2-1.処遇

1/1
前へ
/157ページ
次へ

2-1.処遇

 ルクレシスは覚醒の瞬間、全身を貫く痛みにうめくことになった。目覚めたのは、黄皇国に連れて来られて以来起居している部屋の寝台だった。  優秀な部屋付きの側仕えが貴賓の目覚めにすぐに気づいて、身体を起こすことの出来ないルクレシスに吸い口を口元にあてがってくれる。  吸い口から流し込まれる果実水が喉と胃に痛いくらいに沁みる。  身を起こそうとするが、身体中が軋んで、力が入らない。 「ランスの御方様、御目覚めになられてようございました。」  この貴賓室の責任者だという老年の男が姿を表し、ルクレシスに声をかける。彼はひどく気遣わしげな表情だった。 「おかげんはいかがでございますか?」  慣れない皇国語に何かを問いかけられているのは分かるが、答えられるほど頭が働かない。身体中が不快だった。 「…ぐっ、あ…」  譫言のように繰り返す。  体格の良い若い男がルクレシスの身体を抱えて、何度も果実水を飲ませてくれる。飲みたいのに喉の激痛で飲み込めなくて、口の端からこぼれてしまうので、少しずつ少しずつ流し込まれた。  一頻り水をもらうと目を開けてられないくらい瞼が重くなってくる。  朦朧としているルクレシスを側仕えの男が抱き上げ、するすると着衣をはだけ、温かい布地で拭きあげていく。ルクレシスが指一本動かすことなく、また新しい着衣に変えられた。男が抱き上げている間に手早く寝台の敷布も真新しいものに敷き替えられる。  泥沼に引きずり込まれるように再び意識を失ったルクレシスは何も分からぬまま、また敷布の上にそっと下ろされる。それでも肌触りが良くなったことを身体が感じたのか、強張りがほんの少し解ける。    それからもルクレシスは熱にうなされ、うつらうつらと目を覚ますことを繰り返していた。  目覚めるといつも誰かが侍っている。そして甲斐甲斐しく水を飲ませてくれたり、甘い果汁を舌に落としてくれる。ベタついて気持ちの悪い汗も布で押さえてくれる。そして、腕一本動かすことさえ悲鳴をあげる身体の体位を替えては骨同士が当たらないように柔らかなクッションが当てがわれる。  黙々と世話してくれる男を夢か現実か判然としないままに見ながら、こんなに恭しく丁寧に扱われたことは初めてで嗤えてくる。  南の特徴である浅黒い肌の男とふと目が合って、世話をかけていることの謝意を口にしようとしたが、ほとんどかすれて音にならなかった。  うつらうつらしながら幾度めかに目を覚ました時、丁度、白髪頭の医師が枕元まで来ていた。  皇国語で話される内容は熱っぽい頭には半分くらいしか入ってこない。かなり経過がよくなかったらしい。ルクレシスが身体を起こして医師を迎えることが出来る様になって、医師も安堵の表情を浮かべた。  快方に向かっていると聞くものの、水の入ったコップすら重く感じるほど、全身が重い。  熱が下がってからもずっと寝台を離れられず、ルクレシスはため息をつく。夜伽一晩であれならば、他の寵童達はよく無事なものだと思う。 (慣れなのか…慣れたくもない…)  そもそもこの一回の房事で詰まらないものと、皇は二度とルクレシスを閨に呼ばれぬかもしれない。そうであって欲しいが、人質として来たものの、人質として存在する他に自分は何をすべきなのか、全く分からない。  ここまで来ても、自分はただ飼われるままなのだ。 (どうでもいい…)  そう、ルクレシス出来ることは何もない。  今は衣服が与えられ、食事が与えられ、厚遇されている。しかし、次の瞬間にすべてを剝ぎ取られ、冷遇されるとしても、致し方ないとしなければならない。  小国からの贄として皇にいたぶられるのが役目であるならば、それも甘受しなければならない。  すべてはいつか自分の上を通り過ぎていく。嬲り殺しにされて、それでおしまいということもあるかもしれないが、人質である以上、簡単には殺されない。  それだけ長く続くのだと考えると鬱々とするので、何も考えない方がよいのだ。  ルクレシスは諦めることに慣れていた。 =============  ラーグは朝議の場に向かう際に、侍従長より今日の議題とともに戯れに伽役に侍った小国の王族についての報告を受けた。 「皇、先日召されたランスの御方ですが、まだ体調が快復しないとのことです。」  ラーグに付き従う侍従長の言葉には、どこか非難するような響きがある。何が言いたいとその顔を見ると紫色の瞳に呆れた色を浮かべている。  侍従長曰く、未だ高熱が続いており、復調には時間がかかりそうだと医師が奏上してきたと。 「弱すぎるだろう」  ランスなどという小国に侮られたという怒りもあった分、性交慣れしていない身体を雑に扱った覚えはあった。性技もなにもない身体をラーグが一方的に凌辱しただけであったが、皇に奉仕することに長けた他の伽役を抱いた時よりも満足感があった。  意識を失った身体から赤と白の粘液が流れ落ちる様はラーグの気持ちをひどく満たし、何度も挿入して、意のままに扱ってやった。ラーグが心地よい倦怠感と眠気を感じた時、やっとその身体から身を抜いたが、そのまま腕に抱いて眠りについた。  陽が差し、ラーグが目覚めた時、寝台は凄惨であった。挨拶に来たベテランの侍従が驚きの余りに狼狽する程だったのだ。  皇の腕に抱かれたままの伽役の四肢は力を失っており、目にした侍従は死んでるのかと思ったらしい。  普段は事が終わるとラーグは夜伽役を早々に閨から去らせる。皇が伽役に居座られることを良しとしないことを知っている閨番は夜伽役を事が終われば下がらせるのだ。  そして皇が果実水などで喉を潤し、湯殿で汗を流している間に寝台は再びまっさらに整えられている。  しかし、あの夜はラーグがその身体を抱いたまま寝てしまったので、側に控えた者たちが寝台を清めるタイミングもなく、敷布には血や体液が飛び散ったままだった。そこに血の気を失った蝋人形のように青白い肢体が転がっていたら、死体とも見紛うこともあろう。  朝の陽の光の中で見て、ラーグ自身も自分の嗜虐ぶりに、よくもまあここまでいたぶったものだと嗤った。捨てるように寄こされた貧相な王子を嬲ったところで何の益も生まぬというのに。  あの冷めたような諦めたような、何も見ようとしない濁った濃紺(ランスルー)の目が癇に障り、つい苛みが強くなってしまった。我にすがり、懇願させてやろう、泣き叫ばせてやろうと力を加えすぎて、やりすぎた感はある。      わざわざ侍従長が報告してくるということは、快復に時間がかかるのではなく、快復しない可能性があるということだ。侍従長は子どもに甘い奴だから、非難がましい響きがあったのはそういうことだろう。  夜伽役としては、別に代わりはいくらでも居る。性技に長けた美麗の寵童は何人でも居る。 (しかし、まだ殺すのはもったいない…)  ランス国から人質として貰い受けた王族を早々に殺してしまっては、意味がない。しかもたかが夜伽で。もっと政治的に有用なときに利用しなければならない。  ルクレシスにつけた医師によると、全身状態も悪いが、特に腸壁の裂傷がひどく、再び寵を身体に受けられるようになるまでにはひと月以上はかかるとのことだった。 (つまらん)  今日の議題の一つとしてランス国の王子の当面の処遇を審議する事になっている。 「あれは何が出来る。」  半身後ろを歩く侍従長に問う。人質でやってくる者が性技を仕込まれていたりすることはよくある。だが、あれは一度呼んで分かったが、それはない。 「歌や舞を嗜むようでもないですしね…」  侍従長も貴賓室からの報告書の内容を思い出しながら考えているようだ。  日がな一日、ずっと窓辺で椅子に座って微動だにしないとか。部屋付きの者達が、やれお茶だ、食事だと声をかけなければ、ずっとそのままだとか。外宮の召使い達は、楽だが気味が悪いと遠巻きにしているとか。  手慰みに楽器を奏でるでも、散策するでもなく、本を渡すと興味深げに手に取っては挿絵をじーっと見て、しばらくするとすっと返してくるのだと言う。 「恐れながら、報告ではランスの御方が文字を読まれないのではないかと…」 「本当に何も仕込まれていないと見える。」  大体、どの国の王族も外交の為に周辺諸国の言語はいくつか習得しているものだ。いくら急に人質として皇国に来ることになったとはいえ、満足に皇国語の読字も出来ないとは。 (禄に言語も扱えないとなると官としても使い途がないな…)  事前調書から推察すれば、母国語の読み書きも怪しいものである。おそらく意図して文盲に育てられたのだろうと推測される。無駄な知識をつけられて、王位継承を主張されるのが嫌だったのだろう。または王に祭り上げて、何も知らない傀儡として意のままに扱いたかったのか。  ラーグは久々に愉快な気持ちになる。 (何にも染まっていないというのも一興だな…)  内宮ではランス国からの人質の審議が行われる。  今はとりあえず国賓として扱っているが、そのままには出来ない。北方の国から来た人質王族を如何に利用するかである。  ランス国に送った高位神官は、要はランス国を友好の名のもとに監視する役である。それによると、かの国の内においてもアデル帝国との密約に応じるかは真二つに別れているようであった。  アデル帝国との密約を結べば、帝国がより利益をあげるために火石の値段を買いたたくことは目に見えている。また6割もの火石を持てば、その火力を使って、ランス国を蹂躙することは容易くなる。  さらに帝国からすれば姫を嫁がせることで、縁戚として国政に口を出す事も出来るようになる。  シザ教圏国として同盟関係にあるとは言え、アデル帝国に付け入られる口実を作ったラセル王を糾弾する動きもあるという。  しかし、続く冷夏によって慢性的な食糧不足に陥っているランス国にとってはまとまった食糧と火石を交換出来る力を持つ帝国との取引を無下には出来ない。  この大陸において、帝国と同等の力を持つのは黄皇国だ。だが黄皇国とは宗教も異なる。同じシザ教圏にある国としてもアデル帝国との密約は遅かれ早かれ必至であった。  内宮の議場には神殿の神官長と高位神官が席を連ねている。 「以前の王子は、宦官にして神殿に奉じましたな。」  議場の一人が前例を引き合いに出す。他国は質との間に子を成すことで縁戚関係を結んでいく。血統を重視しない黄皇国ではむしろ要らぬ諍いを呼ぶため、質を去勢することはよくある。  だがランス国との取り決めで唯一去勢はしないとされている。ランス国にとっては半血でも貴重な血なのだ。  そう取り決めたからといって皇国が律儀に守るかは別の話だが。  神官達は皇の意図を計りながら、大して益にもならぬ上、王族かどうかも不安定なルクレシスの処遇をどうするか定まらない。  無理矢理に締結させた友好条約で、帝国の機先を制し、当面の火石は確保され、監視役の高位神官も入国させている。  人質が生きてさえいれば、ランス国も文句は言わないだろう。  黄皇国にとってはランス国がアデル帝国に対して大陸の均衡を崩すほどの火石を融通しようとしたことは腹立たしいことこの上なかった。皇国と帝国の拮抗を崩す愚策でしかない。ランス国含め周辺諸国は、その平穏に与っているくせに。  人質がこの軋轢のせいで腹いせで冷遇されることは送った側も分かっているだろう。  だからこそ、その目の色以外は王族と思えぬ見窄らしい者を送りつけてきたのだろう。皇国への手前上、継承権第二位に叙されてはいるものの、伴の者も一人も居ず、国境で馬車ごと捨てるように置いていかれた者だ。  しかし、さすがにどんなに冷遇しようと殺す訳にはいかない。友好の証であり、人質なのであるから。  ルクレシスが生きているかどうかは、雑に扱うランス国にとっても非常に重要なことである。今、王太子の身に何か合った際には王位につける可能性のある者はいない。それこそ、アデル帝国に飲み込まれることになる。現国王は一刻でも早く王太子と姫が結婚し、嫡男が誕生することだけが悲願だ。そうなれば、もう死んでくれた方が助かるというものだろう。  それまでは人質として価値がある。そのため、どこに置いておくかだ。現時点では、外国の継承権を持つ者を去勢は出来ない。腹いせとして宦官することは出来ないので、辺境の神殿に軟禁か。  ラーグが口を開く。 「あれに午前と午後と教師を付けよ。閨房作法も身につけさせよ。武術に精通している訳でもあるまい。伽にも使えんとなると無駄だ。」  皇の言葉に一同が驚く。教育も与え、王城に置いておくということか。 「皇よ、恐れながら…宮を与えるということでございましょうか。」  皇はまだあの者を閨に召す気分があるようだ。初夜はなかなかの惨劇だったらしいと王城内ではささやかれている。愚かにも皇の不興を買って、半殺しの目に遭ったのだと。  しかし、もし皇から三度の恩寵を身に受けることとなれば、皇の奥宮に寵童として宮を賜ることになる。  宮を持つことは、皇の直近に侍ることを指し、皇に次ぐ立場となる。  教師をつけるという皇の命から察するに、夜伽に加えて何らかの他の役にも付ける可能性があるのだろうか。過去に、少年の時分に夜伽として宮を賜った者が、近衛隊長にまで力を伸ばしたことも、宮持ちから高位の文官に上り詰めた者もいた。  確かに入宮すれば、管理は容易くなるが、あまり人を側に置きたがらない今上皇が珍しいことで、神官達は動揺を抑えながら皇の決定に叩頭して恭順の意を示した。
/157ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2673人が本棚に入れています
本棚に追加