10-2.始祖

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10-2.始祖

「話と違うだろう。商品に傷をつけるなと。」 「あの子が勝手に飛び込んで来たんだよ。あれ位、直ぐに治るでしょ。」  声を潜めて言い争う気配がする。その気配でルクレシスは覚醒した。地下独特の重く湿った空気がルクレシスの肺に流れ込む。  腕がじんじんと痛む。腕を引き寄せようとしたが、がちゃん、という耳障りな音が反響して声の主達がルクレシスが目覚めたことに気がついてしまった。鉄の手枷、足枷が嵌められていて、それらが無遠慮な音を立てたのだ。 「ほら、ちゃんと瞳を確認してよ。濃紺(ランスルー)でしょ?」  火石の手元灯を持って一人の男が近寄ってくる。金の縁飾りが為された長衣には石も大量に縫い付けられていて貴族を模した格好をしているが、眼がぎらぎらとしており、その脂ぎった品のなさは貴族の類でないことが世間知らずのルクレシスにも分かる。 「…あぁ、本当だ。こうやって見ると、確かに宝石のようだ」  男は逃れようとするルクレシスの頤を掴んで覗き込んでくる。瞳を確認すると、閨から一糸纏わぬ姿で連れて来られたルクレシスの裸体を値踏みするかのように頭から足先まで眺める。 「しかも綺麗な白肌だな。さすがはアルビノの血筋か。」  アルビノも人気だからな、と男は下卑た笑いを浮かべ、白肌を湿った手で撫ぜる。男の高値いい商品を手に入れて儲かるかを算段する目に本能的に嫌悪を感じ、ルクレシスは身を(こご)める。  この男は奴隷商なのだろう。誘拐してまで商売しようというのだから、闇商人だろうと想像がつく。 「で、あっちの具合はどうなんだ?」 「あんまり触らせて貰えなかったからね、何とも。初心な振りしてるけど、あんなデカ摩羅でやられてるんだから、もう緩いかもよ。」  少年がつん、と答える。大体、商品の引渡しが条件で、検分までは自分の仕事ではない、と素っ気ない。 「ふん。まぁ、商品が初物ではないのは承知の上だしな、まぁ後ろの具合は俺が試せばいいか。」  にたにたと嫌な笑みを浮かべて、今度は好色そうな舌なめずりをする。  ルクレシスにはとって、訛りがきつすぎる男の言葉の半分以上聴き取れないが、彼が自分の何に興味を持ったかを感じ取って、そのおぞましさに無意味と知りながらも一層手足を身体に引き寄せて身を隠そうとする。  自分を守るように強く引き寄せた右腕がじくじくと痛むし、熱を持っている。ルクレシスが無理に腕に力を入れたせいで、傷口がぱっくりと開き、また血が滴るほどになる。 「今ここでやるの?その前に代金貰いたいんだけど。」 「っち!傷を付けたから、約束の半分だ。」 「何馬鹿なこと言ってんのさ。それ位の傷、躾かお遊びで付けるだろ。全額だ。」  男と少年が言い争う様をルクレシスは震えながら見ているしかない。だが、彼らが言い争っている間だけ、ルクレシスは無事でいられる。  石の床にぼたぼたと血が落ちてゆく。石から伝わる冷えと出血で失われる身体の熱で虚弱な身体は蝕まれていっているが、今、気を喪うわけには行かない、と必死に気力を絞る。 「ルファ。何を揉めている。」  足音も無くもう一人男が現れる。  途端にルファと呼ばれた少年が罵詈雑言を言い合っていた相手を放って、笑顔で黒尽くめの男に抱きついた。 「《始祖》様!きちんとお役目果たして参りました!」 「あぁ、ルファはいい子だ。間抜けにも皇軍が町中に散っている。よくやった。」  少年が褒められて嬉しそうに男に甘えている。  男の声は大きくもないのに脳髄に響く低い声だ。しかし少年を労う言葉の割に何の感情も篭っておらず、どこか冷たく聞こえる。だが少年は意にも介しない様子で甘い声で腕に縋りつきながら強請る。 「私の主様、ご褒美を下さいませ。」 「散々と愉しんできたのではないか?あれと。」  少年が嫌々、主様の褒美が欲しい、とせがむのを男は適当にいなしている。 「あれのお気に入りとやらを見に来た。」  全身黒尽くめで深く布を被っていて顔の見えなかった男が、ルクレシスの方に足を向けると、目深にかぶっていた布を上げてルクレシスを覗き込む。 「ひっ!!!」  ルクレシスは思わず悲鳴をあげた。 「怖いか、この顔が。」  始祖と呼ばれる男が笑いながら言う。先ほどまで無感情な声だったのに、今度は心底愉快そうで、引き攣れた口元が歪んでいる。男の顔の半分以上が無惨に引き攣れて、元の造作を不明にさせている。  眼を背けたいのに、男の眼光に捕らえられて、視線を外すことが出来ない。 「何でこんなのがいいんだろうね?性技も下手だし、何にも出来ないくせに。」  自分の主人がルクレシスに興味を引かれたのを面白くなさそうに、ルファが横から割って入ってきた。彼はこの面貌を何とも思わないのか。腕に絡みついたまま、うっとりとした表情で始祖と呼ばれた男を見つめている。 「誓いの石を嵌めているな。」  男は少年を無視して、無遠慮にルクレシスの耳朶の石を掴む。余人に触れさせてはいけないと言われたが、男の威圧感で身動ぎ一つ取ることが出来ない。 「溶接されているな。ご執心のことだ。」  男は耳飾りを弄りながら、金属部分を切断せねば外せない仕様になっているのを見て嗤う。 「抱けば執心の理由が分かるか?私に穢されたと知ったあいつの顔も見物だな。」  焼け爛れた顔が再び歪むのにルクレシスは身を震わせる。奴隷商の男の下卑た笑いは気持ち悪かったが、この男の嗤いは心底怖い。  皇を知っているかのような口ぶり。焼けただれているが高い鼻梁に薄い唇。布からこぼれる射干玉(ぬばたま)のような黒髪。存在そのものが威圧的。低い声。 「…誰なの…?」  似ている。 「ほう。誰?とはな。」 「あなたは、…何?…」  瞳の色は違うが似ている。背格好も、身のこなしも。 「《真皇》だ。この腐った国に新しい秩序を齎す。」  驚愕に目を見開くルクレシスを男がくつくつと嗤う。 「さて、その耳でも削いであいつに贈ってやろうかと思ったが…」  男がルクレシスの傷ついた腕を掴むと滴り落ちる血をベロリと舐め上げた。 「ひぃっ!」  咄嗟に手を引こうとしたが、非力なルクレシスの力では微動だにしない。舌のざらりとした感触に悪寒が体を突き抜ける。 「呪われた血でもうまいものだ。耳を削いだらそれだけで壊れそうだな…」  血を拭い取られた傷口が再び血を滲ませ、粒となって滴らせる様を見て、男がいつの間にか手に持っていた小刀を残念そうに弄ぶ。 「おい、うちの商品だぞ!」  完全に外野に置かれていた奴隷商が商品を害されそうだと怒鳴る。 「代金も払わず、所有権を主張されてもな。」  ルクレシスの耳に刃を押し当てながら男が商人をいなすと、先ほどまで払い渋っていた商品の価値を下げられては困ると言わんばかりに皮袋を投げてよこした。 「その倍だ。本家の濃紺(ランスルー)がそんなに安いわけがなかろう。」 「ちきしょう、ぼりやがって。」  「どうせ最後にはその値の百倍にはなるんだ。互いの信頼関係のためにもけちらないことだな。」  奴隷商は商品の身体を損ねない程度に様々な客に奴隷を貸し出して暴利を貪り、貸し出しが潮時になったところで最後の飼い主に法外な値段で売りつけるのだ。大体、最後の飼い主は碌でもない奴に決まっており、商品は散々に嬲られた後には壊されてしまうのが相場だ。  苦り切った男がさらに金子を床に投げつけるのを見ると、真皇と名乗った男は髪を一房切って、その毛に滴る血につけると、ルクレシスを解放した。 「まぁ、これでまけておいてやる。」  もう用はないと始祖が立ち上がると踵を返した。金子を集めた少年がその後を追って始祖の腰に手を回したりと纏わりつく。 「あぁ、そうだ、折角の希少種だから忠告だ。その商品、手厚く手当でもしてやらぬと死ぬかもしれないぞ。今も随分と失血している。」  途中まで進んだ男が一旦振り返ると、そう忠告だけして去っていった。  契約の倍額以上を巻き上げられた商人は顔を真っ赤にして怒って、ルクレシスには聞き取れないほどの酷い発音で悪態をついた。  そしていつまで経っても止まらない血と血の気を喪った肌を見て舌打ちをした。  ルクレシスはただただ震えていることしか出来ない。 (皇…皇…)
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