1-3.籠の内

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 瑠璃の宮の傷の具合も安定してきた頃、瑠璃宮の侍従長が紫水に呼び出されていた。 「皇領の監督官と神官長らが明日着く予定だ。引き継ぎが終わり次第帰都するため、出立の用意しておくように。それから引き継ぎに際しての作業場の見回りと明後日に執り行われる斎場には同行させるように。」  紫水の宮からの言葉に侍従長は慌てた。  作業場は強制労働の場で危険なだけでなく、繊細な主が赴くには殺伐とした場所だ。ましてや明後日の斎場で執り行われるのは、今回の叛逆事件での被告達への判決の読み上げと刑の執行である。すでに軽微な罪状の者への刑は略式裁判が済み次第執行されていたが、明後日が最終審判で最も罪の重い者達の審判である。  すでにこの事件で精神的に疲労している主に参列させるのはあまりの無体としか言いようがない。  要らぬ心痛をかけぬように宮一同、この騒乱の話はせぬようにして来たというのに。 「紫水の宮様、御言葉なれど、瑠璃の宮様には余りにも御負担が大きい事。御存知の通り、今も皇を御守りして負われた傷が治っておりませぬ。ご再考を何卒。」  皇の侍従長の言葉は皇の代弁、宮の言葉は一介の皇民にとっては殿上人の言だとしても、主を護る僕として承服しがいことであった。  紫水の宮は侍従長の心配する気持ちもよく分かるが、と諭す。 「皇が居られぬ今、この地でおきた大逆を皇の神威(しんい)の元、平定する事が何より宮の為すべき事である。瑠璃も皇の宮として皇民を導き、時に断ずる事が義務である。怪我を負うた身に負担をかけることは忍びないが、これは必ず為さねばならぬ事ゆえ、侍従長におかれては、明後日に瑠璃の宮が本事を恙無行く勤められるように配慮を願う次第だ。」  宮としての義務だと言われれば侍従長は拝跪して、御意と答える事しか出来ない。  愚かしくも皇への叛逆を企てた者達へ苛烈な処罰が降される事は当然の報いだと侍従長とて思う。特に主に直接的にも間接的にも危害を加えた者らは万死に値する。しかし、逆賊によって心身共に深手を負った主にはこれ以上、血生臭い事を見せたくなかった。  折れそうに繊細でか弱い主は今回の件で意識が戻らぬ期間も長く食事も十分にとれずに更に痩せてしまわれたのだ。身体が復調しても心の傷は未だ癒えておられない。  二度と辛い思いはさせまいと大切に大切に宮の奥で風にも当てずに御守りしたいと心に誓った宮の者達にとって、そのような場に送り出さねばならないことが辛い。  侍従長は思わず溜め息を吐きたいところをぐっと堪える。紫水の宮も本来なら瑠璃の宮に直接命じるだけで侍従長に一々事前に説明せずとも良いところを呼び出してまで事前に告げられたのは、心算する猶予を下さったという寛大な御心遣いなのだ。  今回のお務めは心優しい宮様にとっては負担もあるかも知れない分、今日と明日は英気を養って頂くしかないのだ。侍従達に三日後から帰都の路に着くことを伝え、その前に宮には大切な勤めが有る為、万難を排してご静養頂くように伝える。宮も長たる侍従長が動揺していては、使用人達も安心できず、それは主の安心を損なう可能性があるので、ただ、ご静養頂くのだということを強調して、不安を与えないようにした。  侍従長自身は作業場を直接見たわけではないが、聴くだに過酷な環境とのことだ。  冰の海沿いに石堤を築く作業に着工し始めたという。これまで幾度となく高波に浚われてきた冰であるが、防波堤を築く余力がなく、為す術がなかったと。それを皇命として施工するのだという。と、皇民には説明されているが、実情は帝国海軍から皇土を防衛するための急ぎの石堤の造設であるが。  沿岸部の石堤建設では、石場がないために内陸部から大型の石を切り出していく。そして、沿岸部まで人力で運び、それを人の背丈の三倍ほどにまで積んでいくそうだ。毎日、長時間かけて固い石を切るのだが、しばしば岩場から岩の滑落や、足場が崩れたりと多くに怪我人が出る。運び人の中には石に轢かれたり、積み上げ作業も毎日の様に事故が発生するほど過酷である。    女子供はひたすらに農作業に従事させられる。それも男がするような力作業を女だけで全て行わねばならないのだから、力足りぬ幼子や女には厳しいという。  領民は全ての財産を召し上げられ、家族も離散させられ、其々の作業場に連れて行かれている。反乱を防止するためにわざと家族同士は作業場を分け、一人が逃亡すれば、親戚縁者が罰を受けることになる。家族の存在で反抗を抑止するのだ。  奴隷が怪我や病を得たとしても、最低限の治療しか受けられず、大怪我や大病ではまず助からない。それでも公奴はまだ皇の管轄下に有る為に待遇が決まっているため、私有奴隷が主人の気紛れで虐待されるよりはましだと言われている。  紫水の宮に諭され、承ってきたとはいえ、やはりそういったことを心優しき主に見せるのは辛い。ましてや死刑なぞ肌の色と同じ位心も真っ白な主にそういった物は見せたくないのが今も偽らざる気持ちだ。  日陰の王族として苛烈な人生を歩んで来られた主は、内に篭ってしまうご気性ではあるが、人を恨むことも、周りに当たることもなく、真っ直ぐ真白く優しい心根を持っておられる。だから皇も大切に奥宮に置いておられるのだと思う。  一切、外の残酷な風に当てることなく。 ========= 「宜しいのですか?瑠璃の宮様には幾分御負担になる御勤めかと。」  紫水付きの侍従長が手ずから更衣を手伝いながら、主に話しかけてくる。 「また気鬱の病に陥られるかもしれませぬよ。」  本来なら主の考えに侍従長とはいえ使用人が意見するなぞ恐れ多いことだが、瑠璃宮の侍従長に対して妙に頑なだった主を不思議に思って話しかける。 「…散々悪意に晒されて殺されかけていたくせに、血や策謀を知らない。だが、そのままでは生きていけぬ。現実に開戦され、この世には目を背けたくなることも沢山ある。」  身の危険に鈍感だから、皇の前に飛び出して餌食になるなぞという無茶なことが出来るのだ。究極の状況になれば紫水も迷わず皇の盾になるが、その前に限界まで思慮する。皇も自分も生き残る道を、何を大切にして、何を切り捨てるべきかを。瑠璃にはそれが無い。命の残酷さを分かっていないから、あのような暴挙にでる。 「それだからこそ、皇は籠の内からお出しにならないのでは?」  皇は手元で瑠璃をまさに皇国一高貴なる飼い犬として、瀟洒な檻中で飼っている。大切にしまいこんで外の風にあてず、ただ飼い主の帰りを待って、従順に振る舞い、癒しを与える存在として。しかし、それでは皇を支え、皇の胸の内を巣食っている影を引き受けられる存在にはならない。 「瑠璃は世界を知らなければ。知ってどうするか、だ」  紫水は自分に言い聞かせるように呟く。侍従長もそれ以上問うては来なかった。
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