2-1.半身

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「皇、ご無事のお戻り、お慶び申し上げます。私が至らぬばかりに御帰朝頂き申し訳ございません。」  黒曜は宮城の城壁門まで正装で皇を迎えに出てきていた。本来なら皇都を囲む城壁まで迎えに行くべきところであったが、政情が政情であるために緊急時に備えて皇の代理として宮城を離れるわけにいかなかったのである。  外宮の議場にて黒曜は叩頭し、国璽印を頭上に捧げもった。 「いや、大儀をかけた。」  皇の手で印が取られると、金塊を掘った国璽印の重さと共に、鉛のように感じていた肩の重圧をも取られたようだった。それは皇から預かった皇土を辛くも護り、お返しすることが出来た安堵だ。  皇の帰還に伴い、本来なら陽の神殿で、留守役だった黒曜が代理の国璽印を返す儀が行なわれるのが慣例であったが、有事ということで執務官と皇都の神官長の列席した外宮での略儀となった。  皇の一声で前例なく略儀となったが、今回ばかりは高位神官達から反対の声もなく静かである。  常ならば政治における神殿の象徴性と優位性を顕示する為、全ての儀式を権威ある神殿で神官長が執り行うことを出張するところであるが、冰の反乱で逆賊に神殿までも買収されていたことが明らかになり、神官たちは皆、息をひそめるようだ。 (なるほど、騒動も鬱陶しい身中の虫を黙らせるのには有用だったようで…)  代理の黒曜の籠絡しようと阿ったり、脅したり、愚弄したりと煩かった神官達の殊勝な態度を見渡して、内心で嗤う。貴族も一様に目立たぬよう壁と一体化していた。  反逆騒動も深刻な問題であったが、今まさに生じていることへの緊急の対応が必要であり、皇も黒曜も儀典服を脱ぐ間も無く、議会を招集した。  議会では交戦慎重派、徹底殲滅派、交渉派、謀略派に分かれて、皇の顔色を窺いながらも議論が重ねられる。帝国の動きには常に注意を払い、防衛費も割いてきたものの、戦争となると使う額が違う。すでに戦端は開かれているので、財務に関わる風の神殿と財務部は慎重派へと流れていた。 「アデルの要求は何だ?」 「冰、帝国の記述ですとリタ族の解放でございます。」  東の国境にやって来た使者の齎した皇への書簡は、冰は元々は帝国領にあたり、不当に奪われたと、リタ族は東方民族の末裔であり歴とした帝国民であること、皇国は不当に帝国民を支配し、重税を課し、敬虔なシザ教徒であったリタ族に異教を強制し、著しく帝国民の人権を蹂躙しているため、直ちに冰を解放せよ、と。  元々、現在冰東方系リタ族の土地で、数世紀前に帝国の属領になっていた場所であったが、帝国も天災の多い沿岸部にリタ族から得られる利益も少なく、保護を行うことが面倒になったのだろう。 (今更、リタ族の保護など白々しい…)  一方皇国は大陸の沿岸部は西の一部であり、南の沿岸部を商業港として求めて派兵した。それほどの戦闘にもならず、冰を皇国下に置いたのが領土皇と称された先先代の皇の時代であった。  彼が領土皇と呼ばれるようになったのは、皇国史上最も広大な地を支配下にいれて、現在の皇国国土を完成させた為である。生涯に亘って戦に明け暮れ、皇都に戻ることは滅多になかったらしい。  皇が通った後には血の河が流れると噂される程だったと。  先代は即位後暫くで奥宮に引っ込んでしまったので、広がりすぎた国土の内政を整えることに執政官達は精一杯だったらしい。皇が政治を取らないことで、一気に神官や貴族の腐敗が進んだのもこの時代だ。内政を整えるというのは、すなわち、自身の利になるように何事も決めていくということと同義だった。 「即刻に冰から皇軍を引き上げさせ、皇国人を離任させて開け渡さねば、人神に悖る行為としてシザ教圏連合諸国は強硬も辞さない、との教主の御璽もございます。」  外宮侍従が皇の前に教主の名で出された書簡を読み上げる。書簡は皇が皇都に入る直前に帝国からの早馬で届いたのだが、帝国在住の皇国大使の首とともに届いたというのだから帝国の本気度が分かるというものだ。帝国から皇都まで駿馬でも五、六日はかかる。つまり冰の反乱の前から冰へと進軍する準備をしていたと。  帝国のみならず教主まで派兵してくるとは、随分前から張られた網だったらしい。 (間諜も買収されていたか…)  冰の内乱が起き、皇国は冰に着目した。この符牒は何か。 「命ずる。思い上がった教圏の犬どもの一切を駆逐せよ。譲歩はない。よって交渉も必要ない。首には首をもって贖わせろ。」 「し、しかし!」  書簡を持ってきた使者の首を返信に使えという皇の強硬な言葉にどよめく。使者に危害を加えないことは大陸中の暗黙のルールである。使者を害することはそれだけで武力行使の理由になる。 「先に我が大使の首を跳ねたのは彼方だ。教圏諸国にも伝えよ。派兵した国は須らく我が皇国の敵として攻撃すると。」  軍部の鬨の声と文官の混乱した声が議場に割れんばかりに響く中、皇は早々に議場から退いた。 「そうだ、ランス国にはくれぐれも賢明な判断をするようにと伝えおけ。」  皇が文官に言い添えた。  最初から捨て駒のように寄越された瑠璃の宮だから、やはり切り捨てられるだろう。  皇は祖国に捨てられた瑠璃の宮をどうする御つもりなのか。 (お側におかれるんでしょうね…きっと。)  条約の形代ではなく、自身の半身として。
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