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「突然の訪問にも関わらず、拝謁賜りまして有難うございます。」
長身に褐色の肌の神官が皇国の衣装で皇国の礼に従って腰を屈めて礼を取ってくる。何度見てもその姿は見慣れない。
ランス国においても皇国の形式に則るほど、ランスは彼等に侮られている。
「何か御座いましたか?」
決まった社交辞令を何度か往復した後、公式の立場としては上であるレシアから水を向ける。神官はただの異国の官僚でしかない。
「この度は皇国の皇の侍従長である紫水の宮より私信が預かりましたので、お届けに参りました。」
「私信でございますか?」
公の内容であるならば、このような場所ではなく王族、貴族、官僚も居並ぶ中で読まれることになるであろうから、本当に私的な手紙だという事だろう。全く心当たりがないが、レシアと皇国を結ぶものはルクレシスしかない。ルクレシスに関する何か面倒事で無ければ良いのだが。
出来るだけ何気ない素振りで手紙を受け取る。手紙には確かに北方語と皇国語とで職位と“紫水”という署名がなされ、皇国の国紋に花があしらわれた封蝋がなされていた。
「出来れば御目を通して頂き、お答えを仰いで来るように申し付けられております。」
「そう…」
突然の私的な手紙に答えを即座に持ち帰れという先方の強引さに眉根をひそめる。
「…どうぞおかけになって頂戴。今、読ませて頂きますから。」
ずっとつっ立たせて置くわけにも行かないため、仕方なく向かいのソファを勧めた。
手紙の内容はお決まりの挨拶と突然の手紙の無礼を詫びる文に始まる。続いて瑠璃宮を下賜された息子が皇の覚えめでたいこと、よく務めていること、座学に於いても優秀な成績を残しているとい賛辞が述べられている。
(学を与えられているのね…)
ランス国に居るより厚遇されているようだ。
今回の手紙は皇がそのような優れた働きをしている瑠璃の宮に格別な取り計らいをなさるということで、是非生母に報いたいとお考えになられている、という内容だった。
生母が望む待遇を皇国が采配するつもりがある、と。
生母であるレシアの望みを聞くために、この神官は待っているのであろう。
「皇は瑠璃の宮様のお働きを高く評価されておられます。宮様のご生母様にも報恩の下賜されたいとおっしゃっておられます。政治的なことは他のとの兼ね合いで難しいこともございますが、ご生母様御自身のご希望でしたら、金でも宝飾品でも、お望みの土地でお過ごしになられることも、ご意向に沿うようにとお伺いしております。」
神官は火石の取引量の調節やルクレシスの帰国などは難しいが、レシア個人の望みは聞くという。
神官が新法として貴族以上の子女の身の振り方について審議会を通さねばならなくなったが、もしレシアが別に身を処すことを望むならば、皇国の力で望みに沿った内容で審議会に通す、と付け加える。
「私の望みですか…?」
レシアは望みを聞かれて固まる。
(私の望み?…私の?)
自分がどうなりたいかなんて考えたことがなかった。母の言いつけを守り、父の望みの通りにしていれば幸せになれると言い聞かされて来た。しかし父の望みを裏切り、レシアは不幸になった。
(望み、望み…)
あの18歳の時に戻って、王城に上がらなければ幸せになれたのであろうか?
父の望む相手と結婚し、子どもを産む。夫の夜会に同伴し、笑顔で挨拶をして回って過ごす。嫡男と保険としての次男、縁続きになるための女児を産めば貴族との妻としての義務を果たしたことになる。そうすれば女としての幸せを手に入れられる。母から繰り返し、そう言われてきた。
だがその義務を果たすまでは、あの恐ろしい儀式が繰り返されるのだ。しかも最低でも三度。
ただ子を孕むために繰り返し行われた儀式を思い出して吐き気がする。王の胤で孕んだことを証明するために複数の男性に監視され、屈辱的な扱いを受けた。
皇国の皇が神だと言われていても、まさか十六年前に時を巻き戻してレシアに違う人生を与えることは不可能だろう。
それに巻き戻ったとしても、レシアは誰かの子を産むための道具になるんだろう。時々愛想良く笑う機能のついた人形になるしかない。
溢れる程の金を貰ったら、今の鬱屈した気持ちが晴れるのであろうか。煌めく宝石を使った豪奢な宝飾品を身につけたら、恥と汚辱にまみれた自分が美しく見えるようになるのであろうか。
「…ふふっ」
思わず自嘲的な嗤いが漏れてしまう。突然、嗤った元王妃に神官が怪訝な顔をするのはそうだろう。
「ごめんなさいね。少し面白い気分になってしまって。…今更、私の願いなんて…」
皆で好き勝手にレシアを引っ張り回して、引き裂いて、バラバラになったレシアの骨までしゃぶって、鬱憤晴らしに使う。
「今更、そんなもの!!」
レシアは叫んで、皇国からの書簡を床に投げ捨てる。堰を切ったように様々な感情が溢れ出して、止められなくなる。
異国の高官に向かって酷い醜態を晒していると自覚しても、私的なものとはいえ書簡を投げ捨てるなどという行為が如何なる問題を引き起こすかをわかっていても、溢れ出る涙が止められないし、自分を制御することが出来ない。
これまで自分を憐れむための涙を流して来た。しかし、今回は明確な怒りだった。
偽善的に救いの手を差し伸べるから有り難がれという目の前の神官にも、手紙をよこした侍従長にも、尊大な皇にも、その皇に取り入るルクレシスにも、レシアを利用するしか考えてない父にも、幸せそうに微笑んだこともないくせに女の幸せを押し付けてきた母にも、国の為だと蹂躙しつくした前王にも、自分を軽んじる侍女達にも全ての人間に怒りを感じる。
(あの子さえ産まれなければ!)
ルクレシスさえ産まれなければ、前王も側近達も諦めただろう。レシアが処女を失っていたとしても。父親が権力で何とか秘密裏に無事に誰かとの婚姻を成立させただろう。
ルクレシスも産まれなければ、不当な扱いを受けることもなく、人倫に悖る(※シザ教の基準です)皇の寵童なんぞにならずに済んだであろう。
「…あの子さえ」
「神官様!妃殿下はお疲れでございます。お帰り下さい。」
馴染み侍女がレシアの言葉を鋭く遮った。
(私は…何を言おうとしてた?)
レシアが呆然としている間に、神官は退出していた。
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