3-2.貴賓

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3-2.貴賓

   ルクレシスが再び目を覚ました時には、自分に宛てがわれた部屋の寝台であった。覚醒と同時に身体中の痛みに襲われて、息が詰まる。声も喉にひっかかって掠れる。 「御目覚めですが?」  身体を起こそうとして思うように身体を動かせない部屋の主を側仕えが支えて、腰当てなどを用意して寄りかからせてくれる。  そして口元に爽やかな香りのする果実水の入ったグラスを持ってきて、傾けて、口の中に少し注ぐ。ルクレシスが嚥下するのを見計らって、また少し傾けては水を含ませることを時間をかけておこなってくれる。 「御食事は如何されますか?食欲は御座いますでしょうか?」  窓の外をみやると、すでに明るい。しかし、その明るさも天中の燦々とした明るさではない。今はいつなのだ、と疑問が頭に浮かぶと、様子を察した侍従が、すでに夕刻にも迫ろうという時間であると答える。 (…そんなに寝ていたのか…)  食事も昨日の閨のために昼食から口にしていなかった。もう丸一日以上食べていないことになる。それでも全然お腹が減っている気がしない。元々、忘れられると2日と食事を抜かれることがあったから、慣れてはいる。今は3食食べることの方がしんどい。  首を振って、食事を断ると侍従は困った表情で退出していった。  しばらくすると医師が訪れて、気分の悪いところはないか、と聞いてくる。大丈夫だと答えながらも、節々が痛み、腰に走る鈍痛と後孔の疼痛、全身の倦怠感にぎこちなく動いてしまう。 「徐々に御身体も皇になじまれますよ。今朝は少し熱はでておられましたが、御傷などもございませんでしたし、少し皇と御身体が合ってこられたのでしょう。あとは恩寵を御受けするために、もう少し体力をおつけになられた方がよろしいでしょうね。ですので、お食事も出来るだけ摂りましょう。」  医師は労るような優しいまなざしで、食事を断ったルクレシスを諭した。  そして、体を動かすための体術の時間を設けてはどうかと侍従長に提案して帰った。  一度は断った食事だが、そう言った経緯もあり、侍従に一口でもと持ってきた粥を時間をかけて食べさせられた。一口二口で疲れて、断ると一旦下げられるのだが、うつらうつらして再び目を覚ますと、温かい粥がまた差し出される。一度、熱さに口の中に火傷を負って以来、ルクレシスが食べられる温度にされたものが給仕されるようになっている。  何度にも分けて椀一杯分を食べられたところで、苦い薬湯を飲まされた。喉に絡む苦さにせき込むと、甘い果実水が口元に運ばれる。至れり尽くせりだった。  あらゆる情報から遮断されていたルクレシスは詳しい事情は全く知らないのだった。自分は名目上は黄皇国の客人という立場にあっても、それは歓迎されたものではないし、生国に対する人質だということは分かっていた。  これまで過ごしたことのないような豪奢の部屋を宛がわれたとしても、檻が鉄格子か、豪華な絨毯が敷かれた石かくらいの違いでしかない。  ここに来た時、使用人たちに自分を見る目が馬鹿にするような色があったことを覚えている。そういう悪意にルクレシスは敏感だ。  出来れば、殴れたりしないように、気に障らないように、存在を消さないといけないからだ。そうしているとすぐにルクレシスから関心を失ったようで彼らの姿を見なくなった。  残ったのは余程仕事に忠実なんだろうなと思う使用人だけだ。何もしないルクレシスに対して、日に数度声をかけてくる。数刻ごとに勧められる茶であったり、食事の案内であったり、入浴の伺いなどだ。  食事を抜かれたり、真水を頭からかけられて洗われたりもせず、ルクレシスにすればそれだけでも破格の待遇ではあった。 ============  ありがたいことにランス国からの貴賓は翌朝には復調された。以前、1週間も寝台の上で意識混濁状態になり、峠を越えられないのではと懸念された時を思うと、仮初でもその身を預かっている侍従長としては胸を撫で下ろすところだ。  あまりに王族らしからぬ様相で来た時には、教育の行き届かない召使いの中には眉を顰め、侮る者もいた。そういった者はすぐに裏方に回した。なぜなら仕事に忠実ではない者に任せていて貴賓に何かあったら取り返しがつかないためだ。  逃亡あるいは誘拐、暗殺、自殺、事故、あらゆることの予兆を目敏く見つけられる集中力のある者にしか任せられない。  特にランスからのこの客人についての特記事項は誘拐であった。  濃紺(ランスルー)の瞳は、コレクターの垂涎の的らしく、過去には王族の墓が暴かれて、瞳が盗まれたという話もあるらしい。生きた宝石を欲する者が国外に出た彼を狙っていると。  また瞳のみならず、その血も狙われているらしい。ランス国に於いては貴き血とされるらしいが、”呪われた血”として大陸ではあまりにも有名である。短命にして、異常。その血は呪術に使われるとか。  様々な貴賓に対応してきた外宮侍従長であったが、ランスからの客人の対応には思案の連続であった。  まず事実として、召使いたちが軽んじるのも無理もないほど、貧相な少年であった。側仕え達ですら中級貴族の出身である。油っけが飛んだ白金の髪は傷みが強く、整えられた形跡がない。骨が浮き出るほど細い体躯、荒れてくすんだ肌。有名な濃紺(ランスルー)の瞳は、光を失って、何も映していない。心ここにあらずで、座らせると一日中でも微動だにせず、人形かと思ってしまうほどだった。  さらに侍従長を困らせたのは、持参金の少なさだった。衣服も十分になく、今は貴賓ということで貴賓室の経費を使って何とか身の周りのものを揃えられるが、今後どうしたものかと要らぬ心配をしてしまうほどだった。皇の夜伽を務めた褒賞金や下賜品でようやっと持ち物を用意出来たくらいだ。  夜伽に一度のみならず二度目の召命があったことで、使用人たちは活気づいていた。皇に覚えられて、重ねて呼ばれることは栄誉なことだ。  一度目の惨状は人質として痛めつけるためのものだったかと思ったが、その後に下された恩賞の多さから召使いたちも侮ってはいけないと察したようだ。そして皇が直々に教師をつけ、二度も召し上げることとなると、皇の寵愛を受ける己の立身出世に繋がるのでないかと野心を覗かせる者もいる。  そのような日和見な召使いは損得で動くため、侍従長は一切信用しないことにしている。もし三度目のお召しが有れば、専属の召使いが傍につくことになる。その時のために信頼出来る者を選んでおかねばと、侍従長は手元の紙を手繰り寄せる。  まずは、体術の指南役となる火の神官を選べばねばならない。  老医師から提案のあった体術の指南であるが、話を聞いてすぐに上奏文を作成して、皇の侍従長に届けさせたところ、すぐに承認の返事が届いた。これは驚くべきことであった。皇はランスの御方にひとかたならぬ関心を向けておられるのだ。  ランスの御方は非常に物静かな方だ。緊張が強いことなど踏まえて、火の神官長に宛てに望む人物像を添えて神官の人選を依頼する手紙をしたためた。  専属召使いが必要になった場合の側仕えや侍従についても幾人か列記しておく。    白金の髪に関しては、傷んだ毛先は切り落とし、湯を使う度に一本一本毛先まで滋養液を揉み込むことを一月以上続けたおかげで、しなやかさと艶が出てきた。  荒れた肌も絹布で丁寧に擦ることで、透き通るような白さに変わってきた。くすみが取れたことで、顔色も少し良くなって来られたように見受けられる。  美容に長けた者も選出しなければならないが、何より御方が安心して身体を任せられる者を、と書き記した。  食の細い主の厨房の問題も由々しきことだ。侍従長として未だに食べ物の好みを掴み切れておらず怠慢の誹りは免れない。頭を悩ませるがどのような厨房の神官を木の神殿に依頼すべきなのか頭を悩ませる。
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