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10-1.反逆
皇の真の願いは、と問う言葉に少年は榛色の目を不思議そうに瞬かせて首を傾げる。
「十分御恩寵を頂きましたので…」
「皇都風の発音に、こんな辺境では見られない剣技。お前の飼い主は誰だ?」
しらを切る少年に皇が枕元の剣を抜く。
「…まさか…」
少年が皇からの嫌疑を心外だという驚きの表情を浮かべる。
「白々しい。責めにかければ分かることだ」
忌々しげな表情を浮かべた皇が剣を振り下ろした。 剣が首元を掠める瞬間、俊敏な動きで少年が後ろざまに飛んだ。
着地と同時に先ほどまでの殊勝な態度を豹変させて少年がにたりと嫌な笑みを浮かべる。
「拷問にかけようなぞと欲張られるからですよ。いえ、臆病な皇は思い切れないですか。」
皇が致命傷になる程踏み込んで来ないことを分かっていたらしい少年が薄ら笑って、そのまま部屋の窓枠まで飛び退しさった。曲芸師のような身のこなしにルクレシスは唖然する他ない。そして予想外の展開に動くことが出来ない。
「ここは《始祖》様の地でございます。僭称の輩には早々に御隠れ頂きたい。それが《始祖》様の願い。」
南方で暑さを逃すために嵌め窓もなく、ただ大きく開いた窓枠から夜盗のようななりの男が皇のための寝室に侵入する。全身黒尽くめで踊り子を守るように立った。
「遅かったじゃない。おかげで最後まで奉仕する羽目になったよ。」
少年は賊が侵入して来る時間を稼いでいたらしい。男は大ぶりの剣をを下げ、既に何人かを屠ったのか、血糊が垂れている。つまり窓下を守っていた者達は全員死んでいるということだ。
「ちっ!」
「逆賊だ!逆賊だ!」
皇の舌打ちとともに閨番が叫ぶ。
「無駄だよ。」
少年がにやにやと嗤う。皇が襲われているというのに警備の者が駆けつけない。侍従が扉を叩いても開くことがない。つい先ほどまで開いたというのに。
部屋に詰めていた侍従と側仕えが賊から皇を守るために皇の前に身を挺する。
「っが!」
しゅっという風を切る音とともに、扉を叩いていた侍従が倒れた。
首に短剣が刺さっている。
頸動脈を掻っ切っており、その体が傾ぐと共に血が吹き出した。
寝台上のルクレシスは茫然とその様を見る。 刃が首に突き立ち、眼を見開いたまま、侍従の身体が膝から崩れ、膝が床についた衝撃で首が揺れ、刃が抜けると同時に噴き出す紅がくっきりと網膜に焼きつく。
「あああー!!」
気付かぬ内にルクレシスは悲鳴を上げていた。信じられないものを目の当たりにして身体ががたがたと震えて動かない。
「ぴったり」
少年が満足そうに嘯く。彼が短剣を投げたのだ。それは正確に侍従の首を掻っ切った。的当て遊びが上手くいったと言わんばかり彼の態度だけがこの部屋で異様だ。
侍従が崩れ落ちた瞬間に一気に緊迫感が増し、閨番達が皇の壁となって身構えている。
使用人も一通り武術は身につけているが、逆賊達は戦闘の手練ばかりと見える。完全装備の上、殺傷術にも長けている。飛び道具も持っている今、侍従らは皇の周りを離れることは出来ず、防御に徹するばかりで、救援が来ない限り殲滅されてしまう。
しかし扉は開かず、この扉の外に立つ火の神官も襲われていると見るしかない。
部屋に押し入ってきた男の他にも後ろにまだ控えているらしい。窓の外から続けざまに矢が射掛けられる。皇の前を守る侍従の肩に刺さった。侍従も身に帯びていた小刀を投げて応戦し、小刀が外の賊に当たって崩れ落ちる音がする。しかし、それも多勢に無勢、焼け石に水であった。絶望的な戦況である。
ルクレシスは余りの事態に動転して動けない。火の神官が使用人の後ろに隠れろと、背中を護る者が居なければ壁によれと、窓に近づくなと、説いていたが、現実になれば、そんな事は何一つ思い出さなかった。
さらに風を切る音がする。
弓矢が射掛けれる。寝台を裂き、羽毛が舞うが誰の血か分からないもので汚れていく。皇と侍従が剣で矢を薙ぎ払っているが防戦一方だ。
彼らは皇と分断されたルクレシスは脅威でないからか、狙ってこない。
一筋の光がルクレシスの目を刺した。別の窓から侵入を果たしたらしい黒装束の男が短剣を構えていた。その刃が月の光を反射し煌めくのが目に入り、そして無意識のうちに身体が動いた。
(…皇!!)
「動くな、シス!!」
「***っ!」
皇の怒声を聞きながら、ルクレシスは敷布を必死に掻いた。次いで脳髄を突き刺す痛みにうずくまった。
腕にあの刃がざっくりと刺さっていた。
皇の前に踊り出ていた。無意識だった。そこに投げられた短剣がルクレシスに突き刺さったのだ。
「止めろっ!」
唐突に少年が声を上げて、急に弓矢を射るのをやめさせる。そして場違いな猫撫で声でルクレシスに向かって話し始める。
「宮様?取引を致しましょう。貴方がこちらに来ていただけるならば、我々は引きましょう」
「耳を貸すな!お前は後ろに下がれ!」
皇が少年の讒言をかき消すように怒鳴る。
「宮様、お早くご決断下さい。あと三つのうちに、私の前まで来てください。」
「奸計だ。聞くな!」
(だとしても、どうすれば…どうすれば…)
「一」
少年が約を守る保証は何もないとしても、現状で一縷の望みかも知れない。奸計でさらに状況が悪くなるのか。
既に活路は無い。僅かでも時間稼ぎになるかもしれない。
「二」
(…どうしたら、どうしたら、どうしたら…)
「皇!!!!」
ルクレシスが一歩進んだのか進もうとしたのか、轟音とともに締め切られていた扉が開かれ、皇の軍人達が部屋に雪崩れ込む。
「ちっ!」
軍人達が一斉に侵入者達に討ちかかり、少年は苦々しい顔をしながら窓枠を超えて夜の闇の中へと逃げる。
「門を閉めろ!逆賊を外にだすな!」
紫水の宮と赤水晶の宮の指示によって賊が討ち取られていく。怒号と悲鳴が交錯し、逃げ遅れて捕縛される者、事切れる者。皇の為の寝室が血臭でむせかえっていく。ルクレシスはひたすら身を縮めてやり過ごす。時間にしてどれ位の時間だったのか、寝室周辺の賊が軒並み掃討され、一帯の安全が確認されて、異常な程の緊迫感が少し和らぐ。
(ご無事だった…)
緊張の糸が切れ、ルクレシスは刃の刺さった部分から急速に力を奪われていくのを感じた。いつの間にか突き刺さっていた短剣は抜け落ち、腕は力なく床に垂れ、その下に滴った血だまりが広がっていた。極限状態で麻痺していた頭が身体の異常を認識するなり、ルクレシスは激痛と嘔気に襲われた。
周りは死傷者の仕分けで武装軍人が行き交っている。
「宮様、お怪我を。こちらへ」
若い侍従が声をかけてくる。見たことの無い侍従だったが朦朧としたままの状態で抱き上げられた。
「すぐに医師のところに参ります。」
皇都の内宮では聞いたことのない抑揚と発音を不審だと考えられる力も無くなっていた。
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