4-1.初体験

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4-1.初体験

 ルクレシスの食欲増進計画のために紫水の宮から乗馬を教えてやれと言われて、赤水は瑠璃の宮を馬場に連れてきた。  宮の者から身体を動かし易いようにと短衣を着せられ、長い髪を結い上げていると未成人のようで可愛い。赤水の胸までしかない身長なので、頭を撫でるのに丁度いい。  厩舎の馬をあまりにまじまじと見ているので、宝石のような目が落ちそうだ。  馬は嫌いそうでなくて良かった。    練習用に選んだ馬はごくごく気性が大人しく、体格もそれほど大きくない、赤水からすると軍馬としては勢いに欠けるが、気長な性格が散策などにはうってつけの年長の牝馬である。不慣れなルクレシスを見下すこともないだろうし、気長に練習にも付き合ってくれそうな馬を選んだ。 「ほら、撫でてみろ。大人しいから大丈夫だ。」  赤水が手綱を持って厩舎から出して瑠璃の宮に対面させてやる。  馬の方も心得たようで撫でやすいように頭を心持ち下げて止まる。赤水はがしがしと顔に首筋を撫でる。瑠璃の宮にも撫でてみろと促すと、恐る恐るといった感じで腕を上げる。 「…温かい…」  馬の首筋に手を置いて、ほっとしたような声を出す。少し緊張していたのだろう。時間をかけて触っているうちに表情もほぐれてくる。 「初めて触りました。」 「本当に箱入りだな。さぁ、乗るぞ」  瑠璃の宮はふるふると頭を振る。馬の方も瑠璃の宮を嫌がってはいないようだ。おっかなびっくりだった小さな手が自然と馬を撫でるようになったのをみて、赤水は声をかける。  先に赤水が鐙に足をかけて、馬に乗った。そこから瑠璃の宮に上がってくるように言ったが、子ども位の身長しかない彼には鐙まで足を上げるのも精一杯で、そこから身体を持ち上げらないらしい。 「そこから、上にひょいっとだ。」  赤水は馬上から声かけをするが、一向に上がられる気配がない。鐙に足をかけたまま、片足立ちでグラグラと揺れる瑠璃の宮に馬は嫌がることなくじっとしてくれているものの、大丈夫?と窺っている様子だった。周りを囲む侍従たちもそわそわしている。 「悪い。姫には難しかったか。」  貴族の娘でも乗馬出来るのだから、乗る以前で躓くというのは想定外だったが、そういえば走ることもできない箱入りだった。 「ゆくゆくは一人で乗れるようになって貰うとして、今日のところは、っと。」  赤水は片腕で馬上から身をかがめて、細い腰に腕を回して掬い上げ、自分の前にポンと乗せた。 「高い!」  一気に上がった視界に瑠璃の宮が感嘆の声を上げる。  この高さは怖かったりはしないようだ。嬉しそうに笑顔で言うので良かった。赤水は瑠璃の宮の身体を鞍の上で自分の前に改めて置き直すと、細い身体が落ちないように両脇から前に腕を通して手綱を扱う。 「走らせるともっと気持ちいいぞ。だが、今日はちょっと馬場をゆっくり歩かせるくらいにしておくか。」  馬を歩かせると、赤水が両脇から支えているにも関わらず、馬の揺れに振られて頭がぐらんぐらんしている。走らせたら、すぐに滑り落ちてしまいそうだ。 「背筋を伸ばして、軸をとってみろ。」  馬も背に乗せているものが不安定だからか、殊更ゆっくりと歩いてくれている。ぐらんぐらんとしながらだが、本人は周りの景色を楽しんでいる様子だ。だが馬場をゆっくりと何周かしたところで、次第にその身体がぐったりとしてくる。 「赤水晶の宮様、瑠璃の宮様が具合が悪そうです。」  心配そうにずっと横についてきていた侍従が赤水に慌てて告げる。 「え!?」  驚いて、顔を覗きこむと確かに真っ青な顔になっている。どうやら揺れすぎて酔ったらしい。馬に酔ったことのない赤水は面食らいながらも馬をとめた。    瑠璃色のお仕着せを着た側仕えの男たちが走ってきた。赤水は自力で降りることの叶わない瑠璃の宮の細い腰を掴んでひょいと側仕えの腕の中に降ろしてやった。  側仕えは慣れた様子で主人を横抱きにしている。そして抱かれている瑠璃の宮の方も手慣れたように腕を自然と側仕えの首に回してバランスをとっている。 「それが出来ればバランスが取れそうなものだが…」  運ばれることに慣れているなら、馬も平気そうなものだが、体をまっすぐに支えておく背筋、腹筋が足りないのだろう。 「まぁ、おいおいな。」  慣れて馬酔いにさえならなくなれば、黒曜も連れて湖に遠駆けするのもいいなと赤水は考える。瑠璃の宮が一人で馬を操れるようになるには時間がかかるだろうから、赤水が自分の鞍に乗せればいいだけだ。  そう考えて黒曜を誘ったら、小馬鹿にしたように断られた。 「そういうことをすると馬に蹴られてなんとやらですよ。」  赤水は馬に蹴られる程、間が抜けていないし、そもそも赤水の馬は主を蹴ったりするような躾のなっていない馬はいないのに、黒曜は何をおかしなことを言っているのだろう。  さらに黒曜からは遠駆けに行くならば、早く瑠璃の宮に一人で馬に乗れるように教えなさいと言われた。黒曜からすれば、皇から悋気を買うのはごめんこうむりたいからだ。  一方、瑠璃宮では食欲増進計画だったはずの乗馬練習から帰ってきた主が、気分不良にて夕飯を召し上がることができなかったことに涙をのんだ。
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