11-3.喪失

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11-3.喪失

 スカツェルは嗤いながら、祭場に雪崩れ込んでくる皇軍を眺める。宵天はまどろっこしいことが嫌いな性質で、それは皇となっても変わっていないらしい。期待通り自らやってきた。 「さて、最期の役に立って貰おうか。」  自分の楯として使った宵天の玩具の腕を掴んで、強く揺すって引きずり起こし、皇軍に見せつける。  呻く白い異人の身体を腕に抱えると、その首筋に刀を押し付けた。  その途端に動揺したように皇軍の足が止まる。叛逆者を威嚇するように興奮した馬の嘶きが響いた。 「我の物を返して貰おうか。返して貰えるまで、それに大逆の報いを受けてもらう。」  宵天が指図で、事切れた肢体が地面に投げ捨てられた。  ルファだったものだ。  スカツェルは顔を顰める事もなく、寵童に当てている刃に力をこめる。刃が当たって、裂けた皮膚から赤い血が細い線を為して流れた。  スカツェルの腕の中で人質が身動ぎする。刃に皮膚を破られた痛みにによって覚醒したようだった。  人質を渡さねば、踊り子の死体であっても、大逆人として四肢を刻み、心の臓を潰すというスカツェルへの脅しだろう。  心臓には魂が宿っており、月の神殿で女神の導きによって魂は空に還り、死と再生の円環に入るのだと言われている。その為、罪人の魂は転生しないように、心臓を貫かれて打ち捨てられる。  スカツェルに応じる気が無いことを見てとった宵天は兵士に見せしめを命じた。  信心深い者にとっては悍ましい刑であっても、神も転生も再生も信じないスカツェルにとっては、もはやルファの身体は意味のないものだった。  スカツェルは眼下の景色を無感動な眼で見つめた。 「ひっ!」  しかし、意識を取り戻した寵童が眼前で広がる凄惨な光景に引き攣った悲鳴が上げた。足が震え、目を背けている。 「惨いか?これが現実だ。籠の中の鳥には分かるまいがな。」  全く緩むことのない腕でルクレシスを捉えたまま、祭場を見続けながらスカツェルが言う。 「血で血を洗う。同族殺しの我らにお似合いだ。」 「な、なぜ…」 「黙れ」  ルクレシスを黙らせるかのように腕に力が入り、スカツェルの指は真白くなっていた。 「…そろそろか…」  神殿は祭場を囲むように石造りの建造物が囲んでいる。すり鉢状の底にあたるのが祭場である。  蒼天が踊り子に注視することなく周りに目を走らしたことに、宵天が気がつき、続いて周囲に目をやった時にはもう遅い。  神殿の祭場を囲む壁から水が撒かれる。そして、それは祭場へと伝い落ちていった。  水かと訝しんだ次に鼻を刺す刺激臭に、皇の兵達がどよめく。 「!!」  刺激臭に怯んだ隙に続けて火矢を射掛ける。  全く無秩序に狙いも定められず、ただ射掛けられる矢はさほど脅威でも無い、と気がついた兵が嘲笑の表情を浮かべた瞬間に、一瞬にして皇兵が火に巻かれた。  水が火柱を上げる。  怒号と悲鳴が割れんばかりに響いた。  馬が総立ち、混乱から制御が効かなくなり、めいめいがてんでばらばらに火から逃れようとし、総崩れとなる。その滑稽さ。  突然の火攻めに混乱極まり乱れる皇軍を赤水を始め上位士官が必死に叱咤し、浮足だった兵を宥める。 「落ち着けっ!まやかしに動ずるな!」 「陣形を保て!!」  火勢は本来はそれ程強くないが、水から延焼したことへの恐怖から完全に浮足立ってしまっている。 「はっ、皇軍ともあろう者が無様だな。」  スカツェルは嗤った。  皇国や帝国が()を支配する以前から、ここでは地下から燃える水が採れた。だが極少量で、燃やしても混ざった土で火は長続きせず、嫌な臭いの毒を発する。風通しが悪い所で燃やして、死んでしまうこともあるほどだ。  火石が買えない程貧しい家が泥水を掬って細々と使っていた位だった。  近年、火石の値段が高騰し、貧しい最南の地では泥水を集めては燃やすことが一層増えた。スカツェルはこの燃える水を精製し続けた。不純物を取り除き純度を高める程に勢いよく燃える。最も手間をかけて精製した水は、瞬間的に爆発的燃えた。  その水が皇軍に踏鞴を踏ませ、宵天を窮地に追いやるのは愉快だった。これがスカツェルの宵天への手向けだ。 (この狂った国で何を守る、宵天) 「っ皇っ!」  腕の中で震えていた人質が眼下の惨状に叫んだ。首に刀が当たっているのにも関わらず、身を乗り出して、宵天を呼ぶ。  ひゅっと風を切るような音が聴こえたか聴こえなかったか。  人質の身体がスカツェルから離れた一瞬、ドンっという衝撃で身体が揺れた。 「っが、っ!」  スカツェルの身体に長剣が長々と突き刺さっていた。衝撃で人質の身体はスカツェルの腕から転げ落ちて、祭壇の上で腰を抜かしている。  その真白い肌に赤黒い血がごぼりと落ちる。  肺が刺し貫かれ、スカツェルの口から溢れた血がバタバタと落ちていく。  小気味が良いくらい見事にスカツェルの身体を宵天が投擲した剣が貫いていた。  人質諸共刺し貫いて良いと思ったのか。いや、あの混乱の中でも宵天はスカツェルの一瞬の隙を見逃さなかった。 「ひぃ!」  動転した寵童は立ち上がれず、スカツェルの足元から(いざ)りながら逃げようとする。 (宵天、半身を捥がれる苦しみを知れ)  スカツェルは自分の身体に刺さった刃はそのままに、宵天が執着する寵童に短刀を振りかぶった。 「死ね」  目の前で大切な者が殺される苦しみを知ればいい。砂を噛むような日々を。苦しみ、皇国の人柱として生きればいい。
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