9-1.陰と陽

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9-1.陰と陽

 ルクレシスは久々の面々に会った気がする。心做しか安堵を覚えるのは、皇国に来て以来、ずっと顔を合わせているからか。    初日以降、皇の傍に昼夜問わず侍っていたため、瑠璃宮の隊列に戻ることが無かった。昨夜の伽で意識を失ってから、瑠璃宮の隊列に戻されたらしい。  侍従長の柔和な笑顔と耳触りの良い声が懐かしく感じる。  寝ている間に既に()の関所越えて、領内に入ったとのことだった。 「宮様におかれましては、翌早朝に神殿にて執り成しの儀を御采配頂きたく、お衣装等も御座います故、一度、お戻り頂きました。」  神殿群での祭礼に丸一日、翌日は輿での巡幸、領主の館の晩餐など行事続きだということだ。天中節並の忙しさになりそうだった。 「お勤めのお疲れもあるかと思いますから、狭い車内では御座いますが、今日一日はごゆっくりお寛ぎ下さい。」  休憩毎に側仕え達が飲み物だ、食べ物だと甲斐甲斐しく差し出してくる。新鮮な果実を切り分けて盛り付けた皿が並べられるのだ。  久しぶりに主を自分たちの手で世話できる喜びに溢れているのだ。 「そちらは南方でよく採れる栄養価の高いものでございますよ。柔らかくて甘いので、ぜひ召し上がって見てください」  侍従長も手ずから給仕を行い、主の世話を焼く。  果実は主が好むので、道中も必ず新鮮なものを切らさないように行商と行きあう度に買い求め、下男たちに植生している果実を日毎に捥いでくるように命じていたため、皇の天幕であってもこれ程新鮮な果実が揃うことはないといわんばかりの量だ。  日没前には宿場町に着いた。これから暫くは領内の町を辿って行くため、野営は無くなるとのことだ。  野営とは言え、皇の天幕には敷布がふんだんに敷かれ、調度品が置かれ、果ては湯船まで用意されているのだから、宿に泊まるのと遜色はなかった。  ただルクレシスにとっては布一枚隔てた湯殿向こう、寝所の向こうが気になって落ち着かなかった。だから、皇都周辺の宿場町の高級宿に比べるべくもなく、やや質素な宿に用意された湯殿で、いつも世話をしてくれていた側仕えの手で湯に浸かると、深く息をつける。 =========  ルクレシスは寝ていて気がつかないままであったが、冰領内にはいる関所に領主一行が皇を出迎えに来ていた。  領主が皇の天幕で叩頭し、皇への賛辞と謁見出来る栄誉について口数多く話続けるのを、玉座で肩肘をついた皇がつまらなさそうに眺めている。なかなか終わりそうにない領主の口上に領主と皇の間の取次に入っている紫水は、皇の様子を横目に見て苦笑いするしかない。  手慰みの寵童がいない分、皇の寛容は半減だ。早めに終わらせることが紫水の役目になる。 「ところで領主殿、再三嘆願が寄せられているようだが。」  口上の途中で話を切られた領主が目を白黒させて紫水を見る。 「え、いや、あの、ご覧頂きましたように、何分鄙びた土地でして…皇国への、その、忠義心は一際でありますが…」  領主はしどろもどろながら、民草の生活が天災のせいで如何に悲惨で税が集まらないことを訴えてくる。延々と続く愁訴に埒があかないと紫水が内心嘆息する。 「なるほど、貴領の苦しさはあいわかった。領内に様子はよく見させて頂く。皇の祝福が貴公と貴領にあらんことを。」  紫水に追い出されて、領主は終始へこへこと叩頭して帰って行った。 「諜報からの報告によると邪教徒狩りのようですね。」  もともと定期的に中央から派遣される監査員が入っているが、今回は冰への行幸が決まってから余人の知り得ない皇直属の諜報員が当地に入っている。  皇国の宗教観は太陽神信仰とはいえ、それほど厳格なものではない。異教や様々な信仰のあり方が存在するが、皇国の中で唯一とも言える禁忌は太陽神の化身である皇という図式を穢すことである。  どうやら冰では数年前から《真皇》を名乗る男を始祖とした、今皇を偽とした皇制批判と共に神殿批判を中心とした反体制思想が起こり始めたようだ。思想の拡大とともに皇国への税を払い渋る者が出てき、領主が邪教狩りをおこなっても成果は芳しくないらしい。  その上、天災が重なるとさらに皇の庇護への疑いと生活の苦しさから邪教が勢いを増し、税を納めるのにも支障が出てきたということであった。  領主もまさか自分の領地で皇を穢すような真似が行われているとは言えず、あのような歯切れの悪い言い訳ばかりを並べ立てていたのであろう。  皇制への批判や神殿批判はいつの時代どこの地方でも定期的に勃発するものである。特に貧困がきつくなればなるほどに、皇への不満は高まる。しかし、それを抑え込むのが皇の僕たる領主の仕事である。  慈悲と権威と絶対的な力を示すことで被支配者層を服従させるのだ。  しかし、数年かかっても鎮圧できないのとなると領主の能力が低いのか、よほど邪教が手強いのか。  それにしても紫水からすれば、邪教如きで皇が行幸でこの地まで来ることにしたのが当初からの疑問である。  しかし皇は《蒼天の真皇》と聞いて以降、行幸をこの地と定め、覆すことはなかった。  紫水の目下の問題はもう一つある。  領主が叩頭して退出していった後に残された領主からの皇への献上品である男娼達だ。 (見事に全員、(いとけな)い少年とはな…)  完全に皇の趣味が全皇土中に誤解されている。  献上されたのは、南方の特徴の濃い蜜蝋の肌や西国の特徴を持った者や様々な趣の男娼達であったが、全員、成人していない少年だ。十二、三かという、あどけなく、従順そうな少年ばかりが揃えられている。中には十に満ちているにか分からないような子も居て、いかな選定か、いや、稚児趣味か、という揃え方だ。  皇の寵童たる瑠璃の宮は見た目は確かに幼く見えるが、年齢は十六歳と成人である。確かに見た目はその過酷な来歴のためか、小柄で子供のように見える。天中節で初めて奥宮から出て、少年趣味の噂が立ったのだろう。  皇の夜伽を采配することもある紫水から言わせれば、瑠璃の宮は例外だ。皇の好みは、聞き分けがよく、聡く、成熟した身体の持ち主だ。大体、紫水は空気を読める二十歳前後の青年を選ぶ。それくらいの青年であれば、皇はあまり選り好みしない。単なる性処理だからだろう。  それにしても押し付けられた彼等を味見もしないだろう。いくら寵愛の宮が手元から下がっているとはいえ、聞く前から答えは分かりきっている。 「不要だ。紫水、お前は要るか?」  皇が一瞥だけで、居並ぶそれぞれに可愛らしい顔立ちをしている少年たちを切り捨てた。  少年達は一瞬の落胆の後に、しかし、話を振られた高位の者に期待の目を向ける。 「僕、踊れます!」  一人の少年が縋るように紫水に媚を売ったのを皮切りに、歌うだの、楽器を弾くだの、芸が出来るだのと口々の騒ぎ立てる。中には出遅れたとばかりに肌を自慢するためか上衣を脱ぎだす始末だ。  これには紫水も仰天する。 「御前だぞ」 「騒がしいな。」  慌てて紫水が皇の御前だと注意する声に重なって、空気を凍らせるかのような皇の静かな一言が騒然となった場に落ちる。途端に静まり返り、もはや目立とうとする者は居なくなった。それどころか、もう殺されるのではないかと震え出している。 「…私に稚児趣味は御座いませんし、使用人は間に合っております。」 「貰った物だ。適当に采配しておけ。ただし、我の周りには置くな。うっとおしい。」 (面倒だ…)  毎食食べさせねばならないし、衣服も与えねばならない。宝石を貰った方が使い途がある。  何より人間が厄介なのは、皇や国にとって毒になる者が紛れ込んでいることがあることだ。身元調査をしなければ、皇の近辺の役に付けることは出来ない。一晩だけの伽なら、凶器を仕込んでいないか調べるだけでも構わないが、身の回りで飼うとなるとよく調べなければならない。  何か事が起こったら贈り主の領主も無事で済まないために領主が調べているだろうが、皇の傍で何かあったらもう遅いのだ。  彼らは幼くとも男娼であるから、行幸に同行した者達の慰労として、皇からの下賜としても良いかもしれない。 (赤水は要るか?)  あまり好みが読めない赤水だが瑠璃を猫可愛がりしているし、意外と少年趣味かもしれない。  取り敢えず皇に色香を振りまくために着ている意味があるのか分からない衣装の少年たちを皇の側から遠く、人と接触できないような天幕に纏めて入れさせた。間諜行動が出来ないようにだ。  皇に恐れをなした少年達は悄然となって大人しく連れて行かれた。
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