の有事には皇国が兵を出すという内容であった。  友好の証にランス国から王族を、皇国からは高位神官を互いの国に派遣することになった。  帝国に助力を乞う間もない圧力にラセル王はルクレシスを王族の末端として認知すると翌日には十分な支度もさせずに皇国軍に引き渡したのだった。  つまりルクレシスは人質に丁度良い王族として、叔父によって黄皇国に売られた。
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