3-2.翻弄

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「…ルクレシス様はお健やかにお過ごしだったと皇国への大使を務められた侯爵殿から伺いました。」  侍女がレシアの腕を手当しながら、控えめに女主人の気持ちを慰めようと使者からの報告を伝える。 「…そう…健やかに…良かったわ。」  レシアは、侍女が慮って事実の一部しか伝えていないことを知りながら、その心遣いに応えて微笑んで答える。  いや、微笑んだつもりだったが、母子揃って結局は淫乱、不道徳と罵られる立場に立ったことに歪んだ嗤いしか出てこない。  ずっと親の言うことを聞いて、厳格な老教師の教えに忠実に過ごして来た。その通りにしておけば、何も間違いはないし、それが貴族の女性の幸せだと教えられて来た。  男性と親しくするのはふしだらだと繰り返し教えられて、夜会でも決して男性に隙を見せることなく、如才なく振る舞ってきた。ずっとかしずかれ、大切にされ、不自由のない暮らしを過ごして行くのだと漠然と信じていた。  「忠心があるならば、王族のために身を捧げよ」と脅された夜も、動転しながら王族に仕えるのが貴族の勤めだと恐怖を押し殺して、王に身を委ねた。 (その代償がこれ…)  親には政治の駒にされ、周囲からは後ろ指をさされ、名ばかりの王族の末端で日々陰湿な嫌がらせだけを受ける。 「レシア殿下、宰相殿がお目通り願いたいと。」  取り次ぎの侍女が宰相の訪れを告げる。  本来ならば宰相であろうとも気が乗らなければ断ることが王族には出来るはずだが、レシアにはそのような権限はなく、もう誰にも会いたくないと思っていても、そのような我儘は言えない。後で、偉そうにと陰口を叩かれるからだ。 「分かったわ。通して頂戴。」  腕の痛みを押し殺して、ソファーの上で姿勢を正す。貴人としての体面を保つために。 「突然の来訪をお詫び申し上げます、レシア妃殿下。」 「いいえ、宰相殿のことですから、大切な御用事でございましょう。どうぞおかけください。」  渋顔の宰相がレシアの前に座って切り出してきた。 「はい、レシア妃殿下に折り入ってのお願いがございまして…」  宰相が下手に出ながらも、国家の安寧を祈るのために大規模な教団への勤労奉仕を活動を行う計画があることを話す。そこで王族の中でも特に敬虔な元王妃殿下に勤労奉仕団の象徴となってほしいという言うのだ。  伯爵家とレシアはシザ教から破門されないように毎年莫大な寄付金を納めている。伯爵家にとって不利な噂が立てば、特別寄付金として更に多額の布施を行ってきた。そのお陰で常にランス国における寄進者リストの上位に名を連ね、ランスで最も敬虔な一家とされている。  司教は常々、レシアに世俗を離れてシザ教への奉仕活動に加わるように誘いかけて来ていた。だが伯爵が王族としてレシアが留まることを願って、幾度となくその話を退けてきた。  しかし宰相からこの話が出るということは、伯爵家を超えて、国としてレシアが出家することを望む流れになって来ているのだろう。  宰相は元王妃の信仰の篤さに喜んで民衆も勤労奉仕に協力し、ランス国に一層の繁栄をもたらすだろうと口説いてくる。 「…なるほど…国の御ためならば私も力を尽くさねばなりませんね。しかし私の一心で決められることでもございません。」 「もちろんでございます。が、妃殿下が是非にと望めば必ずや祈りは神に届きましょう。」  宰相が強く食い下がってくる。このようにレシア本人に訴えかけてくるとは、この話は父の伯爵には通していないのだろう。  しかし、レシアが望んで叶うことなど、昼の御茶を何にするかと言うくらいである。着るものすら、王族のしきたりだなんだと古参の侍女達に押し付けられて好きなものも着られない。派手な服装は寡婦なのにと眉をひそめられ、落ち着いた色合いで纏めれば、場を暗くする縁起の悪い女だと陰口を言われる。当の着せた侍女がそう言って嘲笑するのだから始末に負えない。  だから宰相がレシアを口説いても無駄である。レシアが望もうが望むまいが、勤労奉仕に出されるときには出されるだろう。何をしても、右に行っても左に行っても、罵られるだけなのだ。流されるままにレシアは過ごすしかない。  それなのに宰相はしつこく何度も食い下がって退出していった。 「…聖属されるのですか?」 「さぁね。そうなるかもしれないし、そうならないかもしれないかもしれないわね。」  側で聞いていた侍女が不安げに聞いてくるのに、諦めの境地で応える。 「もしそうなったとしても、貴方はついてこなくていいのよ。」  まだ結婚もしていない侍女を自分の人生に巻き込んで修道院に押し込めるのは気が引ける。彼女まで結婚出来ず、一生修道院住まいになるのは忍びない。 「…いえ、私は」 「いいのよ。貴女は十分に仕えてくれたわ。その時には貴女に良縁あるように必ず母にお願いしますからね。私の推薦状ではかえって足を引っ張ってしまうでしょうから。」  勢いで付いていくと言いそうな忠義の篤い侍女の言葉を遮る。  そこに取り次ぎの侍女が再び顔を出す。 「レシア妃殿下、今度は皇国の神官殿が参られました。」  珍しく次から次へのやってくる賓客に侍女が面倒くさいという態度をあからさまに告げる。 「まぁ、なんでしょうか…通して頂戴。」  皇国の神官がレシアの所に訪れるのは滅多にないことである。一度ルクレシスが宮を下賜されたので、と、生母への祝いの品を持って来たことくらいである。宮を下賜されるということは類稀な僥倖だと言うことだったが、ランス国からの基準からすれば男が後宮に召し上げられたことをどう喜べばいいのか分からなかった。  皇国にとっては慶事でも、ランスではレシアを揶揄する話の種が増えただけだった。  だから、神官の来訪はあまり歓迎出来ないものだった。
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