1-2.火石

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 ****** 「…そう…火石はなくなると…」  ルクレシスは窓辺に置かれた寝椅子に身を預けたままぼんやりとしながら、ふと父王の言葉を思い出した。まだ三歳だった自分には父王の言葉がどんな意味を持つのか分からずに父の言葉をただ鸚鵡返ししただけだったが、父は少し悲しげに満足そうに頷いていたように思う。   『そうだ、よく覚えておきなさい。しかし誰にも言ってはならないよ。』  父の目に火石の火が映り込んで、ゆらゆら揺れているのを見ながら、ルクレシスは頷いた。 『はい』 (あぁ、そうだった…父王は王の秘密だと。次の王になるものだけが知っているべきことだと仰っていたか。)  思い出して自嘲してしまう。  ルクレシスが王になる可能性など無いに等しい。  王族として認められ、一応、ジシスに次ぐ王位継承権第ニ位となっているが、それは皇国への人質の体裁を整えるためだけだ。王太子ジシスを皇国にやるわけにはいかなったから、これ幸いにとルクレシスを王族としただけ。  皇の側に居ると誓ったルクレシスは同時に祖国を見捨てたということだ。  父王は本気でルクレシスに王位を継がせるつもりだったのか。継がせたい、継がせられると思っていたのか。  もう滅びに転がり落ちているランスをどう託そうとしたのか。  父王が死んで十三年。火石の価格は高騰する一方で、現に大陸中、火石の奪い合いとなっている。皇はもうランス国はそう保たないと言っていたではないか。  今や瀕死のランス国の四肢を力づくで引っ張り、出来るだけ多く捥ごうとしている。 (…滅びたらどうなるのか…) 「宮様、暖かい季節とは言え、ずっと風に当たっていると身体に障りますよ。さぁ、中にお入りください。」  陽が落ち始めても、ずっと窓の外を見るでもなく過ごしているルクレシスは侍従に声をかけられた。  目を覚ました時には皇は既に冰を発っていた。ルクレシスは復調してから皇都に戻るように言われていると。  仮宮だが、侍従達はルクレシスを殊更に真綿に包むべき壊れ物のように扱った。風に当てぬとはこのことだ。  あの騒乱はどうなったのか、誰も何も言わない。だからこそ降り注いだ血の塊も、血に塗れた死体も全て悪い夢だったのではないかと思ってしまう。  だが不気味な熱さと重さで落ちて来た血の感触は生々しく残っている。目を閉じれば、ルクレシスを睨みつけた踊り子の一切の生気を喪って濁った目が今も思い出される。まだあの悪夢が続いているかのようだ。  海の潮を含んだ重い風で長く伸びた髪が重く感じる。  ルクレシスの髪を指で遊び、梳く皇が居ない。    ルクレシスを翻弄する皇が居ないと、世界が遠く感じる。まだ体力の戻らないルクレシスは側仕えに手を引かれながら部屋の中央まで歩くけれど、地面を踏み締める実感がない。  侍従達は穏やかに接してくれる。平穏そのもの。目を開いても、目を閉じても夢の中に居るようだ。 (何が起こっているんだろう…)  疲れやすい身体が外のことまで思い巡らす思考を閉じる。
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