第3章 1-1.戦端

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「何が…」  皇と今や遠い皇都で、次々来る不穏な飛び文に黒曜は戸惑いを隠せずにいる。  朝の文書で冰での叛逆についての報が密かに齎され、内宮を震撼させた。  黒曜は噂が回るよりも早く皇都並びに周辺の自治領全てに伝令を送り、国家叛逆の疑いが少しでもある者を全て拿捕し、尋問にかけるように手を打った。機に乗じる輩への先制と、皇民への牽制だ。既に有罪の確定していた叛逆の徒への刑も同時に執行された。  この騒動のために皇の威光に一片の翳りが落ちないように。  次の夕の伝文では早くも皇によって大逆人は手打ちとなり、粛清が行われたとの事であった。しかし、冰の平定化に暫く時間がかかるため、帰都が遅くなると添えられていた。  これらの情報は他国に掠め取られないように、暗号化されて、何通にも分けて、伝令用の鷹に結わえられて飛ばされる。  そして、東の辺境が急な飛び文で細切れの伝令を送ってきたも、そのすぐ後であった。 『(がく)に帝国軍の斥候あり。岳領主が急ぎ警告を発すが、進軍止まず。帝国軍、約一万。急ぎ救援求む。』 「一万…」  暗号文を解き、読み上げる内宮侍従の声が震える。 「帝国め!図に乗りよって!」 「一万とは、戦争を始める気か!」  一万の兵力を向けるとなると、ただちょっかいを出しに来たとは考えられない。本気だ。 (なぜこの時機に?…考えろ、何が起こっているのか)  皇が不在の今、この場で最良の判断しなければならないのは黒曜だ。  急ぎ召集された高位神官と高位貴族からなる内宮審議会は、騒然とし、怒号が飛び交う。 「奴らがその気ならば、戦争ぞ!」 「待て、講話ぞ!」 「腰抜けめが!」 「今、戦争となったら、穀物の輸送に影響が出る。皇民が餓死するぞ!」 「一万がなんだ。一気に叩き潰して、目の物見せてやれ!」  強行派と慎重派、何とか政治的遣り取りで戦争を回避出来ないものかと策を巡らす者。それぞれのそれぞれが自分の利権が最も損なわれないように口々に叫ぶ。 「皇代理、御英断を!」  皇座を空けて、その隣に座す黒曜に口々に迫る。 「…静まりなさい。まずは帝国が戦端を開いた理由を探りなさい。如何によっては東だけの進軍で済まぬやもしれません。」  岳の領主が有する軍の数、五千余り。かなり分が悪い。  しかし全容が見えるまで、何とか耐えて貰うしかない。皇軍も皇の行幸のために三分の一が南に行ってしまっている。そこから更に岳に兵を動かすことは、皇都の守りを薄くすることと同義だ。帝国軍が捨て身で更にもう一箇所派兵したならば、皇国の兵力が分断されてしまう。  帝国軍だけであれば皇軍で対抗は敵うが、シザ教国各国が連合すれば脅威だ。北の境界沿いは包囲されてしまう。 「近隣領から合わせて三千を派兵させなさい。根こそぎ兵を動かしてはなりません。」  帝国軍の一万を撃退すれば終わるのであれば、十分に兵を割いて、ささっと終わらせるべきである。しかし黒曜には嫌な予感しかない。この戦争はこれまでの国境線上の小競り合いではなく、きっと長引くことになる。  冰の騒乱とこの帝国の侵攻は偶然ではない。冰で何があったのか。文字面だけでは全く分からない。 (皇よ、早いお帰りを!)  黒曜は皇の無事と一日も早い帰都を祈らずにはいられない。しかし皇がご帰還されるまで皇都ひいては皇国を守るのは黒曜の務めだ。脳内を駆け巡る焦燥を無理矢理抑え込むと、命を下す。 「岳には東部街道を死守せよと伝令を。(りん)(かく)(しゃ)には千ずつ派兵を命じる。帝国商人の旅券を凍結せよ。全て皇代理として命ずる。」  黒曜の予感通りに、この時から皇国と帝国は長い戦争の時代に入っていく。  まさに内憂外患と熟しすぎた皇国の変革期が訪れたのだった。  そして帝国にとって、この大陸にとって、変革の時が迫っていた。
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