2-2.不安 ※

1/3
前へ
/157ページ
次へ

2-2.不安 ※

 天中節が明けてから、ルクレシスは三、四日に一度位の割合で召されるというリズムが出来てきた。閨に侍ると翌朝まで皇の寝台に過ごす。そして、腰の立たなくなっているルクレシスは皇が朝儀に向かうのを寝台の上から見送り、宮の者に迎えに来てもらう。  自宮に戻って少し食事を口にすると、うとうとしてきて寝室に運ばれる。昼食時に起こされて、調子が良ければ午後の講義を受け、夕飯前の体術の時間、夕食に湯浴み、作法の時間で就寝となっている。召命のある日は、午後の講義の後から湯浴みと夜伽の準備になる。  そんな生活の流れになった。  体力も少しずつついてきたようで、これまで散策も一刻もすると息が上がって、足が痛くなったものだが、最近では一刻は問題なくなり、その後に武術の型の練習などを入れて貰っている。  夜伽の後どうやら発熱とは関係なく関節がひどく痛むので水の少年に何気なく言ったところ、関節が固いせいで様々な体位を取るのに負担がかかっているのでしょうと返された。  毎度皇に力をかけられた拍子に関節が脱臼するのではないかという程の激痛に見舞われるのは回避したく、火の神官に柔軟の訓練もして貰うことになった。  だが、暫くすると様々な事情があるとの説明があり、水の神官が柔軟体操に付き合ってくれるようになった。 「???」  目の前の少年宦官が見本として見せる姿勢がルクレシスには理解出来ない。  開脚された足がどうして頭近くにいくのか。  彼は曲芸師なのか。 「水の神官は日々、関節を解す練習をしております。」  ルクレシスの驚いた様子を見て、少年が答えてくれる。彼曰く、性技のどのような体位にも対応出来るようにだと。  彼も誰かの閨に侍ることがあるのだろうか、とルクレシスは疑問に思う。そんな疑問に少年が答える。 「宮様、私は宮様の専属の水の神官で御座います。宮様にお仕えするのが役目でございます。私に熱の発散を命じて下さって良いのですよ。」  ルクレシスは、遠慮なさらずにとあどけない笑みで答える少年を驚愕を持って見る。皇がルクレシスにするように彼にするのか。  彼の方がよっぽど性技に長けているけれども、彼にそうした行為を自分がするということは考えられなかった。  黒曜宮に度々招待されることもあって、話をする機会もよくあるのだが、黒曜の宮からも年長の水の神官を瑠璃宮にどうかと勧められたことがあった。 「彼は皇の専属であったこともあるので、瑠璃の宮のお力になるかと思います。暫くお側に置かれてはいかがですか?」  壮年と言う程の年ではないが、年長者らしい落ち着いた雰囲気を持つ神官がルクレシスに拝跪するものだから、狼狽してしまう。  慌てて申し出は固辞したものの、かつて黒曜の宮が皇の閨事の好みを知るために強請って、皇から下賜してもらった神官だという。 「抱くことでどの様に動けば皇に悦んで頂けるか勉強になりますよ。」  ルクレシスは目の前の嫋やかな人が「抱く」と言ったことに動揺する。ルクレシスの戸惑いを空気で感じ取った黒曜が苦笑する。 「私も男ですからね。」  ルクレシスももちろん黒曜の宮を女性だと思った事はないが、男性性を超越しているというか、身体の欲などとは遠い、聖人めいた雰囲気のある黒曜の宮から彼自身の房事を言及されて、どぎまぎしてしまう。  そして、ふと思い当たる。 (そうか、黒曜の宮も伽に御前に上がられるのか…)  考えてみれば当たり前の事だ。ルクレシスは毎晩呼ばれる訳ではない。ルクレシスが呼ばれない夜は誰かが皇の寝所に上がっているのだ。皇自身が別の者を呼ぶと仰せになった事もある。  いつかの夜と同じように、今立っているその床が脆く崩れてしまうような不安が這い登ってくる。 (伽役すら満足頂けなかったら、私は…)  はっきりと自分の気持ちを自覚する。 (…見捨てられる…?ここでも必要のない者になる?…嫌だ、怖い…) (見捨てられる…彼を抱けばもっと上手になれる?) (怖い…寒い…) 『今更かまととぶって』  見捨てられたくない。でも、閨房作法の時間を嫌がって、黒曜の宮のように皇に喜んでもらうための努めも果たさない自分。 (抱かれなきゃ。喜んでお召しに応えないと) 『汚らわしい』 『淫乱の子は喜んで脚を開く』 (違う…こんなことしたくなかった!) 『裁きを受けよ』 『あいつを地に埋めよ』 (僕は、悪くない…) (ううん、悪いのは僕?) 『ほら、辛いだけだよ』 「大丈夫ですか?少しお疲れなのではありませんか?」  黒曜の声で思考の渦に呑み込まれていたルクレシスの意識がはっと現実に戻る。 「…申し訳ありません…ぼーっとしてしまいました。」  慌てて言い繕う。何故か目の前の優しい人を見られなかった。彼が盲目で良かったなどと失礼なことを思ってしまう。  今、顔色や表情まで取り繕えていると思わない。敏い宮の事だから空気で察しているかも知れないが、ルクレシスのことを気遣ってくれる。 「この季節は暑さで疲れが溜まりやすいですからね。瑠璃の宮は特に涼しい地方から来られたのですから、殊更、身体も驚いて居られるでしょう。」  後は当たり障りのない気候や天気の話をして黒曜宮を辞した。口にはしないが様子がおかしくなったルクレシスを心配しているかのように宮で飲むようにと茶葉を持たせてくれた。  自宮に戻ると心の奥底に押し込めたはずの呪詛がルクレシスの意識を支配し始める。  不安だった。こんな日に幸か不幸か召命はない。  今は何もかも考えられなくなるほどに無茶苦茶にされて、意識を失いたかった。皇の腕の中で安心出来たはずなのに。    不安が胸を押しつぶしていく。  考えてはいけない。虚無で心を塗り潰すしかない。  伽のない夜が長くて怖い。  夏至の夜にあのまま身体も心も壊れてしまえば良かった。 ================== 柔軟体操のこぼれ話は、スター特典 1.絶対零度 です。
/157ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2672人が本棚に入れています
本棚に追加