1-2.火石

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毎月お決まりの典医による王妃の診察を終えて、老医師がデシルに向かって、ゆっくりと首を振る。 「今回も駄目だったか」  ただの追確認だけをした自分の声が虚しく響く。典医がひそめた声で宰相とともに別室にて話をしたいと申し出てくる。  部屋を移して宰相も同席の上で典医が重々しく切り出したことは、やはりそうかと思うしかないことであった。 「御典医殿…それでは王妃様はもはや子は望めぬということか?」 「可能性は全くないとは言い切れませんが…限りなく難しいと思われます。」  宰相の念押しの言葉に典医が事実上、不可能という言葉を返す。 「幸いラセルの子のジシスも居る。それで満足すればよいのではないか。」  デシルとしてもこの不毛な作業に終止符を打ちたい。直系であるイル家で繋ぎたいという家臣たちの主張もわかってはいるが、無理なものは無理なのだ。多少血は薄くなっているが異母弟であるラセルにジシスという健康な男児が居ることが幸いだと思わねばならない状況だろう。 「しかしながらジシス様に必ずご嫡子がお生まれになるかは分かりませんし、そうなると王統はディア家に完全に移ってしまいます。」  先だって生まれたデシルの長女がアルビノでなく、かつ健康体であったなら従姉弟同士で、血統を国内で残すことも出来ただろう。アルビノということを除いても、娘は子をなすことが難しい身体だ。 「イル家はランス国創始からのご直系のお血筋。この血が絶たれることは徒らに不安を煽り、人心を惑わすこととなります。」  宰相はディア家に王統が移ることに反対する保守派の筆頭である。イル家が興ったその時からの忠臣という伝統に則っているだけではなく、ディア家はアデル帝国との結びつきが強い。ジシスの伴侶にはアデルに嫁いだ女性王族の血筋の適齢の姫をランス国に呼び戻すだろう。  そうすれば、帝国は一気にランス国をその(あぎと)のうちに入れて、ランスの中立性は無くなるであろう。  小国ながら独立を保ってこれたのは、帝国と皇国が火石を抱えるランス国を巡って牽制し合ってきたためである。 『滅びる』  その言葉が重くのしかかる。火石が採れなくなれば産業がなくなり国は滅びる。ディア家に王統が移れば帝国に吸収されるしかない。もはや八方塞がりだ。 「…陛下…貴族の女性との間に陛下の御種を遺されてはいかがでございましょうか?」 「王族ではない女と子を作れということか。誰も納得しないぞ。」  保守派筆頭、宗家イル家の血筋を第一とする宰相がそのように言うとは驚きだった。 「はい…おそれながらジシス様の血は嫁いで来られた殿下方の血も入ってそれほど濃くはございません。陛下のお血筋ならば半血であっても、」  ディア家は度々外からの血が入っているためにそれほど濃くはない。しかし今となってはそのことを口にするのは禁忌に近い。現に王太子として立太子出来るのがラセルしかいない今、そのことを言及しても救いがないからだ。 「陛下は、王族でない女性と子を成すことに抵抗がございますでしょうか?」  歴代王族は『血の呪い』の呪縛のせいか血筋以外では交わることの出来ない王族もいたらしい。  デシル自身はより濃い王族の血を残すことばかりを求められて来た為に、王族以外の女と交わることを考えたこともなかった。 (…外に子を成して意味があるのか…いや、何かを、慣習を打ち壊さねば、もはやこの国は立ち行かぬ…)  いつ無くなるかもしれぬ火石に頼り続け、前を見ようとしないこの国において、デシルもまた呪縛に囚われたままでは、何も変わらない。  新たな血統が出来れば後継問題についての内憂が解消されるかもしれない。 「…分かった。しかし、王妃との離婚を進めねば子は作ることが出来ない。また婚姻した者が石女でない可能性もない。」 「離婚には教団が必ずや口出ししてくることでしょう。確実に御子が出来た暁にお世継ぎになされるのが良いかと存じます。」  宰相の言はひどく不道徳であったが、原状で最もリスクの低い方法をとるしかなかった。 「候補はいるのか?」  すでに典医ともこの話を詰めていたのか、典医がレンダス伯爵の長女をレシア嬢を推挙してくる。  レシア嬢は身体は健康そのものであり、伯爵の監視もあり身持ちも固く、純潔であるのは間違いがないということだった。何より母親の血筋は多産だと。 「…なるほど…王妃の友人とはそういうことだったか」  宰相と典医は目を伏せて答えない。自分すらも気がつかぬうちに外堀を埋められていたことに怒りと虚しさがないまぜになる。  それから三晩、お膳立てされたレシア嬢を抱いた。 (意外と抱けるものだな)  明らかに怯え、強張る白磁の四肢を前に浅ましくも理性が飛んだ。国のためだという名目だったが、ただただ波に呑まれて翻弄される彼女に、ただの種馬でしかない自分への怒りを重ねて、八つ当たりしたに近い。  あまりにも城に引き止めると伯爵から不審がられるため、三夜の後には家に帰した。  そして王妃の誘いで再び登城すると何かと理由をつけて逗留させる。『国のため』という言葉に抵抗を止めた彼女だったが、虚空を見る目に罪悪感と共に強い虚無感に襲われた。  透明に微笑む彼女を引き裂いたのは自分であり、誰にでも向けられていた笑顔が自分には永遠に手に入らぬことが辛くなった。  程なくしてレンダス伯爵家の長女は未婚のまま子を孕んだ。これまでの十年は何だったのかというほど簡単な懐妊と無事の男児の出産で拍子抜けしたものの、半血の王族の存在に政情も混乱し始めた。  レンダス伯が意気揚々と王の子だと喧伝して回る。見よ、この見事な濃紺(ランスルー)を、と。  正統な血筋の証である濃紺に憐憫を覚えた。 (半血の身に先祖還りの皮肉か…いや、この血に国を掛けろという先代達の想いか…)  目を合わせると何が楽しいのか(わだかま)りなく笑う赤子の前途が辛く険しいものにしかならないことが不憫でならない。 (この赤子に遺さねば、継ぐべき国を。)  ルクレシスが三歳になった時、デシルが齢三十六になった時、デシルは貴族達が集う狩りの催しに参加し、落馬し急死した。  決して表立っては語られなかったが、王は改革対立派に暗殺されたのだと噂が流れた。デシル王は性急に強行した改革のためだ。  デシルはランス国全土の十歳までの子供を労働に従事させることを禁止し、文字と計算の教育を義務とした。これは昼夜なく採掘に勤しむために人手が必要な火石の谷では坑夫達の猛烈な反発にあった。谷においては子供は貴重な労働力であるため、稼いでくることのない勉学に向かわせる余裕がなかった。平民の反対だけでなく、貴族も教養は貴族の品位の表れであり平民が知恵をつけることに嫌悪を示した。  王の浅慮を誰もが非難した。  それでもデシルは目先の火石の生産よりも、火石が算出されなくなった後に、国民が生活していく基盤となるように最低限の教育を施すことを目標にした。  火石の産出の低下に伴い、諸国へ売る火石の値段を出来るだけ高く設定しなおした。  今年一年を乗り切ることも大切だが、十年後に生き残る力をつけねばと強行したものの、デシルのこれらの性急すぎる改革が、余計に国を混乱に陥れたと保守派筆頭から危険視されたのだ。王は『血の呪い』でついに気が狂ったと。    レンダス家の力が弱まった時、デシルは急死した。
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