3-1.劣情

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3-1.劣情

 ランス国は表面的には何事もないかのように平静を装い、内部では蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。  王太子の腹心の部下であったハサル=ディクレスが事故で死亡した。谷沿いの細い道で馬車ごと谷底に落ちたのだ。道が悪かった上に御者が馬を急かし過ぎたことが原因で車輪が滑り、カーブを曲がりきれずにそのまま道を外れて滑落して行ったとのことであった。  報告を受けた王太子のジシスは怒り狂って、室内の調度品を叩き割り、激しい怒声と罵声に使用人達は一気に退散していった。王太子はそれでも怒りが収まらず、部屋の中を意味もなく歩き回る。 「忌々しい!何が事故だ!あやつらが」 「殿下!なりません!」  まだ落ち着かない王太子の言を宰相が慌てて止める。  宰相にしてもハサル家の次男を襲った事態がただの事故だとおめでたくも信じているわけではない。あからさまに皇国による報復だと言うことを見せ付けられながらも、証拠も何もない。皇国の神官が型通りの哀悼の意を書面で寄越したが、なお一層侮られているとしか思えない。  だが、一言であろうとも皇国を糾弾するようなことは言うことはできない。それが今のランス国の立ち位置だ。  ランス国は今や前にはアデル帝国、後ろには皇国、正に前門に虎、後門に狼の状況である。  その上、今年は火石の採掘量がまた著しく減少している。このまま行けば、帝国と皇国に引き渡さねばならない量を捻出するのが精一杯だ。国内で流通させられる量は限られ、このままでは雪深い冬場に火石を買い求めらない者から凍死していくことになる。 「くそっ!亡国の魔女め!あれが諸悪の根源だ!」  王太子の詮の無い罵声が続く。  宰相も焦っていた。書類上で元王妃となったレシア妃に対してシザ教の司教が興味を示していたのは本当のことで、もしレシア妃を彼に贈呈するならば教会からそれなりの見返りを得ることが出来るはずだった。  教会に献上している火石を一割減らし、その分を代替として勤労奉仕として人を献上するという手はずになっていたのに、貴族の以上の子女の婚姻や移動について、皇国からの横槍が入ったのだ。レシア妃をシザ教の修道院に入れることが皇国にとって不利になるとは考えられないため、まさか許可が降りないとは考えていなかったが、そのまさか、今は書類が保留のまま留め置かれてしまっている。  確かに火石の採掘のために10歳にも満たない子どもまで労使しているランス国では、勤労奉仕として年に500人もの人間をシザ教に献上することも非常に負担ではある。しかし、火石の絶対量が足りない今、火石の負担を減らすことが優先すべきことだった。  宰相からするとシザ教の内部がいかに腐っていようとも、元王妃がどのように扱われるのかもどうでもよく、むしろこれ以上、仮初めの王族として何の価値もない元王妃が役に立つなら嬉しい限りであったのに、計画が頓挫してしまっていることに頭を抱える。 「くそっ!」  まだ怒りの収まらない王太子が手近になった花器に八つ当たりする。  宰相には王太子を諌めることも出来ない。ランス国の唯一完全な王統の血を継いだ健康な嫡男なのだ。しかし、身体が健康でも精神は。  ただ、狂気に呑まれた薄青の目と合わないように目を逸らして、王太子が足音高く出ていくのをほっとして見送るしかない。  悪態をつきながら廊下を歩くジシスに対して、すれ違う者達が勘気に触れぬように避けていく。  ジシスの胸の内は荒れ狂っていた。ルクレシスが皇国に行って六ヶ月間、執着の対象が居なくなったジシスはその穴を埋めるべく、レシアにルクレシスの面影を求めた。  王族が住まうには陽当たりも悪く、寂れた北棟に押し込められている書類上の元王妃の部屋の扉を乱暴に開く。  使用人達はさっと逃げ出し、蒼白な顔で立ち尽くすこの部屋の女主人のレシア妃だけが取り残されている。  使用人達はジシスがこの部屋でいかように振る舞おうとも咎めたり、他に漏らすことはない。  怯えたようにジシスを見るレシアは白皙の肌に柔らかい白金の髪を持っている。それはルクレシスとそっくりだ。しかし、その瞳は平凡な茶である。 「姦婦の分際で顔を上げるな!」  突然、乱入しておきながら、その茶色の瞳に激高してジシスはチェストの上にあった置物を衝動的に投げつけた。  か細い女の悲鳴が上がる。 「きゃっ!」  小さいが陶器の置物は、咄嗟に顔を庇ったレシアの腕に当たって、鈍い音をたてて床に落ち、女は床に倒れ込んだ。  ジシスにはレシアが上げたとっさの声も勘に触る。倒れ込んだレシアに馬乗りになると乱暴に口をふさいだ。 「声を出すな!耳が穢れる!」  ジシスの下でがくがくと震えているレシアはその髪と顔の造作はルクレシスと瓜二つなのに、女の妙に甲高い声と茶色の瞳がルクレシスの幻影をぶち壊す。この女は静かにしろと言っても、余計に勘に障る悲鳴を上げるだけだ。  しかし柔らかい白金の髪を掴んだ感触はあれを掴む感触と同じで、無意識のうちに髪の合間から見える白磁のうなじに噛み付く。 「ひっ!」  再び甲高い悲鳴が上がって、一瞬にして興が冷める。歯を立てた感覚がルクレシスとは全く違う。声も違う。そうと感じると触れているのも穢らわしくなって、レシアの四肢を床に投げ捨てた。 「さすがは淫婦の子どもだけある。ルクレシスは皇の慰み者らしいぞ。男に抱かれてよがっているとは身体で取り入るお前の子らしいではないか。」  床の上で倒れているレシアに侮蔑の言葉を投げつけて、この部屋の空気は一秒とも吸いたくないと足早に退出する。  皇国の男色の慣習は有名だ。あの国では皇の後宮に侍るのは男のみだ。皇の慰み者も男だ。  ルクレシスの細い四肢を野蛮な浅黒い男が組み敷いて、その身体の奥まで貫き、味わっているのだ。白磁の肌が上気して、普段は落ち着いた声音が艶を帯びて歌うように啼く。ランスルーの瞳が潤んで、苦しみとも悦びともつかない涙をこぼす。  よくルクレシスの幽閉先を訪れては裸に剥いて、その身体を小突き回した。筋張った首や細い肩、生気の乏しい白肌にどきりとするような赤い胸の飾り。そこを嬲れば、どう啼くのかと、ジシスはそう想像するだけで身体の中心がかっと熱くなる。  自室で何度もルクレシスのランスルーの瞳を思い出しては臓腑がにえたった。その衝動に駆られてはあの薄暗い陰気な部屋に引き寄せられるかのように通った。  そして、ランスルーの瞳を目にすると一層、腹の中の熱がジシスの脳を焦がす。そう、あのランスルーの目がジシスを惑わせたのだ。  あれが欲しい。あの時に最奥まで犯し尽くせば良かった。ずっとジシスの檻の中で飼ってやったのに。  なのに、皇国に奪われた。  代わりに同じ造作を持つレシアを甚振れば、少しは気が晴れるかと思ったが、王族の血が一滴も入っていない者に触れることが不快でたまらず、陵辱する気にもなれなかった。  ランス王族の同族への執着の強さは「呪い」とまで言われるが、呪いでも何でも構わない。ジシスは王族以外には指一本触れたいと思わない。いや、そもそもルクレシス以外に欲を感じたことがない。  前王はよくもただの女を抱けたものだ。  半血だがルクレシスの先祖返りのランスルーの瞳がジシスの中の執着を搔き立てて止まない。 (あれを取り戻さなければいけない。あれは俺の物だ。)  ランスルーを皇国に盗られ、その上、便利な小間使いだったディクレスを皇国に消されたことに腸が煮えくりかえる。
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