3-2.翻弄

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3-2.翻弄

 激昂した王太子が去った後、のろのろとレシアは床から起き上がった。今日の不機嫌は苛烈だった。まだ脚が震えている。腕もジクジクと痛む。  スカートが重い。震える脚が立たなかった。慌てた一人の侍女が駆け寄ってきて助け起こしてくれた。  それ以外の者は何事もなかったかのように、倒れている部屋の女主人を無視して、まるで何か仕事熱心であるかのように動き始める。 「誰か冷やした布を。」  陶器の小物を投げつけられて腫れた腕を見咎めた侍女が悲痛な顔で手当てし始める。 「レシア殿下、申し訳ございません。申し訳ございませんでした。」  生家から付いてきた、レシアの唯一の味方である侍女が主人が虐げられているのを止めることが出来なかった事を泣きそうな顔をしながら詫びる。  彼女は素っ気ない顔で冷水に浸けたタオルを持ってきた侍女からタオルをひったくると、腫れた部分に当てて熱を取る。 「あぁ、骨にまで傷がいっていないと良いのですが…」 「…大丈夫よ、ほんの小さな置物だったのだから…」  伯爵家に生まれ、粗雑な扱いをされる事なく、何時かの有意義な婚姻のために大切に育てられてきたレシアの人生は十八の時に一変した。  結婚適齢期の十八で前王妃殿下の話し相手に選ばれ、登城したところから歯車が狂い始めたのだ。齢三十を過ぎた王妃殿下が健康な男児に恵まれないことを気に病み、塞ぎこんで居た時に、身分も申し分なく、素行も楚々としていて周囲から好感を持たれていたレンダス伯爵家のレシア嬢が王妃から淑女の嗜みを習うためという名目で定期的に登城する様に言われたのだ。  野心家の父がごり押ししたのだという噂もありつつも、レシアも大役に胸を踊らせて登城し、貴き王族の方々と近しくなったことが間違いだったとしか言いようがない。  王妃殿下は二十二歳で待望の王族の子をお産みになられた。しかし、その子は女児で、一目見ただけで王妃が卒倒したアルビノの子であった。外に出すことは出来ないと、そのまま産まれたばかりの王女殿下は王城の決して人目に触れない奥深くで育てられることになった。  その後、王妃殿下は二度、妊娠したが、早々に御子が流れてしまわれた。三十歳になられて、王子を産まねばと焦る王妃殿下の気晴らしのためにレシアは時に御茶を共にし、時に園庭にご一緒し、時に涙を流す王妃殿下を慰め、殿下が如何に美しく、御子を授かるに相応しいかを何度となく説き続けた。  情緒不安定な王妃殿下は何度も何度もレシアを呼び寄せ、時に王との私的な茶会にもレシアを侍らせて、妹のように可愛がってくださった。そして、夕刻になると帰って欲しくないと強請って自室の隣を貴賓室として泊めさせすらした。伯爵家は婚前の女子が頻繁に外泊することに難渋を示したものの王妃のたっての願いということで、しばしば娘を王城に泊まらせることになった。  今もレシアには後悔しかない。王妃殿下のお気に入りになって、舞い上がっていたのだ。婚前の身だからこそ、家に帰るべきだった。侍医が王妃は二度の流産を経て、もはや子を成すことは難しいかもしれないと王とその側近に伝えた時から、レシアはもう逃げられなかったのかもしれないが。  その日もレシアは体調不良で気弱になっておられる王妃に請われて、王妃の隣室に泊まることになっていた。  血が途絶えることを憂慮した王とその側近の出した結論は、外の血を入れ、血の存続を図ることであった。王妃自身は直系から少し離れた女性であったが、それでも子を成すことが難しかったということは、王族内ではもはや頭打ちの状況としか言いようがない。デシル王の実弟のラセルにはジシスという健康な男児が産まれたが、それだけでは心許ない。王妃の妊娠の可能性はゼロでは無いと侍医は言うものの、この状況では王妃に期待はかけられない。  そして、貴賓室で寝ている女性は妊娠適齢期の健康な女性であり、身元も確かである。野心家の伯爵は言いくるめれば、なんとでもなる。  レシアは気弱になって泣き続ける王妃を労わり、やっと寝付いて頂いたところで、用意されている王妃の間の続きの間に戻った。ここは本来、王妃の筆頭侍女が起居に使う間だ。王妃の筆頭侍女は王妃の一番友人であり、国の中で王妃に次いで敬われるべき高貴な夫人を指す。  未婚のレシアは正式には筆頭侍女ではないが、王妃のたっての希望でこの続きの間に侍ることが度々あった。  この日も熱心に王妃に強請られ、泊まることになったのだ。  王城付きの侍女たちが、いつものように湯を用意してくれていた。有難く湯を浴びて、用意されていた夜着の袖に腕を通したところで、何かがおかしいと感じる。  この夜、無表情の侍女達がレシアを囲み、夜着の編み上げリボンを入念に結い上げていく。そして洗い立ての髪も油をつけて、結い上げていく。そして寝る時には付けない香水を纏わせる。 「必要ないわ!」  きつく止めても侍女たちは目を伏せたまま、聞こえないかのようにレシアの夜装を整えていく。薄化粧まで施されて、何かがおかしいと初心なレシアでも不安に陥り始める。 「淑女は全て身を任せになっていればよろしいですから、ご心配召されずに殿方のお導き通りになさって下さいませ。」  最後に年長の侍女が厳しい顔でそう説くと、化粧室から寝室へとレシアの背を押す。その力は無礼な程に強く、レシアはたたらを踏む羽目になった。  あまりの振る舞いに湧いた怒りも薄暗い寝室に二、三人の男性が居ることを認めた途端に一気に冷めて、足元から寒気が這いのぼってきた。 「王のお渡りです。謹んでお仕えするように。」  王の側近が冷酷に告げる。薄暗くされた寝室の豪奢な寝台の上にいるのはデシル王その人であった。  退路を断つように扉には別の男性が居る。化粧室の扉も固く閉ざされている。その場から動けぬレシアを部屋の隅に控えていた男性が、強引に引き摺って寝台まで連れて行く。 「すまぬが、国の存続のためだ。」  王は申し訳無さげに、しかし侍従から引き渡されたレシアを逃すことなく、寝台に組み敷く。寝台の周りを万が一にでもレシアが逃げ出さないように男達が囲んだ。  そして王妃の間の隣室でレシアは王の情人となった。  昼間は王妃の話し相手として、夜は王の子を産む為にレシアは王城に留め置かれるようになった。逃げ出さないように、余計なことを言わぬように常に城の人間がレシアについて回る。  王妃はレシアがずっと泊まっていてくれることを単純に喜んでくれていたが、レシアはこの姦通の罪に恐れ戦くしかなかった。  昼は王妃に作り笑いを浮かべて、必死で裏切りを隠す。  そして夜は隣室にいる王妃に気づかれまいと唇を噛み締めて耐えて、王の胤を胎に受ける。  連日の性交でレシアは早々に子を授かった。そうなると生家にも知らせねばならなくなる。 「身篭っただと!!」  伯爵は未婚の娘の妊娠を知るや否や怒り心頭で娘に怒鳴り散らす。娘は一番良い時に最も利のある家に嫁がせるための貴重な駒だった。  未婚で孕んだだけではなく、まさか姦通で、王の胤であり男児でなければ認知は為されないという状況に伯爵は激昂した。  未婚のままで身篭っては貴族の娘として外聞が悪すぎて、良い条件での結婚はもはや望めない。しかもシザ教で禁じられている妻帯者との不義ゆえの妊娠だ。  王からは内々に伯爵家への息女を利用したことへの謝罪の為の大量の金品が贈られて来たが、それで済む問題ではない。  もし男児が生まれれば認知するつもりがあるとのことで、その可能性に賭けるしかない。男児で王族となれば、外戚として伯爵家が力を持つことが出来る。しかし女児ならば私生児を伯爵家が抱えねばならず、まさに賭けの極地に立たされた。 「絶対に男児を産め!」  身重の娘にそれだけ言い捨てると伯爵は娘を出産まで決して人目に触れぬように限られた侍女だけを付けて自室に幽閉した。 「王妃殿下を見舞いながら、王と通じていたとは恐ろしい娘!王妃殿下に何と顔向けすればよいのでしょう!」  伯爵夫人は日に日に大きくなっていくお腹を抱える娘をなじった。事情を知らない王妃殿下からは急に登城しなくなったレシアを気遣う手紙が何通も来る。  レシアは出産が恐ろしくて仕方がなかった。このまま流産してしまいたいと強く願った。  しかし子をなんとしてでも産ませたい王の意向で監視の為の侍女も付けられており、子を危険に晒させるような行動を厳しく制限された。  産まれるのが女児ならば父である伯爵はレシアを許しはしない。王の胤だとは明かせず、誰の子とも知れない私生児を抱えてレシアは伯爵家を勘当されるだろう。もし男児ならば王は認知すると言う。しかしその時にはあれだけ親しくして下さっていた王妃殿下に姦通がばれてしまう。  レシアは恐怖の中で臨月を迎えた。  産まれた子は男児だった。レシアの色を受け継ぎながら、ぱっちりと開いた双眸には王族の誰よりも濃いランスルーの瞳だった。それを幸いというのか不幸というのかレシアには分からなかった。王が閨に立ち会った貴族達の証明をもってして、自身の子として認知すると、国中は騒然となった。  王妃は静養中という触れで、公の場に出ることは無くなった。噂では元々不安定だった精神を病んでしまったと。  産まれたルクレシスが王の子と認知されても、レシアは未婚のままであり、ルクレシスも保守派によって王族とは認められなかった。しかし、王族として認めさせようとする王と伯爵によってルクレシスは王城内で育てられることになり、レシアの手元からは取り上げられてしまった。  レシアは生家であっても息をひそめるように自室から出ずに過ごし、時折、我が子であるルクレシスに会うためにひっそりと王城をおとなった。  見事なランスルーの瞳をもつ我が子はレシア似で、乳母が「可愛い可愛い」と賞賛してくれる。レシアを認めて微笑む我が子は可愛いと同時に、「なぜ私がこんな目に…」とレシアの心を千々に搔き乱した。  デシル王は犠牲になったレシアに対しても気はかけてくれていたらしく、王の存命中はレシアもルクレシスも難しい立場ながらも最善を尽くして保護をされていたらしかった。  ルクレシスが三歳になった時に王が急死し、王位は実弟のディア家のラセルが継いだ。すると、一気にレシアの立場は目に見えて悪くなった。レシアは教会からの告訴され、幼いルクレシスは幽閉され、その命は風前の灯火となった。  レンダス伯爵が何とか孫のルクレシスを王族にねじ込もうと奮闘し、守り続けたおかげで、ルクレシスが暗殺されることだけは免れた。  何度なくレシア自身も不道徳の罪によって教団から糾弾されることになったが、その度に伯爵が生母が破門されてルクレシスの王族入りにケチがつくことを望まずに寄付金で解決した。  そして伯爵の念願が叶って、ついにルクレシスは王族入りし、レシアは滑稽にも死んだ王と結婚したことになり、元王妃という高貴なる寡婦となったのだ。
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