10-1.反逆

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「おい、あれは誰だ」  瑠璃の宮を抱えて走り出した侍従を紫水が見咎める。見たことのない顔だった。侍従達に配られる揃いの長衣で夜目で生地の地紋や縁取りの色までしかと見ることができなかった。  紫水が部屋に突入して室内の状況把握に目を走らせた際に幸いにも皇には怪我がないようだったが、瑠璃の宮が負傷しているのが目に入った。しかし、先ずは皇敵の掃討であった。  賊を粗方片付けて救護を呼ぼうとした矢先であった。まだ指示も出していない侍従が瑠璃の宮を連れ去った。 「え?紫水のところの者ではないのか?」 「違う!お前の使用人ではないのか!」 「皇のでは?」 「!あの者を捕らえよ!瑠璃の宮を連れた男は間者だ!」  紫水が顔を知らぬ者が皇の側に居るわけがない。有事の際に正確に情報を把握し、判断するために情報は全て皇の侍従長に集約される。そして全て皇の侍従長を通して命が下される。そうでなければより一層混乱を来すだけだからだ。紫水はまだ瑠璃の宮の救護の指示を出していなかった。 ----遡ること数刻前。  紫水の宮と赤水晶の宮が異常を感じたのは宴席が御開となり、それぞれの部屋に引き揚げる時だった。やけに熱心に領主の宮城の侍従達が男娼を勧めて来る。宮以外の者には娼婦と、これだけ居れば絶対に好みの者が居る筈だと言わんばかりの人数の者達が続きの間に集められていた。  最初はよくもこれだけ沢山、接待用の者達を集めたものだと呆れていただけだったが、断っても断っても別の商売の者を連れてくるしつこさにいい加減に苛立ちも感じ始める。  あからさまに勘気を見せても、卑屈な態度で引こうとしない。  歓待心や商売熱心とだけとは言えぬ態度に次第に胡散臭さが強くなる。のらりくらりと躱す領主の使用人を押しのけて部屋へと案内させても、案内の者ものろのろと歩く。 「おかしい。この宮城の空間配置からすると退路のない部屋ばかりに俺たちが配されている。」  軍人の習いと言うべきか、赤水は初めての建物であっても外観と自分の歩いた通路、天井の梁の具合からほぼ部屋の配置、戦闘になった際に致命的になる袋小路などを常に確認するらしい。その軍人の勘とも言うべきものが、何かがおかしいというならば、無視は出来ない。  そして紫水の直感も彼らが何か隠していると告げている。  ましてや、今、皇と紫水達が分断されている。側に居るのは有事の際には役に立たない瑠璃の宮、そして違和感の強かった踊り子。 「皇の元へ行く!」 「第一師団、警護神官!」  悩んでいる間はない。赤水と紫水が声を上げる。 「お前ら、無駄な問答は不要だ。今すぐ道をあけろ!」  驚いた顔をして見せる使用人達の演技は念の入ったことだと思うと、一層怒りが湧いてくる。 「どけ!」  赤水が腰に掃いていた儀典用の装飾剣で強引に眼の前で立ち塞がる者を横ざまに薙ぎ払う。装飾剣とはいえ、金属の塊で全力で殴打すれば充分殺傷力はある。 「道をあけぬものは反逆罪。有事につき我が名においてその場で手打ちとする。」  紫水も剣を抜き、宣下する。  そこから騒然となる。訳も分からず狼狽える者、領主の手の者として時間を稼ごうとする者が入り混じって、進路を塞ぐ。問答無用で斬り伏せてて、皇の寝所となっている部屋を目指した。 「!皇!」  寝所前の不寝番の火の神官が首から血を流して倒れていた。瞳孔が開ききっている。 「くそっ!」  扉の奥の前室の中ではまさに戦闘中であった。 「逆賊を殲滅せよ!」  騒乱のなかで何とか皇軍も参集しつつあった。それでも全師団長の姿が認められないことから、宮城内のいたるところで足止めを食らっているのだと考えられた。  綿密に組まれた襲撃。 「冰への行幸そのものが罠だったのか!」  今更、歯噛みしたところで意味もないことだが、忌々しいこと限りなかった。 「申し訳ございません。門番も買収されておりました。」  皇は無事だったものの瑠璃の宮が行方不明となり、いらいらとする紫水と赤水の元に更に凶報が齎される。  今回の騒動の主犯格の踊り子も取り逃がし、瑠璃の宮の誘拐も完遂させてしまった。完全に皇軍の大失態だ。 「一帯全ての道を封鎖しろ。全ての民家を捜索せよ!」 「領主に全て吐かせろ!」  紫水と赤水は矢継ぎ早に指示を飛ばす。何としても先ずは瑠璃の宮は奪還せねばならない。逆賊は後からでもどうとでも出来る。瑠璃の宮が害されるなどということになったら、皇の勘気が云々もあるが、何よりも皇国の威信に関わる。  広大な領土は圧倒的な力あればこそ抑えつけられる。皇の威光に僅かでも瑕疵がつけば、一気に皇国中から火の手が上がるだろう。  瑠璃の宮が殺されたら、人質に取られたならば、あらゆる可能性を考えて対策を立てねばならないが、相手の思惑がわからぬ。皇の威信を傷つけるのが目的で瑠璃の宮を捕らえたのか。  瑠璃の宮は既に傷を負っている為、死体に用が有るので無ければ、それ程無茶に連れ回せないだろう。近くに潜伏している筈だ。 (隠れるとしたら何処だ?) (始祖の根城は?) (奴らの真の後ろ盾は?)  紫水は最適解を導き出す為にあらゆる事象に考えていく。  領主を拷問にかけても知れる情報はそれほどでもないことは分かっている。あれは恐らく始祖とやらの捨て駒だ。表向きは邪教狩りを行っていた様だが、裏で良いように操られていただけであろう。 「貴族連中を全て集めろ!」  貴族の中にも利用された者、利用した者が混じっているはずだ。 「高位神官も呼べ」  これまで黙っていた皇が口を開く。  皇の声で、辺りに痛いほどの緊張感が走る。神官をも詮議にかけるとは只ならぬ事態に更に空気が冷える。神殿は皇直属の組織であり、皇国の聖域である。その中に裏切り者が居ると皇は考えるのか。 「御意」  寝所に賊の侵入を許し、あまつさえ宮を拉致された皇軍と火の神官勢に対して皇は叱責する訳でもなく、何も言わない。  しかし、右往左往と走り廻る武官達を睥睨する目は刺すほどに冷たい。  皇がその場で筆を走らせて、直筆で神官長を参集させる旨と神殿内部の捜索を命じる勅書を書き上げた。応じぬ場合は反逆罪を問うと。  紫水が差し出す皇印を無造作に押して、床に投げ捨てた。皇軍の将が地面に額を擦り付けながら勅書を拾い上げ、三度叩頭して退出していった。
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