9-2.執着

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9-2.執着

 ハサル=ディクレスは王太子ジシスの乳兄弟である。ジシスは国の期待を一身に受けて誕生した王族の健康な男児であった。産まれながら王となることを定められた人物であり、その殿下と同じ時期に産まれたことは自分にとって人生で最も幸運なことであった。  共に育ち、共に学び、常に守り従い、殿下が喜ぶことであれば何でもした。王族の者らしく傲岸不遜で振り回されはしたものの、それも王族らしく望ましかった。  同年代の学友が些細な理由や彼の気分で冷遇されることがあっても、ディクレスだけはいつも側に居ることを許された。殿下が何を望み、何を好み、何を嫌うか、癇癪にどう付き合うか、それがディクレスの悦びで世界の全てであった。  他の取り巻きより、よりジシスの好みについて把握していて、彼の望み通りに振る舞うディクレスはジシスのお気に入りだった。  前王のデシル王が妾に子を産ませた時、ジシス殿下とディクレスは六歳になったばかりだった。  聖なる血統に卑賤の血が入ったことにひどく憤ったものだ。その卑しい子どもが万が一、デシル王の嫡男と認められるならば、王太子になるかもしれないのだ。次期王太子の側近たる私と自負して来たディクレスにとって、その存在は目の上のこぶだった。とはいえ、婚外子、半血、歴史上、そういった存在が王族と認められたことはない。半血など歯牙にもかからぬ存在だと思っていた。しかし殿下は異様にその私生児を気にかけるようになった。  前王が急逝し、その私生児をディア家が管理するようになると、しばしば幽閉先の部屋にディクレスや取り巻きを伴ってその様子を見に行くのだ。  半血にも関わらず、その瞳はランス国を象徴する見事な濃紺(ランスルー)なのが本当に気に食わない。  しかし、部屋を訪れる度にジシス殿下はその瞳に魅入られたようにじっと見つめる。ルクレシスの方が目をそらして、彼等の存在を無視し始めると殿下は苛立たれる。だからディクレスは大声で恫喝したり、罵倒することでこちらを向かせた。  だが、次第にどんな言葉をかけても反応しなくなると、無視に腹を立てた殿下が突き飛ばしてそれを椅子から落とした。その時は流石にやり過ぎたと慌てて帰ったが、世話係の下男下女が彼等のことを告げ口することもなかった。  誰にも咎められないことをいいことに、その行為はエスカレートしていった。  ディクレスは殿下がルクレシスに心奪われていることに苛立ちながらも、殿下が悦ぶようにルクレシスをあらゆる方法で痛めつけることを考えた。妾の女のことを罵倒すれば顔が歪み、衣服に隠れない場所を殴ろうとすると抵抗することを知った。時々、殺風景な部屋にちょっとした物が増えるのをめざとく見つけては、それを壊してやった。きっと姦婦からの贈り物だったのだろう。「やめて」と必死で請う姿に彼の顔が恍惚となるから、ルクレシスの心に傷を付けられることは何でもやった。  ディクレスは決して認めないだろうが、かの心を占めていたのはルクレシスへの嫉妬だった。自分の全てを捧げている殿下が、どれだけ尽くしても自分を見てくれず、出来損ないの半血に心奪われていることへの憤りが、全てルクレシスへの攻撃として向かっていった。 (お前がいるから!お前がいるから、ジシス殿下は私を見て下さらない!) (死ねばいいのに)  何度かそのまま息の根をとめてやろうと思った。しかし寸でのところで、殿下が「飽きた」ときびすを返すのだ。苦々しく思いながらもそうなると共に帰らねばならない。  これが俗に言われる血の呪いなのか、とディクレスはいつも思い知らされる。ジシス殿下は王族の血を半分であっても引いているルクレシスに明らかに執着していた。  瞳だけは濃紺(ランスルー)だが、それ以外は見窄らしい痩せた子どもなのに。  しかし久々に会ったルクレシス殿はランスに居た時から様変わりしていた。異国の上等な服を着せられ、病的に痩せ細って居た身体がしっとりとした色香を放つようになっていた。思わず、唾を飲んでしまうような艶を含んでいる。 (忌々しい。淫婦の血筋め。)  男に媚び売って、安寧としているのが許しがたい。アデル帝国と組んで進めるはずだった計画も、警戒心の強い仲介の商人が皇都より引き揚げてしまい、思うように進まなかった。  計画のついでにルクレシスを商人に売ってやろうと考え、商人も希少性の高いランスルーに乗り気だった。ルクレシスが売られ、男娼にでもなってボロボロにされれば、この焼けつくような胸の内もすくと思っていたのに。  今回不首尾に終わったのはディクレスがルクレシスに接触したせいであった。なんと軽はずみなことをしてくれたのか、と下賎な商人が貴族であるディクレスに無礼な口をきいてきたので余計に苛々とする。そのままさっさと皇都から引き上げてしまったのだ。仕方なしに帰路につく。  また機会はあるだろう。初めて二ヶ月以上も離れた殿下の姿を思い浮かべながら逸る気持ちで御者を急かす。  しかし自国に入る手前の隣国でハサル卿の次男を乗せた馬車は、馬の暴走で谷に転落するという不慮の事故に遭ってしまい、国に帰り着くことは出来なかった。
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