第3章 1-1.戦端

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第3章 1-1.戦端

 仮初めの皇宮となっている冰の領主の宮城は仮外宮も仮内宮も四六時中、落ち着く事がなかった。冰での争乱を平定する為に仮設の外宮が建てられ、連日、略式裁判と処刑執行が行われていた。  今回、新徒に組みしていたと断じられた富裕層の三分の一が死罪相当になり、邪教信奉者として貧民層の約一割が処刑されることになっていた。高位貴族は直接的に加担して居らずとも、この混乱を至るまで対処しなかった責任を取る為に役職罷免の上、爵位剥奪され、もはや冰の政治的機能は全停止している。  そして冰の領主が特級大逆により一族郎党が処刑を免れ得ないのは当然のことであった。領地は全て没収され、その領地は皇の属領となった。  ()は属領となり、市民権が認められず、全領民が公奴隷の身分に落とされ、今後50年間、移動の自由も財産の自由も一切認めれない皇国内で最も低い地位となった。  公奴隷として、幼子から女子、老人に至るまで全ての者が強制労働につかされる。個有の財産、蓄財はなく、強制労働の賃金はない。代わりに食料の決まった量の配給と年に最低限の衣服が配られるのみだ。住居も全て管理下に置かれ、監督官の支配を受ける。逃げ出せないように全員が手の甲に公奴隷の印を刻まれる。神殿すらも邪教に加担したとのことで、すべての神官が還俗させられ、公奴隷となり、高位神官は程度の差こそあれ皆、処断される予定だ。  そして仮内宮では瑠璃の宮が逆賊による重傷で臥せっている。熱は下がらず、時々、心拍が落ちるので、医師が常に側に侍り、強心のための薬を投与し続けなければならない。血も失われすぎていたが、救いは腕の刃傷を皇が手ずから力ずくで圧迫し続けたために血の止まりにくい宮の特異体質でも止血が成されたことであった。  それでも貧血を起こしており、傷付いた身体を回復させるに絶対的に体力と栄養が足りない状態であった。意識も戻らぬため、薬草を漉した汁を少量ずつ幾度となく口に流し込み、嚥下するのを見守るしかない。  それでも誤って肺にでも入ったら、肺炎を起こして取り返しのつかないことになってしまうため、細心の注意を払って看護が為されていた。  皇都に戻ればもっと十分な薬草や薬が手に入るが、思わぬ騒乱で薬品が一気になくなり、貧しい冰ではそれほど薬草などの備蓄もなかった。皇都と気候が違うために薬草の植生も変わっており、老医師が手を出しづらいものが多い。効果が分からぬものを宮に与えるわけにはいかないと皇都に戻って治療を行う方が良いと考えられても、今、移動も負担になりかねない。  だから世話できることも限られている侍従達は、ただただ女神の迎えが来ぬように神々に祈祷し続けるのみであった。もし瑠璃の宮が万が一にも命を落とすようなことになれば、皇の怒りはいかばかりか。逆賊に宮を奪われた皇軍は将ですら首が飛ぶことになるだろう。事前に察知出来なかった赤水や紫水すらも無事では済まない。  しかし、瑠璃の宮の容態が安定する前に状況は大きく変わっていった。 「皇!」  紫水が固い表情で執務室に入室してきた。疲労に顔色が緊張が増し加わって土気色になっている。 「進軍でございます。帝国軍が東の辺境を越えてきました。至急、皇都にお戻りください。」  長らく膠着状態のまま直接刃を交えることのなかった帝国が遂に戦端を開いたのだ。 「置き土産にしては派手過ぎるぞ、蒼天。」  最南端で再統治の体制を敷衍しているこの時に東の国境沿いとはと、謀られた時機が苦々しい。蒼天がアデル商人と通じていたことを考えれば、当然と言えば当然か。絶望し、恨み、この皇国の、この世界の、崩壊を願っていたあの男の死に土産ということか。 「急ぎ皇都に戻る。第一師団だけ付いて来い。第二・三師団と紫水は急ぎ冰の平常化と沿岸部を固めよ。」 「お言葉ながら皇!ここからならば皇都から兵を動かすより早く東へ行けます。援軍を送らずともよろしいのですか!」  師団長の将軍が皇に意見してかかる。この暑い海の荒れやすい時季に海から攻めてくるとは考えづらい、冰を防衛するだけに二師団も費やすことに異議があるらしい。 「帝国は何がなんでもこの地を狙うだろう。この地の防衛を固める。東は陽動の可能性もある。」  帝国が何の大義を振りかざし、どんな思惑をもって攻めてきたのか分からないものの、今や希少となった火石を大量に費やすことも辞さぬだけの狙いが帝国にとってはあるらしい。  現在混乱状態にある冰は帝国から見れば、皇国の最も脆い部分である。そこを狙ってくるだろう。  そして蒼天のもう一つの置き土産、燃える水だ。商人を通じて蒼天と繋がっていた帝国も、その存在に気がついている可能性が高い。  帝国が高価な火石を戦で大量に消費することになろうとも、進軍を決めた背景にあの水があったならば…。 「奴らは必ずこの地を狙う。帝国の狗どもに皇土を一歩たりとも踏ませるな。」 「御意!」  ラーグの厳然たる命に師団長は異議を速やかに翻して、自軍に素早く伝令を伝える。  ラーグは最速で皇都に駆け戻るために、騎馬のみで最低限の兵糧と戦装束で発つこととなった。行きは半月かけた道程を最短距離で4日で戻るという強行軍である。先導は赤水がとった。  後の皇国史に厄災の年と記載されることになるこの年、冰の大規模反乱に加え、帝国軍の進撃により、黄皇国とアデル帝国の戦端が開かれることとなった。そして冰は領民が公奴隷となったために冰の南海岸は貿易港としての機能も失い、海岸部は皇海軍に埋め尽くされることとなった。
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