6-1.愚痴

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6-1.愚痴

 幸いにも皇が早く就寝されたので、開放された紫水は盛大な溜め息を吐き出した。  疲れた。本当に疲れた。だが、寝たいというわけでない。ただ、気楽にしたい。 「赤水は?」  自分付きの侍従に命じて、赤水晶宮に先触を出してみた。能天気な赤水相手に飲みたい気分だった。  丁度、向こうも軍務から戻り、食事と一風呂を終えて、晩酌の時間だったらしく、すぐに応の返事が帰ってくる。 「紫水、珍しいな!仕事はもう終わったのか?」  酒瓶を土産に赤水晶宮に訪れると、赤水が持ち前の明るさで迎えてくれる。 「カナン産のうまい酒が入ったからどうかと思ってな。」  口実の酒を目の前で掲げて見せて、だから、さっさと席に座らせろと、赤水晶の宮の私室に上がりこむ。 「珍しいのが入ったな!」  赤水は紫水が急に訪ねてきたことや、紫水の疲弊っぷりに言及したりはしない。  それは「紫水の悩みはきっと難しいだろ?聞いても分かんないし」という大雑把な性格が故である。紫水の飲みたい気分を汲んで、ややこしいことは聞いてこない、懐が深い性格だとつくづく思う。  赤水も同僚から貰って取ってあったという酒瓶を持ち出してきて、二人で結構な量を流し込んだ。  皇と瑠璃の宮の複雑怪奇なあれこれに振り回されて消耗しきっていた神経に美味い酒が染み込んでくる。 「なぁ、皇は瑠璃にやっぱり執心なのか?」  唐突に赤水が降ってきた話題に、紫水は折角の酒をむせそうになる。 (今日聞くか!?)  一番嫌な話題を振ってくるあたりが、やっぱり懐が深いのではなく、思慮が足りない男だと内心げんなりする。そのことを考えたくなくて酒を飲んでいるのに気分がぶち壊しだ。 「仕事の話はしたくない。帰る。」  普段ならのらりくらりと躱していただろうが、酔った頭は短絡的で、半ばいじけた気分になって大人気なく立ち上がったのを赤水が慌てて腕を掴んで引き止める。 「待て、待て!黒曜がさ、どう思ってるかって…」  黒曜の名が出て、赤水が話したいことはそちらが本題なんだと悟る。 「黒曜が、なんだ?」  思わぬ名が出てきて、唐突に何だと疑問に思って、浮かした腰を再び下ろした。  見ると目が泳いでいて、赤水も大分と酔っているようだ。 「黒曜って皇にべったりだっただろ?瑠璃が来て、皇も瑠璃ばっかり呼ぶし、黒曜どう思ってるんだろうって…」  要は黒曜が寂しがっていないか、赤水は心配しているらしい。 「…お前にだけは心配されたくないと思うぞ、黒曜は。」  黒曜と赤水は生まれは別でも、この奥宮でまるで兄弟のように育った。黒曜に常にかまってほしい赤水と、邪険にしながらも赤水かまう黒曜と、凸凹ぴったり嵌ったような二人だ。  黒曜が皇第一主義であることをよく知っている赤水は黒曜が皇に捨て置かれるのではと不安になったのか。この男はいつも一に黒曜、二に黒曜だ。それで鬱陶しがられているが。 「閨事は確かに瑠璃が多いが、政務に関して皇は黒曜を重用しているし、別に冷遇されているわけでない。黒曜も政務や自分の領土経営に忙しいのだし、気に病むことはないと思うが?」  皇の黒曜への信頼は篤い。行幸中は皇代理を任せるほどだ。要らぬ心配だろうに。そう返すが、赤水の表情は晴れない。 「…そうか…。黒曜、忙しいもんな。…黒曜が伽をするようになった時、紫水はどう思った?」 「助かったと思ったが。」  紫水も若いうちは、時々皇の寝所に上がることもあった。皇の私室で晩酌に付き合いながら、政務について話し、そのまま流れで夜伽までするということもあったが、次の日がしんどかった。  受け容れる方に負担が大きいこともあり、長時間の侍従長業務に夜伽が加わると正直、次の日が地獄だ。瑠璃の宮のように昼まで寝ているわけにいかない。  皇が起きる前に身支度を整えて朝の挨拶をする時には太陽が黄色く見えたものだ。  だから黒曜が十五、十六になって、「皇の役に立ちたい」と言い出し、閨に上がるようになった。紫水の分を黒曜が全て引き受けてくれるようになって、紫水はお役御免になった為、心の底から助かったと思ったものだ。 「体はしんどいし、根が受けではないからな。」 「あ、俺も」  紫水の言葉に、暢気に同調する赤水にいらっとする。  赤水は閨に侍るようになった黒曜への対抗心なのか、同じことをしていないと気がすまず、威勢良く「俺も!」と言ったものの初夜の破瓜の痛みに恐れをなして逃げ出すという前代未聞の醜態をさらした。 「恩寵を受ける前に逃げ出したくせによく言う。あの夜、どれだけ俺が陳謝させられたか。お前には本当呆れた。」  紫水も酔った勢いで口調が乱暴になってくる。皇に「どういう教育をしている」と言われて、平身低頭で謝り倒した。皇も怒るというよりは呆れていて、嫌味で終わったが。  その他にも赤水には散々と迷惑をかけられた。何だかふつふつと怒りが湧いてきた。  神殿の飾り窓を割られたこと、盲目の黒曜を屋根に登らせて落として骨を折らせたこと。厩舎の馬を全部逃がしたこと。皇に、各方面に陳謝して回ったことは枚挙にいとまがない。 「…紫水、ストレス溜まってるんだな…」  紫水が積年の愚痴をぶちまけた最後に赤水が憐れんだようにそう言ったのも、聞こえないくらい深酒して、酒宴は終わりになった。
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