11-2.明けない夜

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11-2.明けない夜

 *********   『殺せ殺せ』 『殺される殺される』  理性を狂わせる香と儀式前に飲まされた酒に何かが混ざっていたとしか思えない。  幻聴と幻覚で思考が侵食されていく。殺さねば殺される、そう思考が塗りつぶされていく。  必死で理性が喰われそうになるのに耐えながら、目の前に襲ってくる人間をラーグは反射的に切り捨てていた。    頭が割れそうに痛い。 『殺せ、殺さなければ殺される。』 『殺せ、皇は一人だ。』  そこらに訓練神官の身体が転がっている。吐血してのたうち回っている者も、剣が突き立てられて絶命しているものもいる。  毒のせいかラーグの内臓もギリギリと痛む。  祭場には訓練神官の中では最年長の十八歳の神官から最年少の六歳までの神官までが集められていはずだ。  今やそこは殺し合いの戦場となっている。  傍では大勢が寄ってたかって一人を攻撃している。一人を葬ると自然と次の標的目掛けて剣が下される。正気であったならば狂ってしまうような世界がそこにあった。  しかし薬のせいなのか頭の芯は麻痺しており、いつの間にかつけられていた傷の痛みも感じず、絶望も感じない。ただ『殺せ』という声に喰われないように、なけなしの理性を搔き集める。  生死を賭けた鬩ぎ合いの合間を縫って、ラーグは決して標的にならぬように動く。  幾人かからの追撃を逃れていると、暁が他の神官に襲われていた。いつもあどけない笑みを浮かべていた後輩は剣技があまり得意ではなかった。今や剣を弾き飛ばされて、振りかぶられた剣の下で恐怖に目を見開いていた。 (暁っ!)  彼を助ける為に足を止めれば、他の者から標的にされ易くなる。  彼を助けるとしても斬り捨てる相手も同輩達だ。  しかし、このままでは暁は殺される。  暁を仕留めることしか頭になく背後が無防備になっている神官を背後から蹴り倒し、そのまま暁の腕を取って走り抜ける。 「追え!」 「殺せ!」  毒に酩酊した神官たちの怒号が響く。ラーグは暁の腕を掴んだまま祭場の中心から離れたところまで走り、暁を物陰に押し込むと、後を追ってきた神官たちを撃退するために向き直った。後を追ってきた神官とそれに呼応した神官を認め、嫌な汗をかいている手の平に剣の柄を掴み直す。  次の瞬間、すぐそばに強い殺意を感じて反射的に剣を薙ぎ払った。背後からの強烈な殺気だった。  腕に肉を断つ時の独特の嫌な感触が伝わって来る。  振り返るとラーグの剣は今しがた守ろうとしていた暁の胴に埋まっていた。正気をなくした暁の瞳孔は開ききっていた。襲われた恐怖に駆られた末に幻覚か幻聴に支配されて目の前のラーグを敵と認識したのか。剣が正にラーグの脳天めがけて振り上げられていた。  振り下ろされようとしていた剣がその手からまろび落ちて、石畳で派手な音がたったのにラーグが正気付いて慌てて剣を引いたが遅かった。暁の体がどっと崩れ堕ちて、剣の抜かれたところから血飛沫が舞った。  咄嗟のこととは言え、ラーグは自分のしてしまったことに呆然とする。  しかし止まっている暇はなかった。ラーグを獲物と定めた神官たちが次々に襲いかかってくる。ラーグの薬に侵された神経が身に迫る危険への恐怖を強い凶暴性へと変換して、ラーグに剣を奮わせ続ける。  ラーグが振るった剣が鮮血を降らせると、狂ったように周りの神官たちも剣を振るう。隣にいるものに剣先があたろうが自分の指が飛ぼうが構わずに襲ってくる。だからラーグも斬り捨て続けた。自分が何を斬っているのかわからなかった。  どれだけ殺めたか自分でも分からないが目の前に立ちはだかる者が居なくなって、ラーグは正気に戻った。正気に戻ったラーグの目に事切れた同輩や後輩の四肢が映る。  自分の両手は真っ赤に染まっていた。血糊で剣の持ち手が滑る。 (これは現実か…) 「…う…ぁ」  現実を認められない頭に怒号が遠く響くが、耳のそばではっきりと呻き声が聞こえた。慌てて血だまりに膝をつく。暁が血の気の引いた顔を歪ませて呻いていた。 「暁!」 「…怖い…怖い怖い…来る、来る!」  暁の顔が恐怖で引きつっていた。ラーグは荒唐無稽にも自分が切り裂いた腹の傷を必死で押さえていた。そんなことは何の意味もなさずに指の合間から血がぼたぼたと落ちていく。もはや誰の血だまりかもわからないところに。  香に狂わされた暁はもはや現実は見えていないようで、突如として叫ぶと瀕死とは思えぬ力でラーグの首を絞めて上げてくる。しかし、それが最期だった。最後の命の火がふっと消えたようにダランと腕がおち、続いて力をなくした体がラーグの腕からおちて、どさっと音をさせる。 「*****!」  もはやラーグも何を叫んだのか分からなかった。 「なぜ殺した」  声とともに背中に熱い何かが走る。背後から斬られたのだと頭が理解したかしないかのうちに、ラーグは手近にあった剣を振り向きざまに投げた。 「がっ!」  長剣が男の肩に突き刺さり、男ががくっと膝をつく。そのままもんどり打って地に伏した。 「蒼天…」  蒼天もすでに満身創意でだった。何人もの狂人を倒しながら、暁を探していたのか。 「暁…暁…」  すでに立てなくなった蒼天が息絶えた暁に手を伸ばし、その半ばで気を失ったように動かなくなった。 (まだ死んでいない) 『殺せ。皇は一人だ。』 (助けねば) 『殺せ。殺さねば殺される。皇は一人だ。』 『殺せ。皇は一人だ。』 『殺せ。皇は一人だ。』 『殺せ。皇は一人だ。』  頭ががんがんする。ラーグの理性を幻聴が侵食する。殺さねばと、気を失っている蒼天の背の心の臓の位置に刃の狙いを定める。 『殺せ殺せ殺せ』  幻聴がラーグを駆り立てる。 『お前が殺すのだ』 「やめろ!うるさい黙れっ!」  ラーグは蒼天に向けていた刃を最後の理性で引く。  そうだ、蒼天にとってあの夜は未だ明けていないのだ。  ***********
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