6-3.出立前

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6-3.出立前

 瑠璃の宮には行幸に向けて、準備とよくよく身体を整えておくようにという達しがあり、宮では粛々と支度が進められていた。ルクレシスも仮縫いの衣装を次から次へと着せられて、行幸用の衣装作りに付き合わされていた。此方よりも更に高温多湿ということで、南方には南方の衣装の様式があるらしい。脇に風通しのための切れ込みが入っていたり、襟ぐりの形が違って涼しげだ。  しかし、行幸中は準盛装か、盛装、正装を着続けなければならず、風通しの切れ込みも本来の意味を失ったただの飾りに近い。  行幸中の市中巡幸では輿に乗って、盛装で微動だにしてはならないと言われる。領民たちが頭を上げて、直接、皇や宮を視界に入れることは不敬らしい。それならば、別に盛装でなくても、そもそも輿に乗っている意味もなさそうだが、そこで石を置いておけば良いと言うことにはならないらしい。  巡幸以外は馬車で移動になり、街道沿いでは街の宿舎か貴族の館に逗留し、宿舎がない草原などでは天幕をはって、野営となるらしい。途中大河を船で南下するとのことで、ルクレシスとしては想像もつかないような旅程に不安になる。  ランス国からこちらに来る時は二ヶ月足らず、日がな一日馬車に揺られて過ごして、馬車酔いを起こしていたし、夜に野営をしていても地面が揺れているような浮遊感で眠れず、ルクレシスは苦しかった覚えがある。徐々に体力を削られていくルクレシスを同行の者達は一切無視して、ルクレシスの体調が良かろうが悪かろうが山道を進んだ。特に山道は道も悪く、馬車の中で体を打ち付けながら運ばれたので、身体中がぼろぼろになり、ただの荷物でいることも大変だと思ったものだ。  今回は夜伽をしながらというのだから、体力がもつのだろうか。もし役を果たせないような状態になったら、誰かが罰せられたりするのだろうか、と不安が押し寄せる。  皇を本気で怒らせた夕から夜伽の召命はない。ゆっくり体を休ませておくようにという皇の侍従長からの言葉はあったが、全く呼ばれなくなったのは、勘気を買ったルクレシスなんぞもう不要だということか。  それでも人質として生かさねばならないから、死ぬことを禁じられているのかもしれない。ルクレシスが死んでしまえば、同じような青い目と金髪の人間を連れてこればいいとも言えるが、ルクレシスほどの正統なるランスルーの瞳はそうそう居ないから、探すのに苦労はするだろう。  あと何年、生きていれば約を果たしことになるのだろう。生きれてさえいればいいなら、こんな風に色々なものを与えたりせず、どこかの部屋に繋いでおいてくれたら良かったのに。  ルクレシスはすぐに鬱々と考え込んでしまう。  侍従が行幸に持っていく本の確認に来る。 「馬車の中では酔いそうだし、荷物になるからいいよ。」 「宮様は馬車に酔いやすいのですか?酔い止めの薬を多めに持って行きますから、少しでも調子が悪くなったらおっしゃってくださいね。それに宮様には荷駄3つ分の場所をお使いいただけるので、まだまだお持ちになれますよ。気分転換用にお持ちいたしましょうね。」  聞いてきた割に持っていくことは決まっているらしい。ならば、一々意見を聞いて来なくとも、と思うが、ルクレシスが放っておくと沈思し、碌なことを考えないと警戒していることは想像に難くない。  実際に行幸を前にやらねばならないことは使用人だけでなく、ルクレシスにもあった。できれば乗馬は出来た方がよいということで、火の神官が体術の時間を多くとって、乗馬の練習に充ててくれる。到底一人で乗馬は難しいということで、二人乗りできる鞍が用意されて、馬の並み足と駆け足に揺られても馬上で姿勢を保っていられるように連日練習するのだが、なかなか上達しない。  加えて馬が全速力で駆ける時の練習と続くのだが、乗馬している際の有事には絶対必要ということで何度も練習させられる。有時には馬車より騎馬の方が機動性が断然にいい。防御性は落ちるがいち早く危険な場所から離脱するためには、ルクレシスも全力疾走する馬から振り落とされないようにすることが必要だと。  馬にしがみつくと馬は走りづらくなって本来のスピードが出なくなる。有事ではそれが致命的になるので、火の神官が片腕でルクレシスの体を抱え込み、片腕で馬を操ることになる。それでも舌をかみそうになったり、足で胴を掴んでいられなくて、振動でどんどんずり落ち気味になってしまって、練習の目標である距離の半ばで火の神官が馬を止めねばならなくなっている。 「宮様、私達がお護りしますから万が一にも無いかと存じますが、常と異なった状況と成りましたら、必ず使用人の後ろに下がって下さいませ。絶対に前に出てはいけません。」  窓から離れること、前後に使用人が居ない場合は壁を背にすることなど、繰り返し繰り返し説かれる。滅多な事はないが、皇城を出れば、何があるか分からないと。  もしルクレシスが怪我をすれば、その責は彼が負うのだ。皇の怒りを思い出すと儘ならない自分自身が不甲斐ない。  何度練習しても上手くならない乗馬に焦りが出てしまう。 「宮様、体の力を抜いて、体の芯を感じてくださいませ。背筋から頭まで一本の棒が通っているイメージで体を立てられると力を抜いても崩れませんよ。」  バランスを崩さないよう馬上で体を緊張させるルクレシスの緊張が伝わるからか、馬も遠慮がちになってしまう。 「では、あの木まで行ったところで、襲歩(しゅうほ)させますから、身を屈めてしっかり御御足(おみあし)で馬を掴んでおいてくださいませ」  突如として馬を全力で走らせるということを想定した練習で、神官が一気に馬を鼓舞するとルクレシスの体を抱え込んで全力で走らせる。ルクレシスの貧弱な身体では火の神官の腕が回りきってしまう。  ルクレシスが神官の腕からすり抜けて、ずり落ちしまうため、神官はかなりの力でルクレシスを引く寄せなければならなくて、強く抱え上げられた痣が肋骨周りにつくほどだった。 ============  瑠璃宮専属の火の神官は落ち込んでいた。本来なら馬に慣れない主のために護衛が上手く抱えなければならないが、強く抱えすぎて、主に苦痛を与えてしまった。我慢強い主は一言も痛いと仰らなかったが、入浴の際に、くっきりと残る痣に、侍従長からはきついお叱りをうけた。  その上、同室の歳下の水の神官からも苦言を呈される。 「火の。主にあまりご負担をかけないでくださいね。主のお尻が青あざで大変なことになっていますよ。行幸での大切なお務めもあるのに、あざが消えなかったらどうしてくれるんです!」 「…そんなにひどかっただろうか…?」  何度も練習を繰り返して、主に思った以上に御負担をかけてしまっていると聞き、本当に申し訳なくなる。 「悪い血を散らす軟膏をお塗りしたので、今日のは行幸までに消えると思いますけど、明日以降はくれぐれも、気をつけてくださいね!」  後半、ゆっくりと念を押すように言われるのが怖い。 「この間の、あばらに残ったあなたの腕のあざもまだ残っているんですから!」  猛省しきりの火の神官は、水からも責められ、再び意気消沈してしまう。 「ああ、もう、ここで落ち込まないでよ。うっとうしいな!火のくせに本当へたれなんだから!」  水の少年の言葉に撃沈し、ぶすぶすと燻り始めた火の神官に対して、彼は容赦がない。 「火の神官なら、主は絶対に俺が守る!くらいの気概を持ったらどうなの!?」  それともお護りできないわけ?とまで言われて、火の神官は一気に奮起する。 「当たり前だ!主には傷一つ付けさせない!」  肩を落として大きな体を縮めていた火は拳を突き上げて立ち上がった。水の少年の言葉で俄然持ち直した火の神官に、少年は火の者はつくづく単純、と鼻で嗤っていた。
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