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スカツェルはあの夜、自分は死んだと思っていた。
だが意識を取り戻すと見知らぬ場所に居た。眼を開いて、周りを窺おうとして全身の痛みに呻く。
「ぐ…が、…っ!」
「やっと起きたか」
がさがさとした濁声の男が不機嫌そうに声をかけてくる。
「もう死ぬかと思っていたが、面倒なやつだな。」
死体になって腐られるのも嫌だから、そろそろ荷台から捨てようと思っていたところだと言う。粗末な荷馬車に据えた臭いのする麻布に包まれて荷物のように載せられていた。いや、完全に荷物として載せられていた。
濁声の男は商人だといい、ある人からこの大荷物を皇都の城門の外に出してほしい預けられたが、その後どうしろと指示があったわけでもなく、皇都から離れて三日、生きているか死んでいるか分からない男を運んで、そろそろ捨てようかと思っていたと。
満身創痍のスカツェルは男の話を半分も聞けぬうちに意識を失った。生きているのが不思議な位の重傷を負っていたからだ。
意識を失うと終わらない《夜明け》に追われる。
目を閉じれば悪夢に魘されて叫び、起こされて水を飲まされては嘔吐する。
濁声の男は、ぼろぼろの状態のスカツェルを口悪く罵りながらも最低限の世話をした。
隣町が見えて来た頃、身体の傷は落ち着き、意識を失う事はなくなったが、損傷した身体を維持するだけで限界の体力、もはや安らかに眠られる夜がなくなり精神の平衡も危うく、食事もままらないスカツェルの容貌はげっそりと窶れ、別人と化していた。
「酷え顔だな。だが、街に入る前にどうにかしなきゃまずいな。」
商人がスカツェルの顔をじろじろと見て思案げに言う。
「新皇と似てると思われると面倒なんだがな。」
そうか、宵天が皇になったのか。男の言葉で知った。そして、この商人は何を運んでいるか、半ば分かっていたらしい。
「何故助けた。」
スカツェルはあのまま死ねたら良かったと思う。
「さあな、月の女神の御心だからな。」
「…いや…贖罪だ」
********
男は二束三文の柴を只管売る商人だった。娘が居た。しかし、妻に先立たれて、仕事で各地を回るには乳飲み子が邪魔だった。だから月の神殿に知り合いの伝手で売った。金貨三枚と引き換えに。
その金貨を元手にして二頭馬を買った。より多く柴を運べるように。
月の神殿の女神官の役目は子を産み、死を祀ること。女神官はただ優秀な皇卵を産むための存在だった。そして及第点の取れなかった皇の卵を屠り、女神の胎の返すだけ。
人が死ねば必ず月の女神に魂を返すために月の神殿に遺体が運び込まれる。腹の大きい女神官が布施を受け取って祝詞を唱える。再び月の胎に戻れるように。
月の女神は死から生への再生の女神だから、身籠っている神官がその儀式に当たり、死を生へと回帰させるらしいが、現実主義の商人にとっては馬鹿馬鹿しいことだった。
ただ、柴を搬入して居る彼にとっては、常に遺体を燃やし続けている月の神殿はいいお得意様なだけだ。
安産祈願と葬式以外で神殿を訪れ、内部まで入れる民間人は商人仲間位のもので、仲間内では有名だった話は陰の神殿の女神官達の産む子の子種は各地の神官長だという話だった。皇都巡礼の度に陰の神殿で泊まっていくらしい。
『乱交らしいぜ』
『一年中盛ってやがるんだろ。神官どもは。』
『やるのが仕事なんてよ、俺がやりたいぜ。』
『女神の僕とか言いながら娼婦で、金の亡者ってな。』
内情を知っている商人仲間同士はそうやって猥談で高慢ちきな高位神官を貶して酒のあてにしていたものだ。
彼も仲間に混じっていたが、一頭の馬の寿命が来て死んだ時に、娘を神殿に売ったことを唐突に思い出した。
本来、神殿が金で子どもを買うことは禁止されている。貧しさから子どもを売る親が続出するからだ。しかし何事にも裏はあるもので、特に水の神殿や陰の神殿は見習い不足で商人仲間の裏情報で月の神殿が幼子ならば受け入れても良い、探していると入ってきた。
北の地で燃えやすい良質の柴を調達して、柴の足りない南方や湿気の多い皇都に売って回るのに、商売の手伝いにもならない三歳の子どもは邪魔だった。行商ばかりで殆ど顔を突き合わせたこともない娘にそれほど愛着もなかった。だから、月の神殿に売った。
十数年間がたって、皇都の陰の神殿である終わりの神殿で柴を買って貰えるようになって、以前より大分と経済的に安定した。
そして《夜明け》を過ぎて、出入りの商人だった彼を密かに呼び寄せた女神官が金貨三枚を握らせて、重い荷袋を彼に押し付けてきた。
中を覗いて、皇都に出回っている新皇の肖像画と似通っていることに驚愕した。
「女神が彼を生かしました。」
人目をはばかって、小さい声で早く連れて行くように急かす。荷物を載せたを荷車を商人の耳に神官の嘆きが届く。
「私たちはこんなことの為に子を産むわけでないのに…」
孵化することなく死んでいった皇の卵たる若神官達の遺体を燃やし続ける嘆きが重く立ち込める神殿に空気が怨嗟のように商人にのし掛かってくる。神官の嘆きを振り切るように慌てて皇都を出てきたのだ。
********
「お前の感傷話なんぞどうでもいい。」
「まあそうだ。それでどうする?まぁ、女神がお前を助けたのだ。最後まで足掻いてみせろよ。」
「言われなくともそうする。」
スカツェルは売れ残りの束にもならない柴を顎でしゃくる。
「一旦死んだのだ。影は影らしく、付きまとってやろう。」
陽の光が強くなればなるほど、影は濃く、闇は深くなるものだ。
スカツェルという真名の意は元来、影だ。蒼天と呼び名されたが、スカツェルの運命は元から皇国の、皇の影で有ったのかもしれないと自嘲の笑みを浮かべる。
それから暫くして、顔面に大きな火傷を負った男が南に流れ着いた。面相は恐ろしいものの、恐ろしい程頭が切れ、荒事にも長け、瞬く間に皇国の暗部の非合法商人を従えた。噂では他国の豪商とも繋がっているらしい、と。
そして、現在の皇制下で被支配者層として不満を抱いている者達のもとに新しい指導者として、理を説いた。彼等が辛酸を舐めて納めた税で神殿、貴族が如何に奢侈に耽っているのかを糾弾して支持を集めた。
スカツェルの操る闇が皇国の末端を侵食していく。
「早く来い。お前が後生大事にしているものを喰らい尽くしてやる。」
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