10-2.始祖

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 黒塗りの箱と白金糸の束が盆に乗せられ、ラーグの前に差し出された。夜明け、外出禁止令が敷かれた街角に置かれていた黒塗りの箱から出てきたものだと下官が震える声で報告する。  黒塗りの箱の蓋は意図的に無残に割られていた。黒は太陽の象徴であることから、皇を嘲笑する意図で割られたとしか考えられない。  箱の中の艶やかな白金の毛束は赤黒いものをこびりつかせている。固まった血だろう。 「調子に乗りやがって」  一瞥して、ラーグは乱暴に捧げ持たれた盆を蹴り飛ばして、吐き捨てた。手に載せた盆が飛んで行った哀れな下官は震えて叩頭するのみだ。  瑠璃宮の侍従達が主の髪だろうと思われる床に散乱した白金糸を拾い集めるために慌てて膝をつく。彼らにとっては尊き主の一部かもしれず、奪われた主を思って臍を噛みながら拾う。血濡れた髪で楽観的な想像は出来ない。瑠璃宮の老年の侍従長の顔は強張っている。  ラーグにとって、切り離された髪に興味はない。遺髪にするつもりもない。 「髪をよこしたということは生きている。探し出せ。近くにいるはずだ。市街の小神殿も徹底的にだ。」  こういった脅迫を行う際には普通は紋章入り指輪のついた指、唯一無二の細工のなされた耳飾りのついた耳などが送りつけられるものだ。髪など信憑性に欠ける。  だが、おそらくそうしなかったのは、ルクレシスの刀傷の具合からこれ以上外傷を増やすことが致命的になると思われたからであろう。  始祖はルクレシスをまだ生かしておくつもりがある。つまり、まだ釣りたいものがあるということだ。  あるいは売り物として生かしておきたいか。新徒は帝国と行き来する商人と繋がっている。呪われた血による濃紺(ランスルー)の瞳は好事家達の垂涎の的だ。珍奇であればあるほど、欲しがる腐った富豪がいるものだ。現に天中節の使者はアデルの奴隷商と繋がっており、ルクレシスを性奴として売ろうしていた。  ルクレシスは手傷を負っている。余人であれば致命傷にはならないが、脆いあの身体ではおそらく商人は手に入れた商品の傷の具合に慌てて医師を手配する。向こうにとって、ルクレシスは商品として生かす必要があるはずだ。 「市街で医師が動いたら、追尾しろ。」  外出禁止令下でも、急患とお産に限り水の神殿に医師を要請することは認められている。何か処置をしようと思えば医師を呼ぶだろう。もしくは既に闇医者を抱えているか。 (蒼天、お前なら、どう動く)  背中の傷が疼く。  わざと踊り子を始まりの神殿風に仕立てあげ煽るなぞ、あからさまなラーグへの当て付けだ。  蒼天(そうてん)と渾名された半身のことを思い巡らせる。  常に座学の成績も武術の成績も似たり寄ったりで、似通った目鼻立ちに体格と、おそらく同じ胎か同じ胤かと目されて家族という概念がない神殿の中でも互いも兄弟のように扱われていた。  違うのは瞳の色と性格位なもので、半身は蒼天と渾名されるように社交的で明朗な性格であった。ラーグ自身は社交的でもなく、無口で不愛想だったので、蒼天とは対照的に宵天(しょうてん)と渾名されていた。  神殿での生活は日々の祀事に神官長候補としての凡ゆる座学を修めること、厳しい武術鍛錬であった。始まりの神殿は皇国中に散らばる神殿の神官長を育てる事であった。皇の崩御がない限り《夜明け》は発生せず、十八歳になると適性と成績によって各地の神殿に配される。  成績不良と判じられた者は直ぐに始まりの神殿から居なくなる。処分されるのだ。最も優秀な皇になる可能性ある卵を育てる始まりの神殿に落伍者は不要だからだ。  だから殺伐としていたものだ。皇が死んだその時まで皇の卵であることを知らされることはなかったが、常に処分の危機に曝されていた訓練神官は生き残りをかけて必死だった。  しかし、思い出されるのは穏やかな日々だ。だからこそ今では茶番劇だったように感じる。 「宵天、天気がいいから、中庭に行こうよ。」  自室に引きこもりがちなラーグを暁がいつも連れ出しに来た。  ラーグは木陰で本を読み、蒼天が三歳下の暁に剣の稽古をつけるのがならいだった。ラーグも請われれば暁の座学に付き合った。  訓練生の生殺与奪権を持つ神官達の暴慢さは至極面倒なものだった。蒼天は快活な性格と抜きんでた優秀さで有力神官から可愛がられており、ラーグは蒼天同様の成績を修め、彼等に吝を付けさせなかった。  小柄な暁は武芸が苦手で神官から。明るい茶の髪に榛色の瞳、愛嬌のある顔立ちが余計に蒼天がいつでも護っていた。  ルクレシスは暁を殺したラーグへの代償のつもりか。  蒼天の意図がラーグへの復讐であれ、野心であれ、ラーグはルクレシスを取り返さねばならない。  あの夜に誓ったのだ。 (何者にも、運命にも二度と奪わせはしない。)
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