1-2.火石

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1-2.火石

『この国は滅びる』  王、ランス=イル=デシルはいつの間にか落ちてしまっていた午睡から突如として飛び起きた。  両手に汗が握られていて、背筋にも冷たい汗が流れている。予言めいた声に不吉さを感じて、思わず身震いをする。  側に控えていた侍女が王のただならぬ様子に驚いたように慌てて声をかけてくる。  呼吸も乱れていたが、意識して鼓動と息を整える。勤めて平静を装って落ち着いた声を出した。 「あぁ、大丈夫だ。思わずまどろんで体が冷えたようだ。」  デシルがなんでもないようなことのように答えたことに侍女がほっとした表情をした。少し青白くなった王の身を心配して掛布を取りに側を離れると同時にデシルはため息を吐く。  父であった先代王が今際の際にデシルに残した遺言だった。父王はランス王族の中では頑健であり、尊敬すべきことに王族の女性との間にデシルとラセルという二人の男児も儲けた。  しかし諸国に揶揄される『血の呪い』ためにか、父王も晩年は病魔に冒されていった。身体は日に日に動くなる一方であるのに、意識だけは鮮明でかえって可哀想だという気がしたものだ。  頑健な身体が痩せ細り、目の光も茫洋として、もはやここまでかという時に王太子であったデシルを枕元に呼び寄せて、予言のように言ったのだ。 『この国は滅びる。だから…』と。  これから王にかわってこの国を背負って立たねばならぬというデシルにとっては恐ろしい呪詛であった。 「なんということをおっしゃいますか!お気が弱くなってらっしゃいます!」  あまりの不吉さにデシルは先王を励まし、その言葉を拒絶した。父王は諦めの表情を浮かべ、翌日には永の眠りについた。  それからデシルが王位を継いで十年が経った。先王の呪詛のような言葉は薄れゆくどころかデシルに迫ってくる。  先王が言った言葉は真実だったと悟ったのだ。  年々落ちていく火石の生産量。鉱脈が深くなるほどに火石の含有量が減り、坑道が狭くなるために小柄な者しか入ることができない。その為、幼い子供に採掘をさせる。大人の背丈半分もない子供が多く坑道事故に巻き込まれている。  精錬所でも粗悪な原石から火石を精製するため大量の毒を噴出させることになり、谷には奇病が蔓延している。  もう限界だ。谷に人を押し込めて無知蒙昧なままに従事させ続けても、貴族達は誰も何も言うことはない。何故なら誰も引き受けたくないからだ。見て見ぬ振りをして進んできたこの国、ひいてはこの大陸。 (もう限界だ…火石がなくなる…)  茫漠たる虚無感と身の置き所のない焦燥感に駆られる。 「陛下、御即位召されて十余年お世継ぎを国は待ち望んでおります。何卒一日も早いお世継ぎの誕生を。」  デシルが(よわい)三十を越えた辺りから幾度となく言われ続けてきていることだ。 「毎日毎日、言われずともわかっている。一日二日で出来る話では無いのだからそうせっつくな。」  正直辟易していた。王の最大で唯一の仕事は健康な男児を遺すことである。しかしデシルと王妃の間にはには今の所アルビノの王女しか生まれていない。  シザ教では不吉とされる赤目と言うことで目が開いた瞬間に王妃は絶叫して遠ざけた。迷信に振り回されることに疲れていたデシルは虚しく思いながらも、王女が静かに暮らせるように離れの塔に入れた。赤目となると婚姻もシザ教の聖職者になることも叶わない。外出すら許されない。  幸い王女は大人しく部屋に篭っている。明らかに『血の呪い』のために、呼吸器が弱く出歩ける程の力が無いのだ。  いっそ外の悪意に晒されず、良かったと思ってしまうのは歪んでいるのか。縁起でもないと王も王妃も彼女の処に訪うことに眉を顰められるので、会いにも行っていない。  デシルがすることは、不自由がないように王女に充てがわれている費用だけは減らされないように減額案を議会で突っぱねる事くらいだ。  大臣は婚姻も外交も何も出来ぬ国益にならぬ王女に手当てなぞ不要だと声高に叫ぶが、こちらの都合で産んでおいてなんという言い様かとあきれる。そして決まって、何としても今度こそ直系の男子をと迫られるのだ。 「些事は我らが片付けますゆえ、王は国の安寧のために何卒御子を。」  そう言って王が政治に関わることも良しとしない。この国には宰相も大臣達も居並んでいる。慣習と伝統に貴族の野心が織り込まれて政治は粛々と進められる。  王はただ子作りに励み、火石がよく取れるようにシザ教に対して徳を積むことであった。  歳を重ねるごとに王の子種が弱まると家臣たちは気が気でないのだ。  デシルも早く圧迫感から逃れたい、その焦燥が余計調子を悪くさせているのを感じる。王妃と過ごす夜が苦痛で仕方ない。 (何が子作りだ!継がせる国ももう崩れかかっているというのに…)  それよりもしなければならないのは、火石無き後のこの国の行く末だ。世継ぎは幸いなことにジシスが居る。国がなければ何にもならないのに、宰相たちは火石が無くなることを全く信じない。  王妃は嫡子を産む事に取り憑かれ、閨で何度も懇願してくる。余計に冷めていってしまう心と義務的に動くだけの身体。  その乖離に身体が萎えてくると典医が精力剤を飲ませてくる。立ち会いの貴族が王の男性機能の衰えについてひそひそと隣あった者と噂する。 「レンダスの令嬢はまた来ているのか。」  王妃の小さき友人として筆頭大臣の息女が王城に上がってくることが多くなって来た。王妃が痛く気に入っていて彼女を招いてお茶会をしたり、晩餐までも共にしているようだった。  数度、王妃主催のお茶会にデシルと共に彼女も招かれて同席した。さぞや王妃のお気に入りとして鼻高々だろうとやや嫌悪感を抱きながらお茶会に向かったものだったが野心家の伯爵の娘にしては楚々とした控えめな女性であったことは驚いたものだった。野心を絵に描いたような肥えた父親とは似ずに細く、あどけない顔立ちに見事な白金の髪だった。  ひたすらに従順で、王妃からの過分な扱いに恐縮しながら、かと言って卑屈な所のない非の打ち所のない令嬢であった。  ただそれ以上でもそれ以下でもない。デシルは誰にでも同じように人形のごとく笑いかける彼女をテーブルに飾られた花と同じようにしか認識しなかった。  目の前からなくなれば、花が置かれていたことすら思い出さないような。
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